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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
terada@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第54回④
居場所「カドベヤで過ごす火曜日」代表 横山千晶さん
「居場所」という生ぬるいことばで語れない
感謝の気持ちを込めて「開け続ける」

居場所「カドベヤで過ごす火曜日」運営委員会代表
慶應義塾大学教授
横山千晶(よこやまちあき)
福岡県北九州生まれ。2010年に大学生と横浜・寿地区の人々との出会いを目的に、キャンパス外活動「動く教室」をカドベヤ拠点に開始。2012年3月の文科省の事業終了後も、自主事業として活動を継続。「つどおう・かたろう・ことを起こそう」をモットーに、スペース「カドベヤ」にてワークショップと夕ごはんを共にする「カドベヤで過ごす火曜日」を主催している。専門は、19世紀ヴィクトリア朝のイギリスにおける社会思想。

 取材・文 毛利マスミ

―前回はカドベヤの活動内容についてうかがいました。今回は、課題とこれからについてお話を聞かせていただきます。

―活動のなかでは、予想外のこともたくさんあったとうかがいました。また、現在課題だと感じていることを教えてください。

 2020年からのコロナ禍で、参加者の人数が減り、常連さんも来なくなりました。やはり、狭い空間ですので密になる恐怖というのはあると思います。家族にご高齢の方がいらっしゃる方もいますので。それに、一度離れてしまうと、戻るきっかけを失ってしまうこともあります。もちろん新しいことをはじめた方もいらっしゃいます。カドベヤでは、そうしたみなさんにもメーリングリストを使って情報は伝えていて、「自分が来ない間もこの場所は開いている」……そのうちに、「火曜日だからカドベヤをのぞいてみようかな」ということで、顔を出してくださる方もいらっしゃるんですよ。この場に来ることができなくとも、こちらが送る情報にお返事をくださる方もたくさんいます。多くの方々に支えられているな、と実感しています。

 本当にヘルプを必要としている人を救えないこともたくさんあります。実際に、参加者さんのなかには亡くなってしまった方、お体を相当悪くなさっていたのに気づかず、救えなかったこともあります。「参加者さんには介入しない」とお話したことと矛盾するし、すべての人に気配りをすることは非常に難しいのですが、やはり「なにかおかしいな」と感じた時には、こちらから介入することもしないといけないことも、13年の活動のなかで学びました。
 今日、元気に参加してくれている参加者さんにも、体を悪くしてほしくないから、たくさん一緒に笑っておいしいものを一緒に食べて帰ってほしいと願うのです。

 あとは、やはり繰り返しになりますが持続性の問題です。
 この部屋は賃貸ですので、いつ契約を切られるかわかりません。しかし、カドベヤは「居場所」という生ぬるい名称で語られる場所でもありません。皆さんにとって、週一度でもここに、ときに努力して通うことは、自分の役割を確かめることであり、私たちにとってごくふつうの、だからこそ何にも代えがたい「日常」の数時間を安心して過ごすことでもあるのです。
 「貧困」と「困難」が生きづらさを生み出します。そうしたなかで、祝日でも毎週火曜日にそこに行けば見知った顔がある、話ができる。何かを表現できる、きちんと食事がとれるという場所は、参加者が互いを見守る場所になります。そして何年も会わなかった人がこの場を覚えていて、戻ってくることがある。居場所は、待つ場所でもあるのです。
 大学の授業もオンラインでおこなわれ、仕事もリモートでする時代です。だからこそ、この場所に足を運んで集まり、時間を共にするということは、今まで以上に価値があることなのではないでしょうか。

―カドベヤのこれからと、大切にしていることを教えてください。

 とにかく「開け続ける」ことに尽きます。もちろん、いつかはこの場所もなくなるときがくると思います。そうしたら、また別の場所ができればいいなって思っています。場所は永遠のものではありません。ここがなくても、この場所で得たものを他の場所に持っていかれればいいと思います。また、それをやるのは私でなくてもいい。

 私は21時半、夕ごはんの片づけと部屋の掃除が終わってドアの鍵をかけるときに、必ず「ありがとう」という気持ちで終えるようにしています。きょう、足を運んでくれた参加者さんや料理をつくってくれた庭田さん、協力してくれた人たちへの感謝。そしてここにいる人もいない人も含めてこの場所を今まで支えてくれた人たち。そうした仲間とのあれこれも思い出しながらこの場所と時間に感謝します。きょうも無事に終えられてありがとうという気持ちが、また来週ここに戻ってくるよ、という気持ちにつながっています。

この日の参加者11名による書き初め。横山さんの語る「続ける」「共に」「食べる」を象徴する文字が並んでいたのが印象的だった。

【インタビューを終えて】
とにかくやさしく迎え入れてくれる場所でした。横山さんのきめ細やかな配慮に、初めて訪れた私も、わが家のようにくつろがせていただきました。そして、そのあたたかさの背後にあるのは、「〈居場所〉という生ぬるい名称では語れない」決意だと知りました。一貫して語られたのは、とにかく「続ける」こと、そして命をつなぐ場所であるということでした。じつはインタビューの開口一番に、軽々しく「横山さんにとっての居場所とはなんですか?」と、聞いてしまった私。厚顔無恥な自分をいまでも恥じています。
【久田恵の視点】
戦後の家族は解体へと進んでいきました。それは止めようもない現実。でも、週に一度でも、「誰かと会い、共に美味しいご飯が食べられる、そういう場所がないと、生きていく力を喪ってしまう」ということ。「カドベヤ」の活動は、そのシンプルにして大切なことをあらためて気づかさせてくれますね。