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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

感染症対策は虐待の防止にも通ず。ただし…

 厚生労働省の発表によると、 2019年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待件数は、前年度から21.2%増えて19万3780件(速報値)と過去最多になりました。心理的虐待は10万9118件(56・3%)で、他の種類より桁違いに多いうえ、コロナ禍の影響で面前DVが今後さらに増えそうです。

 また、福祉施設でのクラスター発生の報道も相次ぎ、虐待好発の構図の一層の強まりや、従事者に溜まり続ける鬱憤など、心配の種は尽きません。しかし、施設には家庭とはまた異なる力動関係があり、それが虐待の未然防止のヒントになるのではないか、と思っています。 立脚点の移動の仕方の違いに期待しているわけです。

 健康な人間は、立脚点を適宜、個人内領域と共有領域の間で移動しています。ある領域に立脚点を移動して、そこでの統合にエネルギーなどを消耗し過ぎると、他の領域での統合が疎かになるため、それを防ぐよう自己防衛が働くからです。しかし、何らかの理由で移動の柔軟性を失い、一方の領域に偏ったり、ある領域から戻らなくなったりして固着すると、さまざまな病理的現象を呈します。

 偏向・固着をする理由には幾つかあります。
 第1は、基本的要求の追求です。虐待者はこの典型で、さまざまなリスク要因に囚われて、基本的要求が自己中心一辺倒になっています。

 第2は、他の領域での要求充足の挫折です。絶望し反転して他の領域に偏向・固着します。献身的に尽くしたのに相手に裏切られ、反転して個人内領域に閉じこもるなどです。

 第3は、柔軟な立脚点の移動そのものが許されない場合です。立脚点の柔軟な移動によってバランスのとれた主体的統合を行うと、そこにおける存在や生存の危機を招く状況です。私は、実は感染症対策に継続的に腐心する従事者の現状は、ここに類するのではないかと考えています。

 感染症対策は従事者に、利用者との共有領域ないしそこでの役割遂行を強く求め続け、徹底して利用者の立場に立つ「献身」が体現されます。そしてこの点こそが、従事者の立脚点の個人内領域への偏向・固着(利用者の立場に立てなくなること)の反作用になるという按配です。

 感染症対策下での密室性の高まりは確かに、従事者の個人内領域への偏向・固着を促して性悪さも刺激します。しかし、感染症対策への取り組みに、それを食い止める力があるなら、虐待防止にとってはすごく明るい材料です。

 ただし、従事者の当然の義務だと言うものの、感染症対策への取り組みが過酷に過ぎるなら、従事者の耐性は限界に達し、立脚点が偏向・固着する第2の理由の例同様にならないとも限りません。ですから、従事者の溜まる鬱憤の掻い出しには、ゆめゆめ手を抜くことはできません。

「タダシ、駄菓子のつかみ取り!」
「ネタ切れでまさかの駄洒落?」