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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

共同体の幻想と亡霊

 大阪市立茨田(まった)北中学校の男性校長の発言が物議をかもしています。「女性にとって最も大切なことは子どもを2人以上産むことで、仕事でキャリアを積む以上に価値がある」というもの。

 「言葉尻をとらえるのではなく、発言の全体を知っていただければ、自分の主張は間違った内容ではないことが分かる」とインタヴューで応えていました。大阪市教育委員会が処分を検討していると明言するまでの間、この学校の公式ホームページに掲載されていたこの校長の発言は次の通りです。

「今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。
 特に女子の人は、まず顔を上げてよく聴いてください。

 女性にとって最も大切なことは、子供を2人以上生むことです。
 これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。
 なぜなら、子供が生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。
 しかも、女性しか子供を産むことができません。男性には不可能なことです。

 『女性が子供を2人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部に能力に応じて入学し、 卒業できる権利を与えたらよい』と言った人がいますが、私も賛成です。
 子育てのあと大学で学び、医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けばよいのです。

 子育ては、それほど価値のあることなのです。
 もし、体の具合で、子供に恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれない子供を里親になって育てることはできます。

 次に男子の人も特によく聴いてください。

 子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。
 女性だけの仕事ではありません。
 人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。

 子育てをしたらそれで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間に しっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。

 やっぱり結論は、『今しっかり勉強しなさい』ということになります。以上です。 」

 内容云々の前に、申し訳のないことを率直に言わせていただくと、この発言にはいささかたりとも知性と教養を感じません。そして、この校長が自らの主張を正しいと信じて止まない根拠は、性別役割分業と子育ての在り方について、共同体の枠組みでとらえていることにあることが分かります。

 共同体の存続のためには、少子化を克服する義務が共同体の成員にあるのだから、子どもを産むことのできる女性は、「子どもを二人以上産むことに何よりも価値がある」となるのです。

 何も女性の社会進出や働くことの権利を否定しているのではない、男性も子育てしなければならないと「イクメンのすすめ」を垂れた上(この辺のアリバイづくりが、木端役人根性を表していて実に「せこい」-大阪弁で「ずるがしこい」「こざかしい」の意)で、「今しっかり勉強しなさい」と締めくくるのですから、この先生は「校長としての模範的発言で何が悪い」くらいの気持ちで胸を張っていたのではありませんか。

 共同体の枠組みを「当たり前」と考える主張は、根底から間違っています。世界第3位のGDPを誇るゆたかな国において少子化が進行してしまったこと自体が、わが国社会の共同体性が徹底的に破壊しつくされたことの証左です。

 25歳までに子どもを産むことの方が母子の健康にはアドバンテージがあるという医学的な根拠はあります。しかし、子どもを産み育てるという営みは、女性や男性の意思と主体的努力によってのみ成立するものではなく、それを可能とする社会的制度的な条件整備があってこそのものであることは、少なくとも先進国においては常識です。

 要するに、この校長には現代社会と人権(とくに児童生徒と女性の人権)に関する正しい認識が丸でないのです。退職後再雇用の校長に採用されていることそのものが疑問ですが、スゴロクの上がりで怖いものなし気分の、反省の契機を喪失した「反面教師」ではないでしょうか。

 中学生に愚にもつかない説教を垂れる暇があるなら、自分の住む地域で、保育所に入ることができずに困っている若夫婦の子どもたちをあずかって「イク爺」をおやりになったらいかかでしょうか(子どもは一人も来ないでしょうが…)。それが「共同体の成員として」のオーソドックスな発想です。戦前の大阪がほこる方面委員の活動を調べてみればよろしい。

 さて、この発言に類似する問題は、LGBTの人たちに関する差別的発言にもあるような気がしてなりません。地方議会議員に相次いでいるようですが、たとえば「同性愛者は異常だ」というまさに異常な差別的発言です。ちなみに、国際的な診断基準を明らかにしている世界保健機関のICD-10とアメリカ精神医学会のDSM-5は、このような人たちを異常とすることはありません。

 このような発言をする議員の主張は、やはり「少子化の克服が社会的課題である時代に、自分の主張が間違っているとは考えない」という内容のようですね。これも共同体幻想にただよう亡霊の類でしょう。

 ヨーロッパでは、同性愛のカップルがフォスターホーム(里親)をしているのも珍しくありませんし、井原西鶴の『好色一代男』の主人公浮世之介はバイ・セクシュアルだったことをご存じないのでしょうか。

 共同体の成員の行動と心の運びを描いた小説の一つに深沢七郎の小説『楢山節考』があります。生産力が低かった時代の貧しい山村にあった「姥捨伝説」を小説にしたものだと言われています。

 70歳になると「山に行く(捨てられる)」ことになっている山村のおりんは、69歳。この老婆は、孫夫婦に子どもの出産が近づいていることを知り、口減らしのために自ら丈夫な歯を折り、ひ孫の出産前に喜んで山に行こうとするのです。

 高齢者への社会保障費が若年世代に対する社会的支援を圧迫しているという「少子高齢化」の問題が指摘されているのですから、「山に行きなさい」なんて酷なことまでは決して言いませんよ、「少子化」を嘆いて他者を抑圧する発言をされる方は、せめて自身の年金受給を辞退されてはいかがでしょう。

 わが国の近代化が封建的共同体性を活用して推し進められたことのツケが、このような差別発言に結実していると考えます。

博多駅前のイルミネーション

 さて、桜の開花がはじまりました。仕事で赴いた博多駅前のイルミネーションもサクラ一色です。福岡市は神戸市の人口を上回ったとの報道がありました。大都市ボケのしみついた大阪よりも、はるかに、アーバニティを博多に感じ取ることができます。

乾燥エノキの揚げ
博多一幸舎のラーメン

 B級グルメでは日本一の街でしょう。近場の温泉も実によろしい。

二日市温泉の博多湯
-ほのかに硫黄臭のする豊富な源泉掛け流し

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