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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

コンプライアンスはどこにあるのか?

 この一週間ほどの報道に接していると、日本の企業や政治家に果たしてコンプライアンスを期待できるのかどうかについて、深い疑念を抱かずにはおられない気持ちに駆られました。

 複数の自動車メーカーが燃費の測定方法をごまかしていた問題、海洋土木工事の大手建設会社が羽田空港や福岡空港の液状化防止工事でデータを改ざんしていた問題、某政治家の政治資金の使途をめぐりが私的旅行や美術品購入等のはなはだしい公私混同が疑われる問題などです。

 このような問題は実は氷山の一角に過ぎず、真っ黒からグレーにかけて巨大なすそ野が広がっているとみるのが妥当ではありませんか。社会に暴かれてしまった事案は「やり過ぎ」か「脇が甘かった」程度の感想を持つ企業関係者や政治家が大勢いるのではないかと考えるのは、私だけではないでしょう。

 この問題は、虐待事案の構造と似ていますね。2000年の社会福祉法の施行後に、障害者施設の法人事業者の職員を対象に、〈権利擁護とコンプライアンス〉をテーマとする研修を2~3年間したことがあります。

 しかし、その後に高齢者・障害者の虐待防止法が成立し、施設従事者等の虐待事案が明らかになる中で、自治体行政がそもそも虐待防止法を遵守しない、通報者を提訴する社会福祉法人があるなど、コンプライアンスは「絵空事」に過ぎないと思わざるを得ない事案が山のように出てきました。

 私がかつての研修に用いた文献の一つに浜辺陽一郎著『コンプライアンスの考え方』(中公新書、2005年)があります。その他は、日本弁護士連合会編『契約型福祉社会と権利擁護のあり方を考える』(あけび書房、2002年)、高野範城他著『高齢者・障害者の権利擁護とコンプライアンス』(あけび書房、2005年)、高野範城・青木佳史編『介護事故とリスクマネジメント』(あけび書房、2004年)などでした。

 これらはすべて弁護士が執筆者です。論理の整合性があり、説得力あふれる文章から構成されていて、これまでの日本の「ムラ社会」的な組織運営や「阿吽の呼吸」で物事を進めるやり方に替わる、新しい時代の取り組み方だと、当時の私は受け止めていました。

 問題が報じられている大企業のホームぺージからは、当然のごとく、コーポレートガバナンスの一環としての「法令遵守」「社員の行動規範」「コンプライアンス」「CSR」等が美しく記載され、この背後にはそれぞれの企業の法務担当部署や顧問弁護士がいるのです。でも実態はどうかというと、形式的な法令遵守もなければ、よりよい企業倫理の実現に向けた行動規範にもとづく全社員の方向づけはない。「嘘がばれないよう、利益を最大化する企業文化」のままです。

 昨年に下関市の大藤園で発生したおぞましい虐待事案も、この施設の母体である社会福祉法人開成会は、CANPANの団体情報に「現在特に力を入れている取り組みとして」虐待防止を記載していました(2015年6月15日ブログ参照)。「言ったもの勝ち」のつもりなのかもしれませんが、真っ赤な大嘘です。

 そこで、弁護士の方たちが執筆したコンプライアンス関係の書物の「説得力」も、はたして現実にねざしたものかどうか疑問を抱くようになりました。

 先に紹介した浜辺さんの『コンプライアンスの考え方』は、「企業業績とコンプライアンスの関係」(同書23∸25頁)を論じているところがあります。

 医療機器等の関連会社であるジョンソン・アンド・ジョンソン社のバーク会長は、アメリカの高度経済成長期に当たる1953~1983年の30年間の企業の成長と「公共心のある企業群」(コンプライアンスを実践している企業群)と「公共心のない企業群」に分けて調査したところ、「公共心のある企業群」の方がそれ以外の企業よりも「はるかに高い率で成長していたことが判明した」と書かれています。

 はたして、このような相関が現在でも実証的に確認することができるのでしょうか。低成長期に入り、グローバリゼーションの荒波の中で、「ハゲタカ」と呼ばれる投資会社が巨額の利益を上げ、日本国内では「法令遵守」をしていてもアジアの生産工場に働く労働者には「野麦峠」か「蟹工船」のような待遇をして国際機関から指摘を受ける企業が、右肩上がりの業績を続けているのではありませんか。

 つまり私は、『コンプライアンスの考え方』はもともと絵空事ではないのかという疑念を持つに至っているのです。むしろ、コンプライアンスが「法令遵守」という狭い考え方ではなく、「より完成に近づく営みを不断に続ける」ことの中に、弁護士にとっての数多くのビジネスチャンスが生まれるためのシステムではないのかとさえ疑っています。

 昨年の10月に日本弁護士連合会が『成年後見制度から意思決定支援制度へ』という報告書を出しました。先般成立した成年後見利用促進法について疑問を抱きますし、この報告にある「セルフネグレクトからの保護」(同書225-226頁)で、セルフネグレクトは意思決定支援による解決ではなく「虐待防止法に準じた保護を行うべき」とある記載には正直言って、大変驚きました。

 セルフネグレクトの事案は、本人の意思によらずに保護を開始しなければならない性格を持つ点では、虐待事案と共通基盤があると「弁護士的」には整理されるのでしょうか。アメリカやイギリスの虐待研究では、虐待発生の要因・メカニズムや本人(と家族)にたいする支援課題の点で、セルフネグレクは「保護の別の課題」と整理されてきたことをご存じないのでしょうか。

 経済的虐待の事案以上に、セルフネグレクト事案には、あるいは資産管理や資産整理にかかわるビジネスチャンスがあるのかもしれません。でも、セルフネグレクトは、欧米に先例があるように、成年保護法の課題であり、虐待防止法の課題ではありません。

 問題が不断に発生する社会システムをそのままにしておいて、法による秩序支配を隅々までいきわたらせ、さらにその彼方には、企業がすべてのステークホルダーに満足をもたらして、企業の利益もますます上がっていく―やっぱり絵空事にしか思えません。