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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
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花げし舎ホームページ:
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プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第20回③ 大滝徳子 Underline代表取締役社長
シングルマザーとしての子育て体験が、
「みんなの食場」を立ち上げる理由の一つに

株式会社Underline代表取締役社長
大滝徳子(おおたき のりこ)
1968年生まれ。インテリアコーディネーター、メンタルヘルスカウンセラー、インテリアセラピスト。20代で横浜ランドマークタワーの構造設計に関わり、以降、建築・インテリアの分野で活躍。働きながらの子育てを通して、行政の支援を受けられない発達障害グレーゾーンの子どもやシングルマザーに対しての社会の仕組みづくりの必要性を感じて、2015年に子ども食堂「みんなの食場」を開業(現在は休業中)。現在は本業の建築の現場から、老朽化が進むマンションに暮らす高齢者の課題解決にも取り組む。


  • 現在休業中の「みんなの食場」を運営する人を募集中。
    株式会社Underline underline.jibunz@gmail.com

取材・文:毛利マスミ


 前回は、立ち上げの費用や営業の実際についてお伺いしました。今回は、大滝さんがご専門の建築に進まれたきっかけなどについて伺います。

──ご専門の建築に進んだ理由を教えてください。

 小学校の時に、ダウン症の友だちがいました。たとえば体育のリレーで、1人100m走るところを彼女が50mしか走れないのなら、走るのが得意な私が150m走る――このように互いに助け合うことを当たり前に過ごしてきました。ですから、彼女が中学校は特別支援学校に進むと聞いた時にとてもショックを受けました。「なぜ一緒に学ぶことができないのか」と。
 こうしたことをきっかけに、将来は盲導犬や聴導犬の訓練士になりたい、と思っていました。ところが高校への進路を決める頃、アメリカでは「バリアフリー」という概念があることを知り、「これだ!」と思いました。当時は、バリアフリーというと建築がメインでしたので、迷わず建築科のある工業高校に進学しました。
 しかし、卒業時に技術専門職の女子の採用枠はありませんでした。それが納得いかなくて、「よし、では会社が欲しがる人材になってやる」と、一念発起してアメリカに留学。帰国後は、大手ゼネコンで念願の構造設計部門に就職し、横浜のランドマークタワー、新宿の都庁の構造設計にも関わらせていただきました。しかし、当時現場は24時間体制で動いていて、心身ともに疲れてしまい退職。再び渡米して女性の働き方について考えました。

 アメリカでは、自宅での終身医療を中心としたインテリアセラピーを知り、帰国後はインテリア商社に就職。出産を機に退職し、インテリアコーディネーターの資格を取得。フリーランスのコーディネーターとして、子育てとの両立を図りながら、2人目を出産しましたが、その直後に主人が失踪し、「シングルマザー状態」となりました。しかし、行政からは「一人親」とは認められず、支援が受けられない状況でした。インテリアコーディネーター、英会話教室講師、工務店で働きながら、2人の子どもを育てるのに必死でした。
 しかし、このシングルマザーとしての子育て体験が、その後、私が「みんなの食場」を立ち上げる理由の一つになりました。エアポケットのように行政の支援が届きにくい、「一人親になれないシングルマザー」や障碍者手帳の持てない軽度障害者、年金がない高齢者など、みんなが社会の一員となる仕組みづくりをしたかったんです。

──その後もフリーランスで活躍されたのでしょうか。

 

 そしてちょうどこの頃、時代の潮目が変わったことを感じました。2000年前後から「女性が家を選ぶ」ようになってきたんです。それまでは、やはりマンションでもご主人が選んでいたと思うのですが、この頃から急激に奥さんが使いやすいキッチン、女性が暮らしやすいことに重きが置かれるようになってきたのです。そうすると、女性の視点でアドバイスできるプロは貴重な存在となっていきますよね。
 それで構造からインテリア、顧客対応までこなせる数少ない人材ということで、ヘッドハンティングで再び大手ゼネコンに8年勤めました。そして三男を出産しますが、子どもの入退院が多く、退職を希望したところ、会社の方から外部委託の提案を受け、自分のポジションをそのまま移行して外部で仕事が出来るようにして頂きました。
 こうして振り返ると、めまぐるしい人生ですね(笑) でも、私は本当に仕事には恵まれていました。
 東京オリンピックを境に建てられた第1次、第2次マンションブームの物件が築30年を迎え、その老朽化が社会問題になってきたのも、ちょうどこの頃で、例えば、高齢者が一人暮らしをしているマンションで配管が折れて部屋中が水浸しになるという事案がそこかしこで起こり始めたのです。
 濡れた家具を動かすこともできずに困っている高齢者も多く、また、配管はマンション全体の問題でもあったりするので費用の面でも大きな課題となります。
 そうした問題が起こったときに、男性が高齢者の家に行って話を聞くのと、女性の私が行くのでは、女性の方が喜ばれるということもあって、管理組合さんから修繕についての相談を数多くいただくようになったのです。

──ありがとうございました。
次回は、建築の現場から見えてきた課題や「みんなの食場」のこれからについてなどをお伺いします。

「建築の現場では、高齢者の抱える社会的課題がよく見える」と大滝さん。