メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

無責任の連鎖

 2010年2月18日、春日部市の特別養護老人ホームで発生した介護福祉士による虐待死亡事件について、さいたま地裁の裁判員裁判は7月28日にO被告に懲役8年の実刑判決を言い渡しました。この虐待事案は、発見・通報・事実確認という虐待対応から判決の内容までのすべてに、私には釈然としないものが残ります。これら一連のプロセスのどこに、今後の虐待防止に資する視点と取り組みがあるというのでしょうか。

 一連の報道の中で、O被告がどのようにして虐待に走ったかについては、必ずしも明らかではありません。裁判でO被告は、「握り拳で机を『ドン』とたたくように、女性の体を強い力でたたいた」、「イライラしていた」、「第一発見者になって同僚・上司にほめられたかった」と証言したと報じられています(報道内容については、産経新聞電子版2013年6月16日、12月29日、朝日新聞朝刊2014年7月24日、29日による)。

 検察側は、事件の3日前である2月15日に「容体が急変し死亡した入所者を発見して報告し、施設長にほめられた。またほめられるため、殴って異変を作りだそうとした」と主張し、「同機は短絡的で身勝手」であると指摘しました。

 これに対して弁護側は、「16日、17日にも寝たきりの入所者をたたいたがほめてもらえず、犯行に至った」としたうえで、「過度のストレスによる適応障害に陥っていた」などと主張しました。

 O被告に関するこれらの報道を通じ、介護士の「代理(人)によるミュウヒハウゼン症候群」による虐待問題の特質はなかったのかという点が私の大きな疑問です。この虐待事案の詳細を知る立場にはいませんから、私の疑問は憶測を含む仮説に過ぎません。少なくとも、「イライラ」や「ストレスによる適応障害」で虐待が発生するというような単純極まりない整理は、お粗末としか言いようがありません。

 加害行為によって傷病をでっちあげ、周囲の関心をひき、経済的な利益ではなく、あたかも情愛にあふれた献身的な世話・養護・介護を行っているかのように振る舞って「ほめられる」ことを目的としているなど、代理によるミュウヒハウゼン症候群のほとんどすべての特徴を持ち合わせているのではないでしょうか。この点についての検討は、春日部市の検証委員会や裁判員裁判の中で行われたのでしょうか?

 今回の虐待事案は家族・親子における虐待ではありませんが、施設従事者等による虐待においても代理によるミュウヒハウゼン症候群が成立していたのかもしれないとすれば、春日部市の「検証委員会」や裁判の中で詳細な分析と検討が虐待防止に向けてなされるべきではなかったかと考えるのです。

 施設従事者等による虐待は、個々の介護士や職員の未熟さだけから発生するものではありません。虐待の発生した施設の虐待防止に向けた日常の取り組みと管理運営体制が、まず問われなければなりませんし、春日部市が地域の虐待防止体制の構築をどのように図ってきたのかも重要な点検事項となります。これらの点をスルーしたまま、O被告の刑事責任をもってこの虐待事案を終結するというのは、「トカゲの尻尾切り」に過ぎず、虐待防止に必要な課題の本質を見誤ることになります。

 この虐待死事件の発生した特別養護老人ホームは、初期段階でどのような対応をとったのでしょうか。2010年2月15~18日の間のわずか4日間に、78~95歳の女性入所者3人が死亡し、1人が胸やあごに大けがを負っています。これらの第一発見者はすべてO被告だったのです。

 4日間で4人もの死傷者が女性利用者から出ているだけに、2人目の被害者の時には「あれっ、と疑う部分もあった」が、施設内での虐待に関する事実調査はO被告への聞き取りをふくめて一切何も行われず、3人の死者の火葬がすべて済んだ段階で、春日部市にはじめて通報をしています。

 Oを疑って虐待をただすのは「人権的に問題がある」と施設側は弁解しています。人権擁護の優先順位は、まず施設を利用する高齢者に置かれてしかるべきでしょう。Oを通じて真実に迫らないことが誰かを利することに通じているからこそ、「Oの人権」をアリバイ的に持ち出しているとしか考えることができません。

 早期発見・通報の法的義務は、「虐待を受けたと思われる高齢者を発見したときには、速やかに、市町村に通報しなければならない」となっています。すべての死亡者が火葬を済ませた段階を見計らったかのような通報のタイミングにも、著しい不信感を禁じ得ません。

 もし、私の仮説であるO被告の、代理によるミュウヒハウゼン症候群がこの虐待事案に絡んでいたとすれば、この症候群の判断は医療や福祉の専門家のいる現場においてさえ意見の分かれることが起こり得たでしょう(だから、この症候群は見過ごされやすい特異な虐待として注意喚起されてきたのです)。Oが評判のいい介護士で一見献身的なケアをしているようにふるまっていたことと、虐待の加害者であるかも知れないことのギャップを前にして、現場や幹部職員の中では、虐待問題を明らかにすることへの躊躇が発生したかもしれません。このような点の真実を明らかにすることは、今後の虐待防止には不可欠だったのです。