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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第64回 秘書代行から親の看病を経てヘルパーに 
人が好きな私にとって天職です

あっぱれな最期

 現在は、グループホームで働いています。最高齢の108歳の方が亡くなったときは、本当にお医者様と私たちスタッフと家族の方、ご本人様が、ターミナルケアをどうするのか、最期の瞬間をどういうふうに迎えるのかを話し合ったんです。その方は、思いが通じ合うことができる方で、「病院には行きたくない」、「薬はいらない」、「何もしない」、「ここで」、最期を迎えるという。

 その方の場合は、本当にあっぱれでしたね。ご家族の方も本人の思うままにということで、スタッフも含めてみんなでご希望に沿うようにしました。それから2か月後くらいの朝方に亡くなったんです。その日は勤務ではなかったんですが、同僚が「今、逝ったから」って電話をくれて。10分くらいですぐに駆けつけて、抱きしめたらまだ温かいんですよね。お迎えの業者さんがいらして出て行くときもスタッフみんな揃って拍手で見送って。そういった瞬間に立ち会えたことがすごく宝だなと思います。お一人おひとりのいい状態での送りをしたいなって思いますね。

その人の立ち位置に寄り添うことで接点が見えてくる

 補聴器の店で働いているときのことです。耳の聞こえない方に接するときに、聞こえないということは私たちにはどういうことかがわからないですよね。でも実際は、耳をふさいだら、聞こえないというのはわかります。聞こえない状態をあまりにも長く経験されている方は、聞こえないということがどういうことか逆にわからなかったりするんですね。そうすると、テレビのボリュームを思いっきり上げることで聞こえます。聞こえる音を36くらいにするとします、それを下げていって、私たちは12くらいで普通に聞こえています。これが聞こえている状態です。

 補聴器を付けていただいて、そのレベルまで下げて、「聞こえていますか? これが日常の聞こえるというレベルです」とお伝えします。「お客様の場合は、“火事だー”というときに、どんどん大きな声で周りの人が叫んだとしても聞こえないと命に関わります。やはり、聞こえる、聞こえないは、命と隣り合わせ。聞こえることを大事に考えて欲しい」とお伝えしながら補聴器をおすすめするんですね。どういう状況であっても、その人の立ち位置に寄り添うことで接点が見えてくるかな、というのがこれまでの仕事で得た経験が、プラスアルファで今の介護の仕事にもつながっていると思います。

自分で言うのもなんですが、天職だと思います

 実はずっとパートで働いています。社員ではないんです。なぜかと言うと、夜勤をやってしまうと、絶対に体を壊してしまうから。夜勤中、利用者のことが一晩中気になってしまって休憩も取れないと思うんです。なので、ずっと昼間のパートで介護の仕事を続けています。夜勤をしていないとは言え、気にならないかというと嘘になります。でも、リフレッシュできるようにできる限り、切り替えるようにしています。

 「世界が終わるときにどうしたい」と友だちに聞かれたとき、104歳の方がいらしたんですけど、「その人を抱きしめて守りながら死ぬの」と言ったら、「それって悲しくない?」って言われました。でも、それしか浮かばなくって。もう愛おしくてならないんです。天使だなって思いますものね。顔を見た瞬間に、ふにゃーってなってしまって。裏を考えなくていいんですね。裏表がないので、素のまんまで過ごすのが楽。何を考えているんだろうと思うこともないので、利用者さん大好きです。どちらかと言うと、癒されに行ってるかもしれません。本当にそのまんまで来てくれるので、こちらもそのまんまでいられる。楽ですよね。こちらが助けていただいていますね。そのほうが多いと思います。自分で言うのもなんですが、天職だと思います。すごく毎日が楽しいですね。

地域とのつながりを持って行きたい

 今の若い子たちを育てるのはすっごく大変なんです。今の悩みの種はそこですね。業界全体の給与水準が低いことで人材が揃わないというのを痛烈に感じます。日本はもう少し深く考えてあげていって欲しいと思いますね。嫌なことばっかりじゃなくて、すごく素晴らしい仕事なんです。だからこそ、切に思いますね。

 今は人手不足でやりたいことができないジレンマもあります。もっといい状態に改善していく余地はあると思っています。今の施設で働こうというなかで、地域とのつながりを持って行きたいと考えているんです。私たちが散歩にお連れするときも周りの方にも挨拶をして、顔を覚えていただき、そうした地域のつながりをしていきたいと思うし、施設のイベントでも地域の方に遊びに来て欲しいですし。地域に根ざしたネットワークにしていけば、もっと楽しいだろうし、お互いに私たちばかりではなくて、こちらからも地域に対してできることをやっていくことができたらと思います。そこから何かが広がっていく、そういうことをしていきたいですね。「ああ、あの施設は楽しそうね」と言っていただけるようにしていきたいです。それが今の夢です。

 主人が亡くなってから、あっという間ですね。なんだかんだと。主人が亡くなるときはいろいろあって、パニック障害になってしまったんです。どこにも出て歩けない、電車も乗れない、人にも話せないぐらいだったのに、介護の仕事はできるんですよ。そこには、私の居場所、もう世界があるんでしょうね。自分にとって、介護の仕事は本当に救いです。恩返しをしていかなくてはという感じですね。動ける限りは、介護の仕事を続けていきたいですね。

インタビュー感想

 珍しい苗字の盡田(つくしだ)さん。3年半前にご主人が血液のがんで亡くなり、青山の姓から盡田に戻したそう。「新たに、生き直したい」という強い思いと、長く続けている琴では、盡田を名乗り、「自分の中で、その姓へのこだわりがあるんです。これから先、自分らしく、納得のいく人生を送りたいと思って盡田を名乗っています」と話す笑顔が印象的でした。

【久田恵の眼】
 親の介護体験が介護への関心への入り口になったという方は少なくありません。介護の世界をもっといいものにしたい、そうすべきだとの思いも強くなるのですね。「癒しとしての介護」、探求しがいのあるテーマです。