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私はこうして合格しました!

国家試験を突破して精神保健福祉士の資格を取得した合格者の皆さんに、合格までの道のりをご紹介いただきます。効果的な勉強法や忙しいなかでの時間のつくり方、実際に資格を手にして思うことなど、受験者が参考にしたい話が満載です。

第35回 藤川由美子(ふじかわ・ゆみこ)さん

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プロフィール

藤川由美子(ふじかわ・ゆみこ)さん
平成25年度試験合格

 東京外国語大学ロシア語学科卒。神奈川県出身。大学卒業後は外資系のコンピューター会社に事務職として勤め、その後結婚して専業主婦へ。3人の子を育て、末の子にかかる手が離れかけた頃、「人とかかわる仕事がしたい」と思った。時は平成11年、介護保険が始まる前年だった。社会福祉協議会で登録型のホームヘルパーに就き、やがて障害者への支援に魅力を感じ、平成16年にガイドヘルパーの資格を取得。NPO法人立の事業所に移り居宅介護、移動介護に従事した。平成22年、精神障害者の地域生活支援に長年取り組んできた「NPO法人平塚4Hの会コミュニティハウスかざぐるま」(神奈川県平塚市)に入職。精神障害の当事者とのかかわりのなかで精神保健福祉士の資格を志し、アルファ医療福祉専門学校(東京都町田市)の通信教育科に入学。仕事と併行して2年間の課程を修め、平成26年(平成25年度試験)に見事合格。現在は事業所の副所長として、サービス管理責任者やこのほど取得した精神保健福祉士の資格を活かすべくソーシャルワークへのチャレンジも始まりつつある。趣味は音楽、読書、手芸など多彩。音楽はロック。デヴィッド・ボウイが大好きで初来日公演(1973年)にも行った。読書は佐野洋子、武田百合子など、強くてバイタリティある女性エッセイが好み。パッチワークや多肉植物の栽培も好き。苦手なのは高い所で下をのぞけない。「地域で精神障害者にかぎらない、人同士のつながりやつながりのある場所をつくりたい。今回の(本コーナーへの)応募も、何かつながりができる機会になったらいいなと思ったからなんです」と、のんびりと大らかで、そしてどこまでも発展的な55歳。

受験の動機

 精神保健福祉士の資格を取ろうと思ったのは、今の事業所、「コミュニティハウスかざぐるま」に来てからです。それまでも約6年間、ガイドヘルパーとして視覚障害や知的障害、自閉症の方などとかかわってきましたが、かざぐるまの方と接するようになって、精神障害の“生きづらさ”といわれるものがどういうところからきているつらさなのか、理解したいと思うようになりました。ご本人たちに悩みがあることはわかっていても、それぞれの病気の特性がありますし、個性もあります。支えになれるアドバイスをするためにも、もう少し知識がほしいと思ったんです。それがきっかけです。

 もともと、福祉の仕事をすることになったきっかけは介護保険でした。子育てが少し落ち着いて働きたいなと思ったときに、社会福祉協議会でホームヘルパーの養成をしていました。親も年をとってきていましたし、介護の仕事に興味もあったことからやってみようと。結婚前に事務職をしていた当時、もう少し人とかかわる仕事をしたいと思っていたことも背中を押しました。

 介護の仕事はやりがいも難しさもあって、平成15年に障害者の支援費制度が始まってからは障害専門のヘルパーでした。そのなかで外出支援に携わるようになると、障害を持った方の生活というものをより意識するようになり、職場を精神障害者の地域生活を応援する拠点に移し、そうするうちにこの分野の専門性を身につけたいとの気持ちが高まっていったという先ほどの話につながります。

 明確に精神保健福祉士の資格を取ろうと決心したのは、就労継続支援B型事業所のサービス管理責任者研修を受けていたときです。この仕事をするなら、あったほうがいいと。研修を修了して即、専門学校の通信課程の入学手続きを行いました。

カリキュラムを一つひとつこなすことから

 働きながらの勉強になることがわかっていたので、学校は土日に授業があって、場所も通いやすいことが必要でした。条件に見合ったのが、東京の町田市にあるアルファ医療福祉専門学校でした。2年間のカリキュラムで、春から夏にかけては月に3~4回スクーリングに通い、秋口に演習があります。毎月の課題は、インターネットでeラーニングにログインすると示されるシステムで、科目ごとに15問とか20問とか問題が課されました。よく調べないと解けず、クリアできないと再課題になります。レポートの作成もあります。ちなみに私の場合、事業所に勤務していたので実習は免除されていました。

 こうしたカリキュラム上の課題をこなすことから受験勉強は始まりました。1年目はそこに終始する感じでした。現場で仕事はしていましたが、精神保健福祉士の専門職としての役割もよく知らず、精神障害に関する歴史のことも知りませんでしたので、学校で紹介される推薦図書も読みました。心に残ったものをいくつか挙げると、『かかわりの途上で~こころの伴走者、PSWが綴る19のショートストーリー~』(へるす出版新書)、『ソーシャルワークの作業場-寿という街』(誠心書房)、『心病める人たち-開かれた精神医療へ』(岩波新書)などです。

2年目の春から、「中高年友の会」とともに

 本格的に受験勉強を始めたのは、2年目の春からです。心配性なので、早めに試験対策的なことに着手したかったのと、50代も半ばにさしかかって忘れっぽくなっているのを感じていたので、なおのこと用心深く、こつこつとやるしかないと思いました。5年前に介護福祉士の資格を取ったときとの大きな違いです。

 この本格始動にあたり大いに力になってくれたのが、1年目の演習で知り合った二人のお仲間でした。一人は40代の女性で、経理の仕事をされている方でした。これから福祉系に入り精神保健福祉士の仕事をしたいとのことでした。もう一人は60代の男性で、銀行員をされていました。定年後も継続雇用で働かれ、これからボランティアで精神保健の分野で活動したいとのことでした。演習のときにこの女性から声をかけてくれて、いっしょにやっていきましょうと。メールで情報交換する形にして、毎月の課題をやった後に三人で答え合わせをしたり、答えの資料はここに出ているよと教えあったり、今の時期こんな勉強しているよと状況を確認しあったり。二人は実習に行かなくてはならなかったので、体験からくるアドバイスなどは私のほうからさせていただいて。女性は鎌倉のほうに住んでいて、わりと近くでもあったので、お会いしてお茶をすることもありました。「中高年友の会」と称してお互いに励まし合えたのは大きかったです。

スケジュールを立て、教材は妥協なく揃える

 2年目4月からの勉強では、はじめに、取り組む科目の時期や時間配分を大まかに考えました。この期間にここまでやって、その次にこれをいつまでにやってという青写真です。共通科目が全体としてとっつきにくかったので、そちらに多めに力を入れられるようにスケジュールを立てました。

 勉強に使用する教材は絞りました。いえ、結果としてかなりの冊数を購入することになったのですが、知識を手にするためのメインの本は絞りました。翔泳社の『社会福祉士・精神保健福祉士完全合格テキスト共通科目』と『精神保健福祉士完全合格テキスト専門科目』です。用語解説と関連事項、一問一答問題などがコンパクトにまとめられていて、使いやすい印象をもてました。

 このほかの教材もすべて挙げると、中央法規の『社会福祉士・精神保健福祉士受験ワークブック共通科目編』『精神保健福祉士受験ワークブック専門科目編』『見て覚える社会福祉士国試ナビ』『らくらく暗記マスター精神保健福祉士国家試験』、久美出版の『社会福祉士・精神保健福祉士 問題分析と受験対策過去問題集 共通科目編』『精神保健福祉士 問題分析と受験対策過去問題集 専門科目編』です。ずいぶんお金がかかりましたが、必要経費と思って購入しました。なお、学校で使用した教科書は、中央法規の『新・社会福祉士養成講座』『新・精神保健福祉士養成講座』でした。

科目は臨機応変に、書いて覚える

 勉強方法は、基本的に“書いて”覚えていきました。ノートに、今日はどの科目の何ページのどこを勉強したかを記して、わからない単語を書き出す、それについて調べたことを書き出す、覚えておいたほうがよい数値を書き出す。そのようにして全部書き出したノートを作っておき、それを持参するようにしていました。これはどの教材を使うときも、知識として理解して覚える方法としてはいっしょです。

 科目は、一つの科目をじっくりいつまでもやるのではなく、適当に替えていきました。苦手なもの、勉強する気力が上がりにくいものを我慢してやり続けていては、効率が上がりにくいからです。私の場合、共通科目の「現代社会と福祉」や「保健医療サービス」は苦手で取り組みづらく、逆に、専門科目の「精神疾患とその治療」や「精神障害者の生活支援システム」は好きで取り組みやすかったので、元気でがんばれるときは前者、疲れていて気がのらないときは後者、というように、その日そのときの状況にあわせて、科目や勉強する内容を調整していました。共通科目と専門科目を併行して進めていき、おおむね秋口をめどに知識ができあがってくるようなイメージです。過去問は夏くらいから解き始めました。

 そんな計画で進み始めましたが、本当に真剣になったのは10月を過ぎてからだったと思います。いろんな教材を行ったり来たりしながら、勉強したことを何度もくり返していき、その積み重ねで知識を少しずつ定着させていきました。

対策講座で、よい緊張感を得る

 受講形式の対策講座は2種類受けました。一つは、けあサポに登場されている張百々代先生の講座(東京アカデミー)で、10月に受講しました。もう一つは、学校(アルファ医療福祉専門学校)の講座で、こちらは11月に5回シリーズで受講しました。

 対策講座に参加する意義は緊張感です。こういうところに参加される方たちは、緊張感が違うので、かなり刺激になります。私の場合、前出のお仲間二人が受けようと言われて行く気になりました。会場に行くと、毎回いちばん前の席を三人分とっておいてくれるんです。三人で受けて、一日刺激を受けて、がんばろうねと話をしながら帰ってくる。今振り返ると、これがもたらしてくれた力はとても大きかったと思います。

 12月以降は、それまで勉強してきたことを元にしながら、対策講座のレジュメで要点を確認したり、過去問をくり返し解いたりしながら、やってはきたものの知識としてうまく定着していない内容を押さえていくようにしました。

 また、模擬試験を受けに行く時間がなかったので、中央法規の『精神保健福祉士国家試験模擬問題集』を購入して、お正月休みに時間を測って解いてみました。6割以上はとれていて、少し安心したのを覚えています。とにかく心配性なので、できることはすべてやっておきたかったのです。

大きな壁を仲間の力を借りて突破

 この間の勉強時間は、1年目が1日1時間。2年目は少しずつ時間を増やして、後半は3~4時間くらい。仕事を持ちながらの受験でしたので、勉強する時間を一日のなかのどこで持つかは、受験を考えたときの最初の問題でした。

 専門学校の先生に入学当初、毎日1時間勉強すれば受かりますと言われた言葉を受けて、仕事から帰宅し夕食と日課のウォーキングを終えた21時以降に必ず1時間勉強することにしたのが1年目でした。このときに、疲れているときなりの取り組み方を学びました。テキストを開いて覚えるばかりが勉強ではなく、インターネットで興味のある項目を検索したり、同じような勉強でも楽にできるように取り組み方を変えたりして、なんとか1時間はがんばるというふうにすると、その状況なりの好ましい勉強の仕方が見つかるものです。そういう下地がつくれたから、また勉強の苦楽をわかちあえる仲間と巡り会えたからこそ、長期間にわたる受験勉強を乗り越えられたのだと思います。

 試験会場は東京の池袋(豊島区)で家から距離があったため、仲間のお二人と会場最寄りにビジネスホテルをとりました。実は、試験一週間前に身内が亡くなり、私の精神状態はとても試験を受けられる状態ではありませんでした。ただ、ここまで支えてくれた家族や、応援し続けてくれた職場のために、がんばりたい気持ちもありました。このときに力をくれたのが仲間のお二人でした。自分も勉強で大変なのに、ホテルの部屋でりんごをむいて差し入れに持ってきてくれたり、これだけがんばってきたんだからやりぬこうと励ましてくれたり。この晩、いろいろな疲れから私は一睡もできなかったのですが、翌日の初日試験(専門科目)で気持ちは前に向かっていました。

 初日の試験を終えると気持ちが楽になって、今日はたくさん食べてよく寝ようと、その晩はホテルで夜8時前に眠ってしまいました。2日目の試験(共通科目)は手応えもよく、三人で昼ごはんを食べて帰宅しました。けあサポの解答速報で答え合わせをすると、専門科目・共通科目ともに7割の得点を超えていて、だいたい大丈夫そうとの感触。ほっとすると同時に、この受験を通してかけがえのない経験をさせていただいたことを実感したのでした。

これから専門職として

 精神保健福祉士の資格を取得でき、うれしい気持ちでいっぱいです。仕事に活かしていくうえでは、これからの勉強が大事と思っています。現場で出合うさまざまなことを、今回身につけた知識も通して理解する、専門職としての倫理を大事にするなど、一つひとつ意識して取り組んでいきたいと思っています。職能団体である精神保健福祉士の協会など実践されている方とのネットワークも広げていきながら、地域の中でいろんな人がつながりをもてる場所をつくりたいという自分の目標に向かっていきたいと思います。

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