メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

2016 お書き締め

 みっちゃんは、1999年4月にグループホームに入居されてから、ずっと口癖のように「わたしゃね、五年も旦那を看取ってきた」と言っていたが、翌2000年1月1日、いきなり親指を立てて「せんせい、これが待ってるから帰るね」と言い出した。
「これ」っていうのは、親指だから男のことで、みっちゃんにとっては旦那のこと。見事、旦那は生き返ったのだ。

 その翌年、2001年1月1日、他の入居者も交えてあれこれ話をしている最中、旦那のこととか男と女の話になった時に「せんせい、何言ってるんですか、わたしゃ結婚なんかしていませんよ」と言い出した。つまり、旦那の存在そのものが消えてしまったってことだ。

 僕は「記憶障がいの逆進性」について話すときは、この話をさせてもらう。
「旦那を看取ってきた(死んでいる)」→「旦那が待っている(生きている)」→「結婚していない(存在しない)」というみっちゃんの話は、逆進性を実にわかりやすく説いてくれる。

 ただ、未だにわからないし知りたいのは、みっちゃんにとって旦那の切り目が「1月1日」だということ。やっぱりお正月は何か特別な「チカラ」が働くのかね。

 みっちゃん以外にも、早朝から「保育園に連れて行かないといけないのに、あの子はどこにいったのかね」と30歳は過ぎている娘を探しまわる人、若い女性職員を自分の妻だと言い切る人まで、人としての豊かさを感じさせてくれた人たち。

 この時期になると思い返す「記憶障がいの逆進性」を説いてくれた人たちのことを。

 僕は「認知症という状態」に出会えていなかったら、その状態にある人たちに出会わなかったら、ここまで「介護」というものにのめり込めなかったと思う。それほど大きな存在「婆さん」なのだ。

 今年最後のブログにあたり、改めて「婆さん」に感謝して書き締めとしたい。
 僕のブログを見ていただいている皆さん、今年一年お世話になりました。本当にありがとうございます。
 2017年、生きて迎えることができますよう、お祈りしていただければ幸いです。

 よきお年をお迎えください。


2016年12月26日
わだ ゆきお

※僕にとって「婆さん」とは、認知症という状態にあるすべての人々の総称であり、尊びの言葉です。

山形の日本酒「和田来(わたらい)」


 僕の名前は短絡「和田行」ですから、これと出会うのもご縁でしょうかね。
それにしても旨い酒でした。
 創業350年の蔵から出てきたお酒で、コストパフォーマンスが非常に高いようです。
ぜひ年末年始の人時、皆さんでご賞味あれ。
 創業61年の「わだゆき」も忘れないでね。