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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


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花げし舎ホームページ:
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プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第7回② 園 吉洋 デイサービスセンターめぐみ(株式会社ライフパートナー)
当たり前の接し方をするだけで、
どんどん元気になっていくお年寄りが、愛おしい。

デイサービスセンターめぐみ(株式会社ライフパートナー)
園 吉洋(その よしひろ)
1982年生まれ
人間らしいあたりまえの生活を支えたい、よいケアを届けたいとの思いから2008年25歳で起業し、定員10人のデイサービス「デイサービスめぐみ」を開所。その後「デイサービスめぐみ東大町」、2015年には、有料老人ホーム「アルカディア」を開所した。今年12期目を迎える、株式会社ライフパートナーの代表取締役。現在はアンガーマネジメントやコーチングを学んだ経験を活かし、メンタルコーチとしてセミナー等でも活躍中。


取材・文:原口美香

──前回は起業するまでの経緯について教えていただきました。
今回は実際に「デイサービスめぐみ」を開所されてからのことを教えてください。

 僕は看護学校にいた時に、特養で介護のバイトをしていました。ずっと現場でやっていたんです。起業する前には通所の管理者もやっていたんですけれど、現場が好きなので、事務仕事は相談員に任せたりして、ひたすら現場に出ていました。だから介護に全く不安はなかったですね。

 始めて半年くらいは、利用者が1人、2人くらいでしたが、泊りのデイサービスも始めて、一年過ぎたくらいからは、10人定員のデイが満床になりました。

 通所の管理者をしていた時に、外で営業をしていた経験もあったので、地域のケアマネジャーの知り合いがたくさんいたのです。「自由に過ごす日課のない通所をはじめました」と声をかけて、その繫がりで、紹介をいただくことも多かったですね。

 立ち上げの時によくあることなのですが、介護度4とか5とか、結構重度の方を紹介されやすいんです。僕はもともと機械浴が好きじゃなかったし、口から食べられるんだったら、食べさせられるだろう、座れるんだったら、トイレも座れるだろうって思いがずっとあったので、そういうふうにしていきました。お年寄りが嫌がることはしたくない。人間らしい暮らしをしたいよね、話せば通じるんだ、って。それが、愛おしいんですよね。そんな当たり前の関わりをするだけでどんどん元気になっていくんです。病院で寝たきりだったのに、ここにきて元気になっていく。その関わりが生活リハビリだったことをのちに知りましたが、当時は、目の前の認知症のお年寄りに振り回される日々を面白く感じていました。

 最初はパートの方が4、5人くらいで正社員はいませんでしたが、一緒に働くスタッフには、お年寄りに自由にしてもらうことが非効率に見えて、その頃から面倒くさいやり方だと思われていたと思います。

──経営は順調だったのですね。

 実は、運転資金は半年で底をついちゃったんです。経営をしたことがないので、収入と支出が分からなかったんですね。例えば社会保険料が出ていくこともよく分からなかったし、細かなことで言えば、コピー機のリース代、紙代、文房具やガソリン代など、そういうところも最初から切り詰めていかなければいけなかったんでしょうけれど、そういうことは何も考えないでやっていたんです。

 それ以上は借りることができなかったので、まず、自分が泊まりました。自分が昼も夜も現場に入ることで一番大きな人件費と夜勤が埋まる。少ない人数で現場を回すようにしたんです。2か月くらい会社に泊まっていましたが、夜勤という感覚はなくて、一緒に住んでいるという感覚でした。マニュアルや日課もなく、まったりと過ごしているので、介護をしているのかどうかも分からない。夜になった、ご飯出そう。トイレなんだな、じゃ行こう。そんな感じでした。

 それと、ファクタリング制度を利用したんです。通常、介護保険は2か月遅れで入金になるのですが、その制度を利用すると、すぐにお金が入ってくるんです。入居者は来ていたので、タイムラグさえなければ回していけるなと。

 料理も、包丁もほとんど握った経験もなかったけれど、一人暮らしが長かったので、なんとなくはできる。多い時は20人分の食事を作っていました。お年寄りに味見してもらえばいいなと思っていたので、あまり不安はなかったですね。「どう?」って食べてもらって保険をかけて「うまいですよね? うまいですよね? さっきうまいって言ってましたもんね?」って言うと後のみんなももう。そんなふうにノリでやっていたような。おかげで今は、魚の三枚おろしもできるようになりました。

 その後、もう一つくらい増やしたいと、2010年に「デイサービスめぐみ東大町」を開所することにしました。手狭になったため、新たに場所を探していたところ、平屋が4軒並んでいるところが空いたんですね。4軒のうち2つをデイに、その両隣で泊まりができると思ったので、4軒まとめて借りて移転しました。

──ありがとうございました。
次回は、有料老人ホーム「アルカディア」を開所した経緯などをお話ししていただきます。

大事にしたいのは、過去よりも未来よりも、今