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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

「半世紀後課」の提案

 今年度は、私がさいたま市の福祉行政にかかわるようになって、12年目に当たります。干支が一回りするこの間は、措置制度から支援費支給制度に替わったしりからグランドデザインが出てきて障害者自立支援法となり、障害者の権利条約の署名から批准に向かう制度改正やいくつかの新しい立法化などを含め、実に目まぐるしく制度や基準の変わる時代でした。

 さて、この12年間にさいたま市の人事異動は実施されてきました。障害福祉課長は5回代わりました。保健福祉局長や福祉部長も、少なくとも4回くらいは代わっていると思います。私がさいたま市の施策形成にかかわることになった12年前に、障害福祉課に配属され、今は他の課にいる職員は、こんなことを打ち明けてくれました。

 「さいたま市の障害者施策をこの12年間の通しで知っている唯一の人間が、宗澤さんということになります。社会福祉全体の仕組みが変わり、障害者福祉の領域は目まぐるしく変わってきた上に、自治体として平成の大合併から政令指定都市になっていくという激動の中で、一貫した流れを知っている人は、市にとっては得難いところで、なかなか放してくれないと思いますよ」

 「うーん…」、まことに複雑な心境です。長年の疲れもあって、そろそろお役御免がふさわしいとも思っていますし…。

 措置制度の時代に福祉行政はプランニングの時代に入り、21世紀に入ると福祉の実施体制と自治体行政のあり方そのものに大きな転換期が訪れました。都道府県を経由して回ってくる国の事業要綱どおりに実施していればいい時代は終わりました。

 上意下達や前例踏襲主義で、自治体の仕事を前に進めることはできなくなったのです。地域の現実を正視し、制度の活用方途や独自の工夫などを創出する進取の気性が求められるようになりました。政令指定都市という大きな権限を持つ自治体ではなおさらです。

 この点で、ともに仕事を進めてきた歴代の障害福祉課の職員は、例外なく、とても信実で有能な方ばかりでした。これは、決してリップサービスではありません。

 措置制度時代のプランニングでは、自治体がプランニングすることの意味も踏まえず、前例踏襲主義を優先することによって、地域の実情に目を向けようともしない職員が一部にいることを目の当たりにすることもしばしばでした。さいたま市でそのような職員に出会ったことはありません。12年間を通じて、それぞれの時代に仕事を共にした職員は、局長からひらの職員まで、住民・当事者の暮らしに資する仕事への努力を誠実に傾注していたと、証言することができます。

 しかし、12年間で4~5回の人事異動があるというシステム上の問題は間違いなくあったと考えています。自分が配属されている期間は、障害福祉課の職員として誠実な努力をするという範囲内の仕事の運び方では、中長期的な見通しに立脚した施策形成に弱点が出来する問題があると思うのです。

 たとえば、さいたま市は虐待対応を進めてきたこの間の教訓を踏まえ、分離保護のための「居室の確保」を重要な課題とするようになりました。ところが、かなり以前に、さいたま市で障害者支援施設を新設する際には、虐待対応の「居室の確保」という観点も含めて、少なくとも20床ほどのショートステイを付設するという考え方を協議会等で確認していたのです。

 何よりも、障害のある人の継続的で安定した地域生活支援を展望するとき、ショートステイの効果的な活用はキーポイントの一つであることは間違いないと考えていた点も重要でした。

 ところが、この考え方が確認されてから課長は2回代わったころに、障害者支援施設の新設に予算がついたとき、この考えは施策の実際にほとんど活用されなかったのです。そして、今、一からショートステイの増床を虐待対応の居室の確保のために施策化しなければならない課題に直面することになったのです。

 プランニングの年度単位は、せいぜい3~5年であるところに、制度が目まぐるしく変化した。支援費支給制度の時代にプランニングしたものを、制度的な見通しが出てくるまで弥縫的に対応せざるを得ない時まであったのですから、単年度主義に戻ったような現実対応をぎりぎりのところで誠実に考えていくほかなかった時代に、人事異動が通常通り実施されると、中長期的な課題が脇へ追いやられてしまうのは、回避することはできません。

 WindowsXPのサポートの終了後も、全国の自治体が使い続けるXP搭載パソコンは、26万5143台で、全体の13.0%に上るといいます(4月14日総務省発表)。こんなことは、かなり以前から分かっている問題であるのに、対応しきれていません。

 少子高齢化に伴って積立金不足となり、74の厚生年金基金が解散するということです(4月27日朝日新聞朝刊)。こうなることは、数十年前から分かりきったことであるにも拘らず、漫然と旧来の施策を継続して破たんすることになりました。

 はしかや風疹の予防接種の受けなかった世代があることは分かりきっているのに、それを放置して、昨年来、妊婦と新生児にとっての大問題となりました。

 高度経済成長の時代に漫然と作り続けた橋や道路の維持が難しくなり、今ようやくメンテナンスの問題が浮上するようになっています。

 これらいずれの問題も、3年を超えるような課題について、わが国の行政は構造的に対応し切れてこなかったということの例証ではないでしょうか。ここには政治の問題もあるでしょう。少なくとも「20年後課」「半世紀課」というような中長期的な見通しから施策を点検する担当部門が行政機関にはどうしても必要だと思うようになりました。