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「そんなこと」でも、俺には「大事なこと」なんだ!
 ~がんになってわかった「介護される人」の気持ち~

松崎 匡(まつざき ただし)

現場経験を活かして専門学校で教鞭をとっていた最中に「がん宣告」を受けた松崎さん。
「利用者のため」をモットーに介護にあたってきたつもりが、利用者の立場になってはじめて気付くいろんなこと…。
がんと絶賛同居中(?)の松崎さんのアツい思いをお届けします。

プロフィール松崎 匡(まつざき ただし)

2014年4月より「合同会社M&Yファクトリー」代表社員。
元アルファ医療福祉専門学校教務主任。福祉関連事業所の開業、業務改善などのコンサルティング、研修講師、市民向けの介護講座などのほか、青少年の更生、フリーター、ニートの就職支援などを手掛ける新たな福祉への関わりを中心に活動中!

第5回 治療法がなくなってきて・・・

 僕は昨年の9月に6回目のがん再発の宣告を受けました。

 何度も繰り返される再発とその治療、抗がん剤の副作用により、治療の選択肢がどんどん狭まっていきます。体力の低下とともに今までできた治療も選択できなくなってきました。

 しかしながら頭は冴えているし、疲れないようにすれば日常生活も行動範囲が狭まってきても何とか送れています。一昨年までやっていた会社では「現場に出てこないくせに!」という人もいましたがね(汗)

 そんな状況で思うこと・・・

 介護を受けたくない、けれど日常生活を送るためには介護を受けなければならないという選択肢しか残されていない利用者の心理ってこんな感じなのかな? と考えさせられることがありました。

 「選択肢が限られる」なんてあまり意識しないでいたことが現実に起こったときに、当然それを受け入れなければ生活できないのだから、何とか受容しようとはします。

 だけどね。入院や治療の間は受け入れられるのは、それが「期間限定」だからなんです。病気を治療するという選択のなかでの「治療が終わるまで」という期間限定でなら受け入れられることも、その後の生活=いつまで続くのかわからない、という期間が見えない状態でそれを受け入れるのは「本当にしんどい」と実感しました。

 僕は「がん」という病気で、認知症の高齢者と比較はできないのかもしれないけれど、非常に似ていると思うのは、僕は末期のガンで「治療法がない」=先が全く分からない、というか希望の見出し方が見つけにくい状態にあるということなのです。

 そこに認知症という病気とは共通する点が多々あると思っています。そこに共通するのは、あきらめというか何というか、今のこの現状でしか生きられないとネガティブに考えがちになってしまうというところだと思うのです。

 そんな心境で、日々を過ごしていくなかで小さなことですが・・・

「可能な範囲で先をイメージできるアプローチ」が大切

 こんな視点で関わってくれる援助者こそが、利用者に求められるものだと感じています。

 ケアマネジメントに「長期目標」「短期目標」というものがあります。

 介護はできれば受けたくないという前提で考えると、具体的なケアの内容なんて私にとってはどうでもよいことで、受けたくない介護を受けなければならない期間は、この「短期目標」程度のものなのか? それともずっと続くのか? そこが一番知りたいことなんだよな・・・

 期間限定ならば結構受け入れられるものも多いんもので、僕も今回紙パンツは自分から積極的に受け入れましたわ(結構凹みましたが)。

 たとえそれがずっと続く状態であったとしても、そのなかで楽しみや生きがいを見つける力を人間はもっているもので、日々の生活のその先にポジティブなものがあればあるほど、さまざまなことが楽しくなってくるものです。

 それこそ「もういくつ寝るとお正月・・・」の世界で、それをイメージすることができると、日々の生活がかなりよい方向に変化するということをぜひ考えてもらいたいなって思う今日この頃です。

 僕の例でいえば、この連載のお話をいただいたときにはすでに再発がわかり、入院も決まっていて、「また再発かよ」なんてネガティブになりつつありました。その後、合併症で入院が3か月以上に及ぶことがわかってネガティブ要素満載の時期でも、「この入院を、この治療を乗り越えればこの連載を続けられる」と思えることだけで、かなりポジティブな入院生活が送れています。

 皆さんの近くにいる利用者さんにも小さなことかもしれないけれど「先をイメージできるアプローチ」をしてみてくれたらと願っています。

入院中に衝動買い^^;
田辺誠一画伯のストーンズオフィシャルTシャツ(^^)