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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第65回 ファアミレス店のスタッフから介護職へ 
ケアマネジャーは、自立力と人間力がつく仕事だと思います

小笹 ちえみさん(48歳)
アミカ港介護センター(愛知・名古屋)
居宅介護支援事業所管理者
ケアマネジャー

取材・文:久田 恵

積み重ねた体験が勝負です

 ケアマネジャーの仕事に就いた最初の頃は、分からないことばかり、壁にぶつかってばかりでした。5年目くらいから、やっとなんとかできるようになったかな、と言う感じ。この仕事では、一つひとつの具体的な体験が重要です。体験が直接自分の身に付きます。担当した方それぞれのケースに成長させられていく、そういう仕事だと思います。

 最近のことですが、膀胱がんで、心臓にも問題があり、パーキンソンも、というように、いろいろな病気を抱えて入院されている方がおられました。その方は、最後は自宅で、と強く希望されていました。病院からは、「すぐに在宅介護ではなく、いったん、老健に移るなどワンクッション置いてから、自宅に戻った方がいい」と勧められていました。ですが、ご本人が、「それは絶対嫌、不安だ」と言い、奥さんも「自分が自宅で看るから」と言われていました。それで、なんとか当人の希望に添いたいと、訪問診療の先生、訪問看護の看護師さんに頼んで、関係者一同が集まって、チームを組みました。ご本人には「みんなでやりますからねえ」と入院先から自宅に戻っていただけました。介護する奥様も支援しなくてはならないので、デイケアとかマッサージとかいろいろなサービスをつけて、毎日、誰かが行って様子を見られるようにして、なんとかチームの力で介護をやりぬいています。
 これができると、当人が望む介護をしてさしあげることができて、すごくよかった、という達成感を得られます。
 以前よりも、病院から自宅へと望まれる方が増えています。病院に入院している方が「家に帰ってお風呂に入りたい」と願ったり、「家で死にたいんだ」とおっしゃる声を聴くようになりました。
 ケアマネジャーは、ご本人や家族の方の希望にそって、介護のコーディネイトをします。ですから、自分が地域の介護に関するいろんな、そしてたくさんの情報を持っていないとできません。体験を積み重ねて、どれほどたくさんの情報のポケットを持っているかが勝負です。それが担当した方の望む介護をかなえていく方法だと思います。

介護職を選んだきっかけは、家族の介護でした

 私は、結婚後、子育てが一段落したころからファミレスで働き始めました。六年ほどたった時、父親が脳梗塞で倒れ、母と私でヘルパーの資格を取った方がいいということになったのです。最初はファミレスと訪問介護の仕事を交互にやっていましたが、どっちをとるか、天秤にかけたら、自分のためにも家族のためにもなるのは「介護かな」と思ったのです。
 その後、舅が肺がんになりました。義母も入院、夫は単身赴任という事態となり、義姉が夜は介護に来てくれると言うので、私が仕事をやめて、日中は通いで義父の介護をし、在宅で看取りました。その時、かかわってくれたケアマネジャーさんを見ていて、自分もケアマネジャーになりたいと思ったのです。

 現在所属しているアミカから誘われ、入社後に資格を取り、訪問ヘルパーからケアマナージャーの仕事1本で働くようになりました。
 最初は上司の姿を見て、キャリアを積んで、ようやく仕事ができるようになったのです。

私にはもうこの仕事しかないな、と思うようになりました

 実は、いろいろあって、最近離婚しました。子どもは、みな成人し、末の子も結婚。近くには住んでいますが、自立しました。母親業も一段落、私も一人で自立してやっていける自信ができたので人生を変えました。時間を気にせずに仕事に打ち込めるのが、とても楽です。
 今、受け持っているのは、要支援の方が7人、要介護の方が32人です。一か月で利用されている方の家を全て訪問します。一日、まとめて8か所も回ることがあります。一件一件、記録を残します。この他、要介護認定の確認や更新、介護保険の請求業務もあります。
 むろん、担当するお客さんのクレームや要望にも対応します。紹介した施設を出たいとか、デイサービスが合わないとか、ご本人からも家族からもいろいろあります。その時々で、話を聞いて、じゃあ、別のところいってみる? とか、どこへ行っても同じだから、もう少しがまんしてみない? といった感じで調整をしています。その人、その人によって違います。
 デイサービスなども、今は選択の余地ができてきて、いい加減なサービスを提供している施設には、お客さんがこなくなるような時代になったと実感します。ただ、デイサービスなどを替えると認知症が進行したりもするので、そこは慎重にやらないといけないと思います。
 ともかく、注文の多い方もいて、調整するのはなかなか大変ですが、相手に理由をしっかり話して、理解してもらう。紹介する介護施設の状況もよく知っておく必要もあります。

優秀なケアマネジャーを目指すと、人間力がつきます

 ケアマネジャーという職業は鬱になりやすい、と言われています。そうならないために自分なりのストレスの発散の仕方を豊富に持っていることが大事です。でも、うまくいった時には達成感はすごくあるので、それが仕事の楽しみや大きな喜びとなります。
 最近私は、考えを切り替えて、施設と当人、家族、合わないものをあまり調整するのではなく、ほかに移るとか、替えるとか、煮詰まったら、視点を変えるとか、フレキシブルに考えていいんだな、と思えるようになりました。
 そして、ぽろっと言ったことが、とんでもないことになることがありますから、感情にまかせて怒ったりしないこと、いきなりは相手に言わないで、物事を進める、そんな方法が身についてはきました。失敗から学び、学びして、自分なりの方法をみつけていく必要があると思います。
 私は、感情的になりやすい性格なのですが、ケアマネジャーをやっているおかげでだんだんと怒らなくなってきました。失敗したら、まず深々と謝る、これが一番大事だと知りました。それで、その方も納得します。「弁解は後、すぐ謝る」、それ承知していると、たとえ頑固で好き嫌いが激しい方も、受け入れてくれやすいわけですから、自然と私のノウハウになりましたね。人それぞれが、好みがまったく違うことも身に染みました。おっとりした人が好きとか、てきぱきした人が好きとか。
 利用者の方は、おおむね地域包括支援センターでケアマネジャーを紹介されてきますが、私は「優しめの人」のカテゴリーに入っているそうなので、そういう人がいいと言われた方を担当することになるので、「優しめ」で対応しないといけないと思っています。

「ケアマネはね、パソコンは必須科目。それと、電話対応、これが大事ですね」と小笹さん。

【久田恵の視点】
 ケアマネジャーは、介護を受ける方や家族の希望にそって、介護のコーディネイトをする仕事。介護保険制度を利用する方にとっては、どんなケアマネさんと出会えるかで、その後の介護生活が左右されてしまいます。「当事者優先」のスタンスこそが、ケアマネジャーの仕事の神髄だと改めて実感させられます。