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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第110回 ~始まりは主婦が5人で立ち上げた~ 
自分たちの手でつくる、理想の福祉の街づくり

鷲尾公子さん(70歳)
認定NPO法人 ぐるーぷ藤 
理事長
(神奈川・藤沢)

取材・文:原口美香

母の介護で自分たちの老後に危機感を持った

 私は母の介護を7年やりました。母は子どもを5人産んでいて、兄嫁二人、娘三人が全員専業主婦という、ものすごく介護力があった時代なんですが、それでも介護って本当に大変だなって思ったんです。同時に自分の介護に危機感を持ったんですね。市民が自分たちで作らないと、自分たちが望む老後は絶対に手に入らないんじゃないか、っていう確信に近い思いがあったんです。

 それで、生協の仲間と「何か地域に役立つこと、自分たちの老後を自分たちで作ることをしましょうよ」と話し合って始めたのが1992年なんです。私は母が認知症だったので、認知症の家族に寄り添うケアもしたいと思っていました。

根本はいつも「福祉の街づくり」

 最初は5人の主婦で、市民事業として地域の助け合いサービス「ワーカーズ・コレクティブ藤」を立ち上げたんです。「雇い雇われるの関係ではなく、市民対市民の対等な関係なんです」ということを言い続けて、だんだんと賛同してくださる方が増えていきました。根本にあるのは「福祉の街づくり」で、藤沢の地域に必要とされるもの、いずれ自分が歳をとった時に、藤沢が福祉豊かな街であってほしいという思いでした。

 その後、特定非営利活動法人格を取得し、2000年には介護保険事業に参入しました。今では大きくなって、150人くらいのメンバーが仲間となってくれています。NPOですので、誰かが社長とかではなくて、みんなで話し合いながらこれまでやってきました。理事長も交代制で、私は3代目、そして今の6代目を務めています。2005年に6代目になったとき、大きな建物を建てるという構想があって、そのためにはワーカーズではやっていけないと「ぐるーぷ藤」に組織改変しました。

みんなの思いが詰まった一番館

 「ぐるーぷ藤 一番館・藤が岡」は2007年の10月に開所させました。これは、高齢者住宅、精神障がい者のグループホーム、幼児園、レストランなどがひとつの建物に入った複合型福祉マンションです。在宅で一番皆さんが心配していらっしゃるのは、自分の最後の場所なんですね。この家で死ぬことができるのかしらという、生きて死ぬ場所。もしも今のおうちで住み続けることができなかったら、安心して死ねる終の棲家をつくらなければいけないなという思いがありました。その時は、資産ゼロでした。そこから知恵を出し合い、様々な工夫を重ね、やがてURから土地を購入して作ることができました。

 高齢者も障がい者も、子どもたちも、みんなひとつ屋根の下でという、今までの自分たちの思いを全部入れて、形にしたのがこの一番館なんです。

福祉の最前線にいるということ

 今、通所介護、小規模多機能など、多岐にわたってたくさんの事業を持っていますが、そのすべてのもとがホームヘルプなんですね。利用者の方のお宅に行くと、いろいろな悩みを聞きますよね。それがまさに地域のニーズだなということに気が付いたのです。自分たちの力で解決できるならしていこうと。まさに福祉の最前線にいるということをひしひしと感じていました。必要とされるサービスをひとつひとつ広めていったら、今の形になったというのが実感です。

 うちのスタッフは、ほぼ全員、福祉職の資格を持っているんですね。受付であっても、いろいろな方が見えたら、すぐに飛び出して行ってケアをする。キッチンの中にいても、いろいろな方が食べにいらっしゃる。誰もが福祉職の対応ができる、それはとても必要なことなんです。

 新しく入ったスタッフには、全員、最低二か所ホームヘルプに入ってもらいます。それは、在宅を知らずに施設を語ってほしくないからなのです。私たちは、最高の居場所を提供したいという思いで、施設運営をしています。だけど、それがどんなにいい施設であっても、ここのケアが最高と思ってほしくないのです。その方にとって一番居心地がいいのは、今まで住んでいた家なんですね。「この施設に入ってよかったわ」と言ってくださるのは、半分はお世辞だと思って下さい、と私はよくスタッフに言っているんです。「みなさん優しくて嬉しいわ」って言ってくださる。でもそれは、みんないろいろなことを我慢して捨てて施設に入ってくださっているんです。だからいいケアをして当たり前なんです。どれほど在宅が心安らぐ場なのかを知らなくてはなりません。だから私はホームヘルプに思い入れが深いんですね。またもっともスキルが要求される場であるとも思っています。

二番館の完成、そして三番館へ

 今年の5月にやっと「ぐるーぷ藤 二番館・柄沢」が完成しました。施設内に、リハビリができる超音波流水プールを作りまして、これは福祉施設では日本で2例目だそうで、すごく好評いただいています。私自身、二番館で暮らしています。自分が欲しいと思った施設を建てたわけですから、自分が住んでみて、本当に必要なことや不必要なことを、中から発信していこうと思っているんです。

 二番館には、シングルのスタッフが子連れで管理人として同居しているんですね。夕方になるとランドセルを背負って子どもたちが帰ってきます。それを見ると「うわー、いいなぁ」って思いますね。

 3年後には、三番館をという計画にも着手しています。高齢者の住宅が中心になるのですが、子どもたち、シングルマザーやシングルファザーの支援もしていきたいと思っているんです。だから最初に保育園とシングルのための住宅ですね。そして障がい者のグループホームと考えています。

 私たちは市民の方に育てていただいたと思っているんですね。それは本当に幸せなことです。私たちの根本はいつも「福祉の街づくり」でした。その思いは26年間、ずっと変わることはありませんでした。

 私は本当に母の介護がきっかけなんですけれど、母が自分の身を持って私に「福祉の仕事をしなさい」って教えてくれたんじゃないかって、思っているんですね。福祉って本当に素晴らしい仕事です。本当にいろいろな人を包み込んでくれる。誰もがここで癒されて元気になります。

 私は、市民福祉団体全国協議会というところで常務理事をしているのですが、一昨年、そこから市民福祉支援協議会という一般社団法人を生み出したんです。そこで身元保証や、適正な価格での葬儀など、生活保護の方も最後まで支援させていただくというサービスを始めました。必要とされる限り、私はずっと働いていこうと思っています。

やりたいことをすべて詰め込んだという思い入れが深い
「一番館」。

「二番館」外観。
今年5月にオープンし、現在入居者募集中。

毎月1300人ほどが訪れる、藤沢市地域ささえあいセンター「ヨロシク♪まるだい」。
300円で栄養たっぷりの食事を提供している。
気軽に来られる市民の居場所となり、全国から見学者が絶えない。
(週に3日、夕方4時から夜9時までは、こども食堂「こども♬まるだい」となる)

【久田恵の視点】
 自分たちの老後も介護も自分たちで守る。自分の終の棲家は、自分たちで作る。70年代、かつて若者だった団塊世代が掲げたコミューンづくりを彷彿とさせます。介護の新しい時代の息吹を感じますね。