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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

高知県虐待防止研修のさ中に

 先週は、高知県虐待防止研修に講師として参加しました。そのさ中に、高知新聞が四万十市のある法人事業所の虐待事案について、大きく報じました。

高知県虐待防止研修・市町村の部

 この法人事業所の虐待事案については、まず昨年の5月に通報があり、県の指導を受けた直後の7月に、私が現地に赴いて法人事業所の職員全員を対象とする虐待防止研修を実施しています。

 ところが、その後も虐待の通報が相次ぎ、結局、高知県の虐待対応もこの12月まで間断なく続いてきてしまった事案です。このような経緯となったのは、まことに残念でなりません。この新聞報道には私のコメントも掲載されているのですが、私自身が一度研修に赴いたところである分、自らの力不足の責任も感じています。

 高知新聞によると、この事案では、身体拘束や顔の点状出血が確認されたことをめぐって、虐待認定した当局と虐待ではないとする施設幹部職員と間に見解の相違があると報じています。

 顔の点状出血は、虐待が強く疑われる特異な症状の一つです。首が絞めつけられることによって生じます。その他の疾患によっても点状出血の症状の出ることはありますが、これまでにそのような症状の出たことのない子どもに確認されています。

 ここで、障害のある子ども・成年の人権擁護に資する支援者であれば、通常、事態の重大さをまず正視するでしょう。どのようないきさつであれ、子どもの「首が絞められた」事態があるとすれば、ことは子どもの生死に係る重大事だからです。

 だから、虐待かどうかの見解の相違を争う前に、点状出血はどのような経緯で発生したのか、そして、二度とこのような事態を招かないための手立てはいかなるものかを自ら積極的に明らかにすることが、法人事業者の、障害のある子ども・成年に対する最低限の社会的責務でしょう。

 ところが、この事業所の幹部には、一部の身体拘束や点状出血について、虐待であるかどうかを争う傾きが拭えないようです。施設従事者等による虐待については、これまでにも虐待の認定そのものを争う事案がしばしば確認されてきました。私見によれば、このような「争い」は不毛の極みです。

 虐待認定では、虐待行為者の意図や自覚の有無を問うことはありません。発生した事実が、虐待防止法の虐待の定義に照らして、障害のある人の不利益等の人権侵害にあたるかどうかが問題の焦点です。

 もし、虐待であるかどうかの見解に相違がある場合、発生した事実行為は障害のある人の不利益等を招くことなく、人権侵害が発生していないことを説明すればいいだけのことです。

 ところが、虐待であるかどうかを争う事業者の幹部職員からそのような説明を聞いた試しがないのです。枝葉末節を針小棒大に取り上げて、「ぎりぎり虐待ではない」と言い張るような笑止千万の類がほとんどです。

 今年の夏は2回ほど北海道を訪れ、障害者の権利条約にもとづく人権擁護の実務的な進め方について、支援者の皆さんと議論する機会に恵まれました。その中で、ある障害者支援施設の施設長の方が、次のように明言されたことが鮮明な記憶として残っています。

 「支援者・事業者にとって虐待認定されるかどうかが問題である前に、障害のある人にとって不愉快・不利益・不都合等の人権侵害があるかどうかを自分たちの側から問わなければならない。」

 「虐待認定をできる限り回避しようとか、虐待かどうかを争うことに労力と時間を費やしていると、人権擁護の取り組みをどのように充実発展するかという肝心かなめの部分を追求できないまま、最悪の場合、障害のある人に大ケガや死人が出来しかねない。」

 「虐待防止の取り組みの第一歩は、虐待の事実に積極的に向き合い、可能な限り不適切な支援の段階から気づくことができるようになって、自分たちの側から不適切な支援を質し、人権擁護と生活の質の向上に資する支援を目指すことだ」と。

 この発言の土台には、障害のある人を地域社会の一員として支援する社会的責任を柱とする、幹部職員と現場支援者との信頼関係が築かれているはずです。そして、虐待防止の取り組みの基本は、自主的で自覚的な、自治に立脚した専門性の向上にあるのです。

市町村研修のシンポジウム

 今回の高知県虐待防止研修では、前回ブログに記した香川県研修と同様、障害者虐待防止法施行5年目の積み重ねを実感することができました。

 毎年度の研修を受講してきた施設長の方から、私の研修を受けて「ここ2年間集中して、虐待防止の取り組みを進めてきたら、従来の取り組みにいかに問題があったのか、たとえば『支援のつもりで人権侵害をしていた』事実が浮き彫りになった点もありました」というご報告を頂戴しました。

 市町村における虐待防止の研修においては、障害者生活支援センター等の相談支援専門員と市町村の担当者が「いかにして虐待に至る前段階のグレーゾーンに気づくことができるのか」をさまざまに例示しながら、グループワーク・セッションをしていました。

 このように、障害者虐待防止法をはじめとする障害のある人の人権擁護の取り組みは、多くの支援者と支援現場のあり方を文化的に刷新する原動力になりつつあると考えます。

 障害者権利条約の締結後の現在を自覚することなく、旧態依然としたガバナンスと支援に埋没し拘泥している幹部職員のいる法人事業所は、少子高齢化の進む中で、ほどなく撤退を余儀なくされることでしょう。

研修後の懇親会における「文化的刷新」(笑)