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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

「特定少年」への死刑判決


 2021年10月、甲府市で同じ高校に通学する女性Cさんの両親を殺害して家を放火し、Cさんの妹には鉈で大けがを負わせた事件で、殺人と現住建造物等放火等の罪に問われた遠藤裕喜被告の裁判員裁判の判決が1月18日に甲府地裁(三上潤裁判長)であり、死刑が言い渡されました。

 遠藤被告は、好意を寄せていた長女の女性から交際を断られ、LINEのアカウントをブロックされたことをきっかけに自暴自棄と逆恨みに陥り、犯行に及んだといいます。

 判決は、虐待を含む複雑な「成育環境の影響があるとしても限定的で、明確な反省や謝罪の態度」もなく、「Cさんを傷つけたいという身勝手な理由で、無関係なCさんの家族を犠牲にした。極めて自己中心的、理不尽というほかない。Cさんの家族を私的な欲望実現のため道具のように利用した。罪質は非常に悪質」であると指摘します。

 そして、「被告が19歳だったことを最大限考慮しても死刑を回避する事情にはならず、更生の可能性も低い」として、「被告人を死刑に処する」と主文を言い渡しました。最後に裁判長が被告に対して、「考えることをあきらめないでください」と説諭しています。

 犯行当時19歳だった被告に「更生の可能性は低い」から「君の人生は打ち止めだよ」と死刑判決を下しておきながら、「考えることをあきらめないでください」と説諭する裁判長の意図は一体何なのでしょうか。

 死刑判決の確定後に、自分の犯した罪と向き合い、「人たるに値する」価値を基軸とする人間と社会への眼差しを培う死刑囚のいることは確かです(森達也著『死刑』、2013年、角川文庫。次の永山則夫に係わる記述は同書95-97頁を参照しています)。

 今回の死刑判決には、1983年に最高裁が示した死刑選択の判断要素(犯罪の性質、犯行の動機、殺害方法の執拗性や残虐性、殺害された被害者数などの9項目)である「永山基準」が適用されています。この基準の元となった裁判の被告である永山則夫も、獄中で内省を深め、自分を作り直した囚人の一人です。

 永山は、極貧の家庭で虐待を受け、父親はアルコールや博打の依存症で行方知れずとなり、母親は貧しさに耐えかねて家出しています。中卒の集団就職で上京したものの仕事は長続きせず、19歳の時に米軍宿舎から盗んだピストルで4人を殺害し、強盗殺人罪や銃刀法違反の罪に問われ、死刑判決を受けました。

 永山は獄中で読書と勉学に励み、手記『無知の涙』で作家デビューを果たし、小説『木橋』で新日本文学賞を受賞します。そして、一連の作品の印税は永山の強い要望で被害者4人に支払われました(ただし、2名の遺族は受け取り拒否)。

 一審は死刑でしたが、二審の東京高裁判決は、永山が著しく劣悪な成育環境に育ったことに加え、逮捕後に獄中で著述を重ねてその印税を被害者遺族に送金していることを考慮し、死刑から無期懲役に減刑しました。

 しかし、検察はこれを不服として上告し、最高裁は83年に「永山基準」を示し、東京高裁判決を破棄して高裁に差し戻します。87年東京高裁は改めて死刑を言い渡し、90年に最高裁は上告を棄却して死刑が確定しました。

 死刑選択のスタンダードである永山基準は、犯人がいかに劣悪な成育環境の下で育っていようが、獄中で反省と勉学に励んで文学賞を受賞するまでの作家となって印税を被害者に送金したとしても、「死刑を免れない基準」です。

 「検察依存」に傾いた体質を持つ裁判官(前掲書174頁)は、目を見張るように自分を作り直した永山でさえ死刑を免れないとする最高裁の永山基準に従い、若い殺人犯にはほとんど例外なく「更生の可能性は低い」「矯正の可能性はない」として「死刑は止むを得ない」と判決を下すようになってきたのではありませんか。

 冒頭で示した特定少年への死刑判決直後に、「考えることをあきらめないでください」と裁判長が述べた説諭は、死刑判決に「ダメ押し」でくっつけた「いい加減に反省して被害者に謝罪したらどうよ」という空疎で無意味な説教くらいにしか私には思えない。いやっ、はっきり言ってしまうと「上から目線の抑圧的嫌味」にしか聞こえない。

 このブログでは、これまでも生い立ちに重症度の高い親からの虐待が認められた殺人事件について、量刑のあり方や死刑廃止・死刑存置の議論とは別に、虐待や呪いの連鎖を断ち切ることに資する裁判と社会的手立ての必要性を述べたことがあります(2012年2月27日ブログ2022年8月1日ブログ

 特定少年として初の死刑判決を受けた被告も著しく劣悪な成育環境の下で育ちながら、定時制高校の時代は勉学に励み、生徒会長にも選ばれています。ここには、自分の人生の与件である逆境や「親ガチャ」を乗りこえようとする大変な努力があったでしょう。

 しかし、卒業後の希望しない就職先を母親に勝手に決められて、稼働収入を母親に全部吸い上げられたところで、失恋が重なり、将来を極端に悲観し暴発してしまった事件のようです(https://shueisha.online/newstopics/190529?page=2、以下の精神鑑定証人と弁護側証人の証言もこのサイトによる)。

 第15回公判では、鑑定留置時に精神鑑定をした山梨県立北病院の宮田量治院長が証人尋問に立ちました。

 被告には精神的な「病気」はないものの、行為障害や愛着障害、複雑性PTSDといった精神「障害」があると証言。その背景として、夫婦げんかが激しい家庭で育ち、父から体罰を受けてきた反動から弱いものへの攻撃性が芽生えたと指摘。幼いころから昆虫を殺したり、飼い犬を叩いて虐待したりしていたことを挙げ、「この攻撃性が爆発」して事件につながったと分析しました。

 被告と8回面接した文教大学の須藤明教授(犯罪心理学・家族心理学)は、弁護側証人として、「拷問への関心と、失恋、希望しない就職先を勝手に母親に決められてしまったことへの現実逃避が事件の動機。虐待を受けた主人公が復讐するマンガを読み、自分を重ねている印象を持った」と言います。

 更生の可能性について問われると「傷つく経験を整理し、事件に向き合っていくアプローチが必要だ」と証言しています。

 このようにみてくると、被告は「子どもの権利」が剥奪された成育環境の下で育ち、虐待の後遺障害を抱えて「呪いの連鎖」に捕らわれてしまったといえるでしょう。

 1994年に起きた神戸連続児童殺傷事件で、「酒鬼薔薇聖斗」と名のる犯人が報道機関に送りつけた犯行声明文を分析し、子どもの抱える深刻な問題を明らかにした竹内常一の労作『少年期不在―子どものからだの声をきく』(1998年、青木書店)があります。

 この中で竹内さんは、犯行声明文に酒鬼薔薇聖斗の「神」として登場する「バモイドオキ様」は、「やられたらやり返せ、それも殺人を交えて復讐に出よといっているのです。自分が差別されるのであれば、他者を差別してよい。自分の存在が無にされるのならば、他者の存在を無にしてよいといっているのです」と分析します(113‐120頁)。

 この声明文の分析を通して、本当の自分をどんなに探し求めても「ほんとうの自分が抹消・抹殺されるのがつねであるならば、他者を抹消・抹殺するほかない」ことを正当化・合理化する傾向が、現代の子ども・若者のなかに広がっていると指摘します。

 そして、このような子ども・若者の傾向が次第に自覚的なものとなりつつある中で、子どもたちの多くが「『なにをしてもいい、なにをしても合理化・正当化できる』ということを日本の社会から学んできた」といいます。

 その結果、たとえば「喫煙し、火のついたたばこを持っていても、『なんで吸ったといえるんだ。友だちのをあずかっていただけだ』というのです。そのために、事実が消えてしまうのです。…(中略)…事実を確定できないのだから、その行為の意味も問えない」という教育の行き詰まりに直面してしまう。

 「だから、叱ることもできないのです。たとえ叱ることができても、子どもはかぎりなく傷つき、それからかぎりなく逃げるのです。いや、逃げるだけでなくて、場合によっては自殺しかねないのです」と。

 死刑判決を受けた特定少年が高校時代、一所懸命に本当の自分を探し求めても「ほんとうの自分が抹消・抹殺されるのがつねであるならば、他者を抹消・抹殺するほかない」と殺人に走り、公判途中からほとんど話さなくなって自らの死刑を肯定するというある種の「自殺」に傾くのは、竹内さんの指摘通りの運びなのではないでしょうか。

 その一方では、「パーティで多額のお金を集め、政治資金報告書に記載することのない裏金を使っていても、『なんで違法だといえるんだ。会計責任者から自由に使っていいお金ですよといわれただけのことだ』」という開き直りがまかり通っている。

 それは、「なにをしても合理化・正当化できる新自由主義的な生き方の見本」として子ども・若者に提示する日本の現実です。このような現実を学ぶ中で、子ども・若者に「権力的・暴力的なもの」がふくれあがっていくのです。

 特定少年への死刑判決に対して、この少年の生い立ちに虐待を含む成育環境の著しい劣悪さがあるから死刑に反対すると主張するつもりはありません。個人が負うべき罪はそれとしてあると考えるからです。

 しかし、この判決が適用される1983年の最高裁「永山基準」から、すでに40年の歳月が経過しています。当時の、虐待の後遺障害とそこからの更生可能性についての知見は乏しく、個人に問うべき罪と更生にかかわる脳科学を含めた今日的な見解からいえば、すでに時代錯誤な「死刑選択の判断基準」ではないでしょうか。

 被害者に対する配慮を欠いた従来の無関心や酒鬼薔薇聖斗事件の裁判記録をすべて廃棄処分にしてしまうように、わが国の裁判所は、これまでのところ、国民の基本的権利の擁護に資する自律的な問題意識や責任を持つところではありません。憲法の番人としての実態は希薄で、「支配的秩序の番人(というより「飼い犬」程度かな)」に過ぎません。

 永山基準と更生可能性についての再検討を最高裁判所に強く求めるとともに、「更生の可能性が低い」というカビの生えた「決まり文句」を盾に「死刑は止むを得ない」とする判決には、今日的な科学的知見からみて正当性が甚だ疑わしいことを指摘しておきます。

 そして、わが国の「力を持っている奴」の「何でもあり」「やったもの勝ち」の風潮は、ジャニーズ事件、宝塚歌劇団事件、よしもとセクハラ不祥事疑惑などが、子ども・若者の格好の教材となっています。芸能界の「売れたもの勝ち」の影響はすさまじい。

 この風潮に対し、「他者を抹消・抹殺することは罪である」ことを子ども・若者が学ぶことのできる「大人との出会い」を、わが国の教育と虐待防止の取り組みに再構築し、「特定少年への死刑判決」が下りるような事件そのものの発生を根絶する取り組みに知恵と力を合わせる協働が求められます。

川越から見える夕暮れの富士山

 特定少年に対する死刑判決を知り、暮れゆく茜に佇む富士山をしばらくボーっと眺めました。この裁判にホトホト嫌気がさしました。先に紹介した森達也さんの『死刑』(189-190頁)によると、死刑囚に決して自殺されてはならず、刑場で「殺さなければならない」から、死刑執行の告知を当日の朝(執行までの時間は1時間から1時間40分ほど)にしているとあります。

 そして、2002年5月に欧州評議会が死刑廃止を求めて日本の国会議員向けにセミナーを開催したとき、当時の森山眞弓法相は、「日本には死んでお詫びをする文化がある」とわが国独自の罪悪に関する文化的背景から死刑の正当性を主張しました。森さんは「それは一部の武士階級の文化」に過ぎない上に、日本の死刑制度の下で、死刑囚は「自ら死ぬことを許されない、殺されなければならない」存在だと指摘しています。2日間に及んだ欧州評議会のセミナーの中で、森山法相の発言は「ことあるごとに参加者から批判」を受けたそうです(http://www.jca.apc.org/stop-shikei/news/67/semirepo.html)。日本は島国だから、何事もガラパゴス化していく土壌があるのかも知れません。