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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

真夏の夜の想い出

 私の住む東京は、梅雨が明けて夏本番です。先日は、隅田川の花火をテレビ放送で視聴しました。大画面に映る映像は迫力がありますし、画素数も多くてとても綺麗です。しかも、クーラーの効いた部屋で、冷たいビールと美味しいつまみ。人混みに揉まれることも、場所探しに汗だくになることも、トイレの心配もありませんから、とても快適です。

 ところが、何かもの足りません。そう、「ドーン!」という音が腹にまで伝わるという感覚がないのです。人混みに揉まれながら場所探しに汗だくになって、やっとのことでありついた生ビールの最初の一口の「ク-ッ!たまらん!」もありませんから、ライブ感はゼロです。快適さばかりを優先すると、ライブ感を得るのは難しくなるのかもしれません。

 子どもの頃は、夏休みになると決まって、農家の祖父母の家で花火を楽しんだものです。農家の庭ですから広く、草木も沢山生えていて、日が落ちれば涼しく、時折風でも吹けば本当に気持ちよく過ごせます。そして、「ドーン!」という音を身体で受け止めながらライブで花火を堪能します。

 庭に縁台を出して、採れたてを茹でたトウモロコシや枝豆、井戸水で冷やしたスイカやトマト、キュウリを食べながら見ていたのですが、あるエピソードを思い出します。これらの農作物はいずれも自家栽培で、売り物を作る畑とは別の畑で作られていたことです。

 売り物と比べると、形が歪んでいるとか傷があるとか、見た目は多少劣りますが、味はむしろこちらの方が上です。しかも、農薬を使っておらず安全性もこちらが上です。祖父によれば「都会の人々は見た目が良くないと買わないため農薬を使うが、自分たちの食べる物に農薬など使わない」とのことでした。

 快適さを求めるとライブ感を失い、見た目にこだわると味や安全性を失う。こちらを立てればあちらは立たず、なんとも難しいものです。ところが、「仕事」に目を向けると、かなり絶妙にトレードオフされていることが分かります。

 たとえば、いろいろなメンテナンスの仕事です。メンテナンスは目立たないように行われますから、普段私たちが気にとめません。しかし、この仕事に携わる人がいなくなった途端、私たちは仕事がまったくできなくなってしまいます。

 つまり、私たちは、目につくところだけ見ているのに全て分かった気になりやすいけれど、本当は、目につくことと目につかないことは、絶妙にトレードオフされているのかもしれません。

 この意味で、虐待という事象は、私たちの社会のなかで、何らかのトレードオフがなされた結果だと見ることができます。そして、快適だけどライブ感のない花火や、見た目は良いけれど美味しくも安全でもない作物のようなバランスになっている、というわけです。

 これでは困りますから、私たちは一生懸命、農家の庭先でみる花火や農家の自家栽培の作物のようなバランスを探っているところなのだ、と言えるのかもしれません。

「見た目だけの野菜送ります!」
私「それ嫌だな…」