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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

 皆さんにも「自分が今に至った源」があるかと思います。
以前、研修会で「和田さんの思考の原点はなんですか」という質問を受けたことがあり、「源」を意識するようになりました。

 その直後に自分史を振り返ったとき「これが源かもしれない」と思えたことに行きつけましたが、それで「源探し」が止まってしまったわけではなく、ずっとそれ以来「源」を探しています。

 僕が所属する法人で「職員通信」というものを発行させてもらっていますが、業務に関することだけではなく、僕のことを知ってもらうために「和田さんの履歴」と題した記事を載せていて、今「中学三年生あたり(51年前)」を載せています。
 それを思い返しながら書いてわかってきたことは、やっぱり自分に影響を与えたことしか記憶に残っていないということです。
 つまり、「源探しの旅」をしているということですが、今回は、その記事を掲載させていただきます。

和田さんの履歴

 中学三年生になってアルバイトで貯めたお金でカメラを買いました。大好きな蒸気機関車の写真を撮るためで、初めてのカメラは「YASHICAエレクトロ35」というコンパクトカメラでした。

 フィルムを購入⇒写真撮影⇒カメラ屋に現像に出す⇒数日後ネガになったものを取りに行く⇒そのネガを蛍光灯に当てて出来上がりを想像して写真にするコマを選ぶ⇒再びカメラ屋に出す⇒数日後の出来上がりを待つ(フィルムやネガ、現像も死語になってきましたね)。

 それなりの時間とお金を費やして1枚の写真を待つワクワク感は、撮ってすぐに見ることができる時間軸が発生しないデジタル世代にとっては考えられないことでしょうが、僕にとっては「時間軸が発生するワクワク感」が失せた今は寂しい限りです。もちろん、便利にはなりましたがね。

 一台のカメラを手にした僕は、北海道の雪原の中を走る蒸気機関車、石炭を満載した長蛇の貨車を引っ張る九州の蒸気機関車、荒れ狂う海のそばを行商のお母ちゃんたちを載せて走る津軽の蒸気機関車、紅葉あふれる山あいの鉄橋を渡る蒸気機関車など、全国各地で活躍する蒸気機関車たちの生き生きとした姿が瞼に浮かび、会いに行きたくていてもたってもいられなくなりましたが、それを存分に実現できたのは高校生になってからでした。

 今でも、山口線や秩父鉄道など何か所かで蒸気機関車は走っていますが、どうも観光化された蒸気機関車には気持ちが向かないんですね。それは僕が、人々の日常生活に根づいた蒸気機関車の姿が大好きだったからなんでしょう。

 僕がすすめてきた「グループホームにおける日常生活への支援(ふつうの暮らし・生きる姿の取戻し)」の源は、この「生活に根付いた姿」にあるのかもしれません。

 たった一台のカメラですが、それが僕の行動範囲を日本各地まで広げ、広がったことでしか得られない経験をたくさん積むことができましたし、思考の幅をグーンと広げてくれた気がしています。

追記

 右腕上腕二頭筋炎症の痛みや、それによる生活の不自由さががなくなってきました。
 続けてきたストレッチの効果かもしれませんが、僕が思う理由は、右腕が痛いにもかかわらず親父を魅せるためにちびっ子たちとやったバドミントンで、右腕を無理に使い別の部位を傷めてしまったことで、元の部位の傷みが軽減できたことではないかと思っています。つまり、縮んでいた箇所の筋肉が伸びたのではないかと。
 痛みは右腕全体に広がりはしましたが、おかげでパソコンをタイピングできるようになりました。怪我の功名ってやつですかね。

写真

 地域にもよりますが名古屋でも秋が深まってきました。
 先日公園にちびっ子たちと遊びに行ったのですが、雑木林の中に「秋色」を見つけました。植物の名前はわかりませんでしたが、緑の中にポツンと「秋色」が太陽のスポットライトを受けて輝いていました。

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