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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第120回 新宿食支援研究会主催 
第1回タベマチフォーラム、盛会!

はじめに

 去る9月3日、「第1回 最期まで口から食べられる街づくりフォーラム全国大会<タベマチフォーラム>」が東京富士大学二上講堂にて開催されました。
 主催した新宿食支援研究会(新食研 代表:歯科医師 五島朋幸先生)の活動については、これまでもこの連載で度々ご紹介させていただきました(第53回54回70回85回 リンク)し、新食研は本サイトを運営する中央法規出版発行の月刊誌「おはよう21」2017年6月号で特集「“最期まで口から食べたい”を支えるケア 5つの視点で『食べる』が変わる」を寄稿していますので、紹介を省きます。
 その新食研が、「最期まで口から食べられる国、日本」をつくるため、国民全体で議論する場を設けたのが、タベマチフォーラム。今後、定期的に開催が予定されている、食支援ムーブメントの新しい核となるイベントに、医師や歯科衛生士、管理栄養士など食べることを支える専門職ら446名が全国から参集しました。
 今回の記事は、その参加レポートです。

地域ごと“らしい”街づくり
我がことを考えさせた充実の5時間

 基調講演は、医師で「京滋摂食・嚥下を考える会」の代表を務める荒金英樹先生の「食支援による京の町づくり」でした。「京滋摂食・嚥下を考える会」も、食支援に携わる人の間ではよく知られる、食支援先進地・京都を牽引してきた存在です(関連記事:96回97回)。
 荒金先生は、食支援による京の町づくりを進めてきた過程で行った「医科歯科連携」「他職種連携」「異業種連携」「医療産業連携」について紹介し、各過程で明らかになった「連携を阻む壁」を示し、いかにして壁と向き合ったかを話してくださいました。
 こう書くと、しかめつらしい話のようですが、そうではありません。仲間同士、飲みニケーションでアイデアを出し合い、楽しく続けられる企画と手段を選び、壁を壊すことに必ずしもこだわらずにきたことが語られたと思います。
 それは、伝統ある京都の町に新しい風を吹かせるとき、時間がかかることを念頭に、「持続可能性」が高い作戦だと感じました。
 もっとも印象に残ったのは、摂食嚥下障害がある人も、ない人も、家族も、商売をしている人も、ただの食いしん坊も気になる「京料理」「和菓子」「銘茶」「漆器・和食器」「銘酒」などとのコラボレーションの連鎖と、ブランド化を志向する発展です。
 コラボレーションのいくつかについては、雑誌記事などで読み、知っていたこともあったのですが、止まらない連鎖を改めて聞いて、気持ちがある人が集まれば何でも挑戦できる高揚感を味わい、わくわくしました。
 ただし、京都には京都の流儀とテーマがあって、それは各地でそれぞれ違うのだと、地域ごとの「らしさ」は何かふと我に返らせるお話だったと思います。

 午後の部は、五島朋幸先生の「新宿流『最期まで食べることを楽しむ街づくり』実践法」で、新食研誕生の経緯と、現在までの活動を紹介するお話から始まりました。この内容については第53回、54回の記事と重なるので省きますが、食支援を全国に広げるためには、一般の生活者へ専門職がどのように食べることを支えられるか伝えていく必要を強調、「食べられる人」はもとより「食べられる街」をつくるという意識改革を訴えるものでした。
 その後、多職種フォーラムとして、新食研メンバー6名が登壇、それぞれが「最期まで口から食べるためにすべきこと」として発表しました。
 登壇したのは、看護師・木村晶子さん、歯科衛生士・篠原弓月さん、言語聴覚士・佐藤亜沙美さん、理学療法士・越後雅史さん、福祉用具専門相談員・山上智史さん(関連記事:101回)、管理栄養士・赤木由紀子さんです。
 さらにその後、荒金先生と五島先生、発表者6名に加え、介護事業所経営者・佐藤修さんの9名でパネルディスカッションと、参加者との意見交換がありました。
 その席で印象に残ったのは、都市部のように多職種がそろわない地域では、どのように食支援を発展していくか、管理栄養士や歯科衛生士が在宅訪問できることを知ってもらい、また管理栄養士や歯科衛生士が地域に出て行きやすくなるには、どのような環境整備や、働く人の意識改革が必要かといったライブな意見が出て、発言者それぞれが自らの地域、職域に立ちはばかる壁を吐露したことでした。きっと聞いていた人も、それぞれの壁を意識されていたでしょう。

 私は、「壁の存在を意識すること」をポジティブに受け取りました。問題に気づいている証拠だと。そして自分の仕事のことも省みて、多職種がそろわなくても、仲間が少なくても、すぐできることはあると考え、しなければならないと思いながら聞いていました。
 それは、一般の人へ「食べられない」が起こること、「食べられない」は支援を受けられることだと知ってもらうことです。
 一般生活者はそれを「知らない」とサービス(ケア)を求めません。
 潜在的なニーズを引き出すには、啓発とサービス(ケア)の創造が共に必要です。
 ケアにおいては専門職のスキルが欠かせませんが、「食べる」は生活の中のことなので、啓発やサービスと考えると、仲間は専門職に限らなくてもよくなります。
 そして食べることを支えるイベントや商品、ブランドなどサービスをつくり、求められるようになったら、検証・適応が必要です。
 結果、タベマチフォーラム開催の意義、京滋摂食・嚥下を考える会の商品化・ブランド化の意義など、その日のプログラムの価値を再認識していました。
 私自身も、一般の人へ「食べられない」が起こること、「食べられない」は支援を受けられることだと知ってもらうために、もっと記事や本を出したい。記事や本を取り上げるマスコミへ情報提供したい。私には、その精度を上げるため、専門職の仲間が大切です。
 学び、我がことを考える機会となったフォーラムで、来年の開催も楽しみになりました。自分のアクションを通じて少し変わって、また来年も参加したい。そのように思います。

 なお、講堂前や地下フロアには京滋摂食・嚥下を考える会や新食研のワーキンググループのブース、介護食品メーカー、福祉用具メーカーの展示もあり、休憩時間などに参加者で賑わっていました。