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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

幸福度日本一で嫁ヘトヘト

 都道府県幸福度ランキング(日本総合研究所)において3回連続(2014年、16年、18年)の日本一に輝いたのは福井県です。2018年版における福井県の指標をいくつか拾い上げると、次のようです。

  • ・保育所待機児童数 0人(平成13年度から連続)
  • ・高い出生率 1.65人(全国平均1.44人)
  • ・子どもの学力 1位
  • ・持ち家率 74.0%(全国平均66.0%)
  • ・持ち家の延べ面積 173.3m2(全国平均122.3m2
  • ・人口10万人当たり救急病院・一般診療所数 6.8ケ所(全国平均3.3ケ所)
  • ・有効求人倍率全国1位 2.18(全国平均1.59)
  • ・正規就業者率全国1位 67.3%(全国平均61.8%)
  • ・女性労働力率全国1位 53.0%(全国平均48.2%)

 その他にも、福井県の幸福度の高さを示す様々な指標が出てきます。確かに、保育所の待機児童がいないというのは、首都圏ではとても考えられない幸せと言っていい。家も広いし仕事も安定しているとなると、とても暮らしやすい地域だと思えてきます。

 ところが、昨年11月27日の福井新聞は、日立京大ラボとの共同研究によるアクションリサーチの結果から、「3世代同居で共働き、嫁ヘトヘト-『幸福度日本一』福井人の不幸せ」と題する記事を報じました(https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/981759)。

「不幸せ」の訴えは女性に際立っています。

 まず、「母親の負担が大きすぎる」点です。家事・育児に老親の世話をもっぱら嫁が担わなければならないのに、夫の安い給料だけでは家も持てないし、とても生活していくことができないから「共働き」を強いられる。

 福井の社会が成り立っている土台に、家父長制的な家族構造の中で女性がさまざまな役割を一身に背負う大変さのあることが浮き彫りになっています。

 次いで、「狭い価値観を押し付けられる」、「地域コミュニティに閉塞感」、「自分らしく活躍できない」が続きます。リサーチが明らかにする声には、たとえば次のようなものがあります。

「女は黙って家のことをし、男の決定に従え、では我慢できない」
「福井の嫁には自分の時間がない」
「車種やナンバーを覚えられて、『こないだ○○にいたでしょ、車見たよ~』と言われる」

 これらは、アーバニティの対極にある地域文化性を感じさせるものです。

 知人の福井県の女性が、「車を買うときは、どこにいても目立たないように、もっともありふれた車種の、もっともありふれたカラーにする」と言っていたことをかつて私は理解できませんでした。が、この新聞記事を読むと納得です。

 福井県は、地方部に残る共同体性を活用して、暮らしを成り立たせる仕組みを形成してきたようです。そこで、家父長制的なムラ社会の秩序を貫く一元的な価値観の強制に、女性は息苦しさを感じざるを得ないのでしょう。

 福井県幸福度日本一には残る疑問もあります。若狭湾を中心とする原発産業への、暮らしと労働の依存度の高さに伴う問題が「幸福度」の測定に加味されていない点は、いささか片手落ちではないでしょうか。

 このような福井県における幸福のあり方は、首都圏の都市部ではとても追求できません。地域社会に共同体性は残っていないからです。都市部の支援システムは共同体的な支え合いの機能を期待できない分、市場サービスの侵入を政策的に進めるのです。

 さいたま市の旧与野市地域の小学校(40人学級の時代で1学年4学級)を卒業した50歳代の人の例では、今でも旧与野市の地域に暮らす卒業生は1人しかいないと言います。定住性のなくなった地域に共同体性などあろうはずがありません。

 私はかつて、地域社会に基盤を置いた生活支援システムを構想するために、地方の取り組みを視察して歩いたことがありました。その一つは、佐賀県の地域共生ステーション(https://www.caresapo.jp/fukushi/blog/munesawa/2009/10/post_63.htmlから4回のブログを参照)でした。

 この取り組みは、さいたま市の施策形成に係わっていた私にとって、とても魅力的で素晴らしいものに映りました。佐賀県の地域共生ステーションのエッセンスは、制度サービスと地域の共同体的な支え合いの組み合わせを最適化する地域協働の取り組みです。

 しかし、さいたま市には共同体的な機能はすでにありませんから、地域共生ステーションのような社会資源を活かす方策を見出すことはできません。佐賀ならではの「幸せのあり方」をさいたま市が模倣できる訳はないのです。

 もし、福井県のように女性への著しいしわ寄せによって暮らしと社会が成り立つ構造を、首都圏の核家族に持ってくれば、男女共同参画に反する女性の働き辛さへの批判とともに、出生児数の更なる減少と離婚の増大を招くだけに終始するでしょう。

 今、重要視すべき点は、共同体的な支え合いでもなく、慈しみ合いの関係性を侵襲し破壊しかねない市場サービスにも頼らない支援システムの構築です。

 おそらく、これからの幸せのあり方を形づくる支援システムは、すべての人の参画と協働にもとづいて、不断に親密圏と公共圏の網の目を新たに紡ぎ続ける営みとなるでしょう。それは、一元的な価値観から解放され、多様な幸福追求のあり方が承認される地域社会づくりです。

梅にシジュウカラ(笑)

 この数日、冬らしい寒さが続いています。ヒマワリの種を置いてやると、花芽を膨らませた梅の枝にシジュウカラがせっせと啄みにやって来ます。画像のシジュウカラは足元にヒマワリの種をつかまえています。シジュウカラは、育雛期以外はベジタリアンです。