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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

グータッチ演習

 最近、従事者による虐待防止の研修でよく行う演習があります。普段の支援対象が子ども、障害者、高齢者のいずれかによって異なりますが、まずは、「相手にはこうあって欲しい」と思うことを箇条書きにしてもらいます。そして、このリストこそ、自分自身の二次感情を引き起こす「地雷」の在り処を示している、と気づいて貰うというものです。

 「こうあって欲しい」という相手への期待は、実は、自分では解消できないウィークポイントである可能性の高い部分です。そして、これらに強く囚われていると、そこしか見えなくなります。 コントロールフリークの人々の期待は、命令にまで発展しているので、少々異なりますが、同じような感覚は体験できます。

 参加者にペアを作って向き合って座ってもらい、グータッチするときと同じように、両手を合わせもらいます。このとき、手と手の間には自分たちの箇条書きした紙を挟み、その紙が落ちないように、手を押したり引いたりしてもらいます。

 この状態は、相手に対する期待に囚われた状態であり、他のことは目に入りません。両手がふさがってしまい、他のことが何もできないのと同じです。喉が渇いても飲み物を飲めませんし、肌寒くても上着は羽織れません。

 しかし、何もできなくては困りますから、「両手が使えるようにするにはどうすれば良いでしょうか」と問いかけます。演習の参加者はあれこれ考えますが、答えは至って簡単です。紙を膝の上においてしまえば良いだけだからです。

 もっとも、紙は膝の上にあるのですから、期待自体はなくなっていません。つまり、人に期待するのが悪いのではなく、その期待に囚われてしまうのが問題なわけです。正確には覚えていないのですが、心理学の実験を思い出します。

 ボールに氷を沢山入れて水をはり、その中に片手を入れてもらうと、被検者は冷たさによる痛みを覚え、数十秒も手を入れていられません。ところが、手の痛みについて、いろいろと質問をして答えてもらうようにすると、不思議なことに、被検者は何倍もの長い時間、手を入れていられます。

 要するに、痛みに集中する(囚われる)と短時間しか耐えられないのに対し、質問に答えるために痛みを客観視していると、長時間耐えていられるということです。ですから、自分が人に何を期待しているのか、それを客観視できるなら、二次感情を制御できるのではないか、というわけです。

 「囚われる」ことを言葉で説明するのは骨が折れます。しかし、演習のかたちにすれば実感してもらえるのではないかと考え、こんなことを行っているのですが、最近では、虐待者への対応にも応用できるかもしれない、と思うようにもなりました。

妻「はい、グータッチ!」
夫「本当は殴りたいとか?」