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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

「あなたのためを思って」型虐待

 今年度、さいたま市では高齢者・障害者の虐待防止に係わる実務者研修を、事例検討を柱にして実施してきました。そこで取り上げた事例の中で特徴的なものの一つに、「あなたのためを思って」型虐待があります。

さいたま市虐待防止実務者研修

 子ども虐待では、例えば、次のようなかたちで表われます。「あなたの将来を思って」「あなたの自立を願って」いるから「勉強しなさい」「習い事に行きなさい」と「お母さんは言うのよ」という強迫的な愛情の投げかけが日常を彩ります。

 このような場面だけを取り出してみると、どこにでも転がっている親子の姿に過ぎないように思えます。ここでは、「あなたの将来を思って」や「あなたの自立を願って」という親の前ふりが子どもの反論する道を封じた上で、「勉強しろ」と締めくくる点に注意を要します。

 つまり、子どもの意見表明する機会を実質的に剥奪した後で、親の「言うことをきかせる」仕組みになっているのです。この「あなたのためを思って」からはじまるメッセージは、子どもを息苦しい境地に追いこみます。

 もし、子どもが親の言うことが聞けなかった場合、「私は(または僕は)お母さん(またはお父さん)の願いに応えることのできない悪い子なんだ」という「やましさ」を子どもに植え付けるのです。そして、「もっと、お母さん(お父さん)の願いに応える子にならなければだめだ」と自分を責めて、ひたすら相手のために生きようとする共依存を産出することさえあるでしょう。

 このような強迫的な愛情の押しつけは、典型的な「不適切な養育(maltreatment)」として虐待(abuse)のグレーゾーンを構成し、このリフレインの密度と内容の強度によっては子どもが不登校や何らかの精神的困難を抱え込んでしまう心理的虐待に発展することもしばしばです。中には、「あなたのためを思ってこうしなさいと言ってきたのに、努力しなかった」からご飯を抜くという「見せしめ的懲戒」型ネグレクトの端緒になることさえあります。

 このようなタイプの虐待が発生する土壌には複雑で深刻な現代の家族問題があるでしょう。一つは、現代の子育てが「親-子」という単線のタテ関係によるもので、ナナメやヨコを含む多彩な諸関係の中で子どもが育まれない問題です。虐待が密室の出来事だという前に、現代の「子育ての密室化」が極限まで進行した点に目を向ける必要があるでしょう。

 二つ目は、家庭における教育内容が極限まで私化してきた問題です。自分の家族だけの、自分の子どもだけの就労と生活の優位性を確保する努力だけが強迫的に煽られるようになり、子どもをその方向に努力させることにのみ親の養育責任があるかのような様相になっているのではないでしょうか。

 もちろん、この背後には、格差拡大や非正規雇用の増大を前に、勤労諸階層が「生活防衛としての自助努力」を余儀なくされる現実があります。貧困化に抗しきれずに生活困窮に陥ったところで法則的に発生する子ども虐待だけでなく、貧困化に抗する生活の営みの中で法則的に発生する子ども虐待があるということです。つまり、「貧困化と子ども虐待」が問題のエッセンスです。

 このような現象をそれぞれの事例に引き寄せて分析してみると、さらに複数の虐待の発生関連要因が明るみに出てきます。自分の達成できなかった「親の夢を子どもに託す」こと、夫のふがいなさ(「うちの人はこれ以上出世できない人」「一生うだつの上がらない人」だとサラリーマンとしてのアドバンテージがないとの判断)に見切りをつけた反動で子どもに過剰な教育熱を注ぐこと、夫・舅・姑などの自分を取り巻く人たちから「できた嫁」「しっかり者の母親」と評価されたいために過剰なしつけ・教育熱を子どもに傾ける等々…。

 いずれの場合も、子どものニーズ・特性・能力に対する無理解がある一方で、自分の思いや都合を優先した子育てとなっていることが分かります。このような構造をもつ不適切な養護・虐待は、高齢者や障害者の領域でも見受けられます。

 努力していい大学を卒業し、大企業を定年退職した息子が、加齢に伴う心身機能の低下の進行する親に対して虐待行為をしています。慢性疾患を抱えるのは「生活習慣病を予防する努力が足りなかったからだ」、要介護状態となるのは「介護予防運動をしてこなかった努力不足のせいだ」等の無理解を前提した上で、強迫的な「愛情」を注ぐのです。「お父さんのことを思って、運動しなさい、外出はするなと言っているのだ」と。

 「世話を受ける者」は「世話をする者」の「言うことを聞くべきだ」という枠組みの源は、親子関係における「子は親の言うことを聞くべきだ」にあり、親の高齢化の進行に伴って親子の力関係が逆転したところで、「老親は介護者である息子の言うことを聞くべきだ」となって発生するようになる不適切な養護・虐待です。

 ここでも息子の側は「親のためを思って」と自己を正当化する前ふりから考えを運びますから、「言うことを聞かなかった」から「お小遣いはあげない」「ご飯は1食抜く」、「勢い余って殴ってしまう」と、子ども虐待とほとんど変わらない虐待発生のメカニズムが明らかとなるのです。

 「あなたのためを思って」型の子どもに対する不適切な養育と虐待は、長い歳月を通して、親子のライフステージの進行によるパワーバランスの変化を潜り、成年期・高齢期の虐待につながるケースを出来させています。