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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

疲れない腕相撲

 先日、テレビ中継で「毎月勤労統計の不正はアベノミクスの効果を強調するために行われたのではないか」とする野党議員と安倍首相のやり取りを見かけました。私は、まるで議論の噛み合わないその様子に、思わず吹き出してしまいました。

 一方がAについて問うと、もう一方はBについて答えるやり取りは、もはや漫才です。Aが「お昼ご飯を食べましたか?」と問い、Bは「お昼、ご飯は食べていません(実際は、蕎麦を食べている)」と答えるようなもので、コミュニケーションが成立していません。

 しかし、同じコミュニケーションの問題でも、先日報道された2016年に松戸市内の小学校で起こったことはとても笑えません。担任教師が児童同士のトラブルに介入し、一方の児童に「やり返していいです」と指導し、その児童が相手を殴ったという問題です。

 殴られた児童と教師の会話は録音されており放送されました。私も、申し開きしようとする児童と、それを遮り一方的に断罪する教師の、まるで噛み合わないやり取りを聞き、思うところは少なくありません。

 第一、この問題が起こるずっと前から、殴られた児童にまつわるいろいろなトラブルの存在を窺わせる点です。しかも、殴られた児童が、もともと「いじめっ子」だったのか、「いじめられっ子」だったのか、よく分からないため余計気になります。

 ことの善悪は別にして、他の児童に暴力を振るうような児童であったのなら、教師の断罪する態度は分からなくもありません。ところが、もともと「いじめられっ子」であり、この時たまたまやり返したというなら、断罪する教師の態度は到底理解できないものになります。

 つまり、前段のストーリー次第で評価は全く異なるわけです。よく、発言の一部だけが切り取られて報道されることの恐ろしさは指摘されますが、本当は、「ストーリー全体を把握したうえで判断しないと危ない」ということなのだろうと思います。

 殴られた児童はその後2年半以上も不登校に陥っているそうです。また、背景として外国人差別の疑いもあるのに、教育委員会はこの問題を最近知ったともいいます。かくなるうえは、児童へは早急に手当をし、真相を究明したうえで再発防止策が即実行されることを願わずにはいられません。

 考えてみれば、噛み合わないコミュニケーションは、腕相撲のように、相手を打ち負かすために双方が力を入れて、双方ともに疲れ果てるものです。だとすれば、虐待的な状況は、勝負がついてもなお勝者が力を入れ続けている状態だと言えます。

 この意味で、虐待の問題に取組む私は、「交互に勝つと得点があがる変わり腕相撲」のように、双方が力を入れなくても良いために互いに疲れない、そんなコミュニケーションの実現を模索しているのかもしれません。

「試合でも初っ切り!」
「それは八百長では?」

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