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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

貴重な人々


 今年一年、ありがとうございました。
 今年四月、五島列島沖海中80メートルに携帯電話が旅に出てしまったまま海底探索に邁進しているようで帰って来ず、貴重な人々のデータが手元から消えました。
 新しい電話機に変わった五月、今度はこいつがまさかのバンジージャンプに挑戦。あえなく失敗して頭の角をぶつけてしまい、再び貴重な人々のデータを失いました。

 アクティブ過ぎる携帯電話たちに翻弄された一年。貴重な人々のデータを失ったままの状態が続き、辛うじて連絡をくれた人々のデータは戻ってきたものの、多くは今でも「電話待ち・メール待ち状態」で、年賀状やこのブログを通じてデータ回復を果たしたいと願っています。

 僕の携帯電話に潜んでくれていた「貴重な人々」は、東日本大震災・熊本地震の時にたくさんの人々を救ってくれた「ほんまもんの貴重な人々」です。
 一年に一度データを使って交信し合うかどうかの人々ですが、イザ鎌倉・非常時に「いくぞ!」って発信すると、ものすごいパワーを発揮してくれ、僕はそのパワーにのっかって災害支援に向かえたのですが、今どこかで災害が起こり、気持ちは支援に駆けつけたいと思えても、僕の後ろ盾になってくれるこの貴重な人々が携帯電話の中にいないので、これまでのような力は発揮できないでしょう。
 これを読んでくれた「貴重な人々」よ、すぐに僕にメールを贈ってください。よろしく!!

 さて今日で今年が終わりますね。

 1955年誕生から数えて64回目の僕にとっての大晦日です。小学四年生から就職するまでは年末のアルバイト、1974年社会人になって2003年僕が所属する現法人までの大晦日は、ほぼ毎年夜勤仕事をしていたので、大した思い出話はないですが、ぼくにとって一番思い出深い大晦日をあげるとしたら、1999年12月31日です。

 1000年に一度しかない、誰もが100年生きても経験できるわけのない変わり目の夜、僕はどこで・誰と・何をしているんだろうかと学生の頃から夢見て過ごしてきたにもかかわらず、何とその日もいつもと変わらずの夜勤仕事で、グループホームで婆さんと一緒に、その歴史的瞬間を迎え、その時は愕然としましたが、敬愛してやまない婆さんと共に、何十年も夢見た夜を伴にできたことは、その後の僕にとって誇りになりました。

 今夜も日本中で婆さんと一緒に年越しを迎えている介護職たちがいますが、皆さんのおかげで、認知症になった身内のことを気にかけつつも家族・友人・知人で初詣に行けている人や、酒喰らって年越ししている人や、家族団らんで蕎麦をすすっている人々の「幸」があるわけで、僕らの仕事の誇りですよね。

 福祉とは「人々が幸福に暮らす生活環境」だとしたら、福祉の専門職とは「生活環境を整える専門性を有した職業人」ですから、まさに大晦日も正月も日本の福祉を担っているんですもんね。介護職は日本の宝です。

 来年もまた、日本の宝である介護職自身が、自分は日本の宝だと思える、国民から宝だと思ってもらえていると実感できる社会の仕組みづくりへ歩を進めて行かねばですし、何よりも国民から宝だと思ってもらえる仕事ができるようにせねばです。

 2018年も「良いこと・良くないこと」いろいろありましたが、こうして今年を振り返えることができるってことはありがいたいことで、来年も同じように良いことだけが起こるわけじゃなくて、良くないことも起こるのでしょうが、2019年大晦日に又、こうして振り返れる自分を実感したいものです。

 こうして一年後も生きていたいと思えている自分こそが、今の自分の象徴で、10年前の僕とは違う僕を感じています。

 新しい年を迎えられる直前、感謝あるのみです。
 ありがとうございます。

写真

 亡くなったであろう、我が家のポーちゃん。 死に目を見せないという猫の本道を歩んだポーちゃん、かっこよかったです。 2019年、泣きごとを言わない和田さんであれるよう精進します。