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「そんなこと」でも、俺には「大事なこと」なんだ!
 ~がんになってわかった「介護される人」の気持ち~

松崎 匡(まつざき ただし)

現場経験を活かして専門学校で教鞭をとっていた最中に「がん宣告」を受けた松崎さん。
「利用者のため」をモットーに介護にあたってきたつもりが、利用者の立場になってはじめて気付くいろんなこと…。
がんと絶賛同居中(?)の松崎さんのアツい思いをお届けします。

プロフィール松崎 匡(まつざき ただし)

2014年4月より「合同会社M&Yファクトリー」代表社員。
元アルファ医療福祉専門学校教務主任。福祉関連事業所の開業、業務改善などのコンサルティング、研修講師、市民向けの介護講座などのほか、青少年の更生、フリーター、ニートの就職支援などを手掛ける新たな福祉への関わりを中心に活動中!

第7回 「気付く」力は才能なのか?

 2014年10月にがんの再発治療で入院した僕は、一人の看護師さんの「気付き」で命を救われた。

 この入院で僕は、肝動脈塞栓療法という治療をして10日間ほどで退院の予定だった。

 何度も経験している治療法で、副作用として吐き気、嘔吐や発熱などが起こるのだが、もう慣れっこになっているので「あ~、吐き気がやってきました」ってな感じで、いつものことだと思って治療後を過ごしていた。

 3日ほど続くよくある副作用以外は、「何だか足が痛いな」「サンダルがきつく感じるけど、治療後だし・・・」と感じながらも「少し我慢すればあと一週間で退院だ!」と看護師さんに様子を聞かれても「大丈夫、大丈夫」と答えていた。その間に自分の体に大変なことが起こっているなんて思いもしなかった・・・。

 そんな状態で迎えた4日目の朝、いつものように朝交代で回ってきた看護師の「ハルカ様(仮名)」に様子を聞かれて、「何だかちょっと息苦しいけど・・・。まあ大丈夫。いつものことよ」と答えていた。安静にしていれば治まるだろうと自分でも思っていたし、我慢できる程度の苦しさだった。

 しかし、ハルカ様は何かを感じ取ったのか「ちょっと胸の音を聞かせてください」と私の胸に聴診器をあててくれた。この時のこの行動が僕の命を救ってくれた。

「・・・右の肺が動いていない! 先生呼んできて!」

 そこからは何だかドラマを見ているような感じだった。

 先生が急いで駆け付けてくれて、その場でできないからと別の場所に移動し、少しずつ薄れていく意識のなかで「早く抜かないと死んじまうぞ! 早くしろ!」といった緊迫した場面が僕の周りで、僕を取り残したまま進んでいった。

 後になってわかったことだが、普通では考えられない合併症が起こっていて、下手すれば死んでいたかもしれない状態だったらしい(汗)

 説明が長くなってしまったが、もし、この最初の異常に気付いてくれた「ハルカ様」が異変に気付かずに、「ああ、副作用で具合が悪いんだな。まあ様子を見ておけば・・・」とスルーしてしまっていたら、僕はこの原稿を書けてはいなかったと思う。

 ハルカ様が「気付いて」聴診器をあてるという「行動」をしてくれたからこそ、僕は生きているのだ。

 この異変に「気付く」というのはハルカ様の持っている才能なのかもしれない。そうすると、僕は本当に運がよかったのだと思う。

 しかし、才能と一言で済ませてしまえば「私は才能ないし・・・」と「気付かない」ことを才能の有無のせいにしてしまって話は終わってしまう。

 小さなことかもしれないけれど、またまた一言言わせてもらえば、

才能ではなく、努力である程度の能力は備わるのではないか?

と僕は思っている。

 このハルカ様の例で一番大切なのは、最初に「何となくいつもと違うな」と感じたときに「念のため聴診器をあてて確認しよう」と行動に移したことが「気付き」を最大限に活かしたことだ。

 ということは、自分で才能がないなどとダメ出ししないで、利用者の声に耳を傾け、それを確認する行動を習慣付けることで、誰でもある程度の能力までは備わるのではないかと僕は考える。

 利用者が「いつも」の状態と違うと感じたら、それは何故か? を確認する。たったそれだけのことで何かが変わるはずなんだ。

 その一歩を踏み出せないのは、確認しても「はずれ」が多いからなんだろう。

 でも、いつもの状態とは違うというマイナス要因を確認するんだから、それが「はずれ」だったのであれば、つまりは「安心できる」ということなんじゃないかな。

 そのことに「気付いて」実践すれば簡単に挑戦できるんじゃないだろうか。

 何かに「気付いたら」確認する行動を起こす、ということをぜひとも習慣にしてほしいと思う。

命の恩人「ハルカ様」