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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

敬称と愛称

 先週のブログで報告した全国知的障害福祉関係職員研究大会(主催/日本知的障害者福祉協会・中国地区知的障害者福祉協会・山口県知的障害者福祉協会)の虐待防止に関する分科会では、利用者の名前に後づけする敬称・愛称の問題が議論されました。

 障害者虐待防止の領域は、敬称(「~さん」)と愛称(「~ちゃん」)をめぐる不毛とも思える議論がこれまでずっと続いています。今回の分科会でも、「~さん」の呼称を原則としなければならないという意見と「利用者さんが『~ちゃん』と呼ばれることを望んでいる」という意見の対立がありました。

 実は、この大会に出席する直前にも敬称・愛称の質問がメールで私に寄せられていたのです。東京都台東区の虐待防止研修で講師を務めた若い弁護士が、「『ちゃん』づけで利用者を呼ぶのは、虐待防止法に違反しており、ご法度だ」と言ったそうで、参加者から本当にそうなのかと私に問い合わせがあったのです。

 この弁護士がどのような表現を使ったのかは知りませんが、少なくとも「~さん」でなければならず、「~ちゃん」は間違いだとの主張を述べたのでしょう。結論から言うと、この弁護士は不勉強の極みです。「支援としての敬称・愛称」の視点が欠如しています。

 そこでまず、広辞苑(第4版)と大辞林(第3版)で「~さん」と「~ちゃん」の意味を確かめてみましょう。

◇「さん」
〈大辞林〉( 接尾 ) 〔「さま(様)」の転〕 人名・職名などに付けて敬意を表す。また動物名などに付けて、親愛の意を表すこともある。 「山本-」 「お父-」 「課長-」 「お手伝い-」 「お猿-」

〈広辞苑〉(接尾)〔「さま(様)」の転〕人名などの下に添える敬称。「さま」よりもくだけた言い方。「奥―」

◇「ちゃん」
〈大辞林〉( 接尾 ) 〔「さん」の転〕 人名または人を表す名詞に付いて、親しみをこめて人を呼ぶ時などに用いる。 「太郎-」 「お花-」 「おばあ-」

〈広辞苑〉(接尾)〔「さん」の転〕人を表す名詞につけて、親しみを表す呼び方。
「和子-」「おにい-」

 以上から、一般に、「~さん」が「~さま」よりくだけた敬称で、「~ちゃん」が親しみを込めた愛称であると、整理できるでしょう。ここでは、「~さま」「~さん」「~ちゃん」のいずれであれ、それだけでは即、人権侵害になるわけではないことが分かります。

 たとえば、ある夫婦が家の中で「ケイコちゃ~ん」「マナブく~ん」と呼び合っていても何ら問題はありません。互いに個人の尊厳を尊重し合い、それぞれが市民としての権利を行使する主体であるとの相互承認がありさえすれば、暮らしの場ではそれぞれの求める愛称でいいのです。

 しかし、この夫婦が同じ職場(学校・病院・お役所・社会福祉施設・民間企業等)に勤めていて、職場の中でも「ケイコちゃ~ん」「マナブく~ん」と呼び合うことは、社会通念上、許されることではありません。

 職場という公共圏においては、暮らしの場である親密圏で展開される個人的な関係性とは異なり、社会的な責任のある関係性の質が求められるからです。

 すると、就労支援系の現場は、働く取り組みの社会的性格を考慮する必要がありますから、「~さん」が原則となります。ここでは「~ちゃん」はあり得ない。ちなみに、職場のハラスメントに関する人事院の例示の中にも、たとえば男性が女性に対して「~ちゃん」と呼称することが入っていたと思います。

 職場で一方が他方を「ちゃん」づけで呼称することは、親しみを込めるというよりも、相手を見下して従属を強いるか、相手を一人前として扱わない、または子ども扱いする関係性に傾きやすいため、不適切さやハラスメントのそしりを免れることはないでしょう。

 しかし、グループホームや障害者支援施設で一日の中でもっともくつろぐべき時間帯の生活支援の営みにおいては、個人の尊厳と市民としての権利を擁護していることをクリアさえしていれば、敬称・愛称のあり方はケース・バイ・ケースです。

 もちろん、知的障害のある利用者については、「子ども扱い」するのではなく、一人前の市民として育まれ、性を含めた個人の尊厳が擁護されているのかが、「支援としての敬称・愛称」を考える上で、重要な前提条件となります。

 障害のない子どもたちは、思春期に入ると、大人からいつまでも「子ども扱い」されていることにさまざまな形で抵抗します。しかし、知的障害のある若者の多くは、このような心の運びと言動が自然発生的にはなかなか出てきません。

 そこで、「若者性」「成年性」「市民性」を培うことが、知的障害のある人たちの思春期以降の重要な支援課題となるのです。「子ども期」を越えて一人前の市民性(シティズンシップ)を育む支援は、障害者権利条約からみても必要不可欠な支援です。

 意思決定支援(意思形成・意思決定・意思実現)を通じて、社会的な意見表明と参画の権利を実現するための支援の中で、それぞれの利用者のニーズに即した敬称・愛称に関する最適な判断が求められると言っていいでしょう。

 それに対して、暮らしの場で「~さん」だけが原則だという形式的な考え方は、あまりにも表面的な議論です。「~さん」だと一人前扱いしていることになり、「~ちゃん」だと「子ども扱い」することになると主張するのは、実はその論者自身がそう考えているに過ぎません。

 たとえば、社会的な自立を目指す取り組みをしているさ中にあっても、愛称を用いて励ますことが、利用者の集中と努力を招くこともあるでしょう。

 すると、このように形式的な議論を振りかざす論者は、暮らしの場の親密圏のあり方について深く考えたことがないのではありませんか。法制度に基づく福祉サービスを職業的支援者が提供する営みを、医療・学校における支援や民間のサービスと同一視する過ちを犯しています。

 敬称と愛称の使い分けは、次のような観点から「支援の一環として」個別的に判断されるべきです。
(1)支援の営まれる時空間が親密圏であるのか、公共圏であるのか(それでも、どこまでが親密圏でどこからが公共圏であるのかは、一義的に截然と区別できるものではありません)
(2)支援者と利用者の関係性の質と場面ごとの支援課題を考慮に入れた上で、最適な支援を実現するための呼び方の判断
(3)それぞれの利用者が求める支援者との関係性に関する親密性の色合いとグラデーション

 生活施設(障害者支援施設やグループホーム)は、公共的な支援サービスを通してそれぞれの利用者の求める暮らしの場にふさわしい親密圏を創造するところです。

 支援者が利用者への「支援」として「ちゃん」づけで呼ぶことがあったとしても、その関係性は私的な個人的関係における愛称とは異なります。支援者が「公共的な支援サービスの一環」として「ちゃん」づけで呼称することが、利用者のニーズであり、利用者の個人の尊厳と市民としての権利を擁護することと二律背反していなければ、それでいいのです。

 「~さん」でなければならないと主張する人は、通俗的経験則や自分の人間関係観を脇に置いて、親密圏を創造する支援のあり方に係る客観的根拠を提示すべきです。

埼玉大学キャンパスの紅葉

 さて、この秋は紅葉が美しいですね。

野外ステージの演劇-埼玉大学のむつめ祭

 仕事をするために大学に行くと、何と大学祭でした(笑)