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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第101回 大変なぶん、やりがいは大きいです 
他の仕事では得られないおもしろさもあります

星美咲さん(25歳)
特別養護老人ホーム サニーポート小名浜
介護福祉士
(福島県・いわき市)

取材・文:進藤美恵子

食品関連の仕事に就くつもりが新卒で介護の世界へ

 中学生くらいから、洋菓子作りが好きで食品製造系の仕事に就きたいと思っていたんです。だから、食品の加工・製造等が学べる科のある高校に進学して食品のことを勉強しました。でも、いざ、就職するとなったときに、食品関係の仕事に就くことはできませんでした。

 それまで食品関係の仕事ができる所に行きたいとばかり思っていたので、どうしようかという感じでした。当時、学校への求職で一番多かったのが介護の仕事でした。自分に何ができるかを考える中、これまでお年寄りと接する機会が多かったので、この仕事もいいかなと思うようになっていました。

 小学生の頃に頻繁ではないんですけど、課外授業で老人ホームに行く機会があり、こういう仕事もあるんだなというのは何となく知っていました。高校生のときに所属していたインターアクト部でも老人ホームにボランティアで行くこともありました。でも、その時は、私がこの仕事に就くことになろうとは、全然思いもしませんでした。

 病院への就職が決まり、卒業を目前にした頃、夜間だったんですけど介護ヘルパー(介護職員初任者研修)の講座に通い、就職への準備をしました。

戸惑いから、徐々に芽生えた介護の仕事への思い

 最初に就職した病院では介護療養型のホーム病棟に配属され、おむつ交換や入浴介助という、従来型の介護全般をしていました。最初は、本当に業務の流れについていくことで精一杯でした。

 介護ヘルパーの講習では、実際に介助方法とかの実習もします。でも健常者を相手にした時と、実際に患者さんを相手にした時とでは全然違います。患者さんによって移乗の仕方も、やりやすい方法もそれぞれ変わってくるんです。

 だから最初は、戸惑いもありました。患者さんを体位交換する時も、どう触れたらいいのかがわからなくて。力加減とかもそうだし、コミュニケーションでも最初は何を話したら言いのかわからなかったり。周りが徐々に見えてくるようになると、コミュニケーションでは、先輩たちが何を話しているのかと、実際に話している時に聞くようにして、徐々に自分でもこういうことを話してみようかなと、本当に少しずつですけど、こうしようという思いが出てくるようになってきました。

コミュニケーションは量ではないんです

 初めは自分がしなければいけないことだけを本当に集中してやっている感じで、今日はここができなかったとか失敗ばかり。次の日は、例えば時間内にできなかったことを、時間内に終えられるようにしようというふうにしていました。私は、覚えるのに結構時間がかかるんです。介護に必要な患者さんの情報とかを覚えるのにも時間がかかっていました。そこで一覧表を作成して、その都度メモを取り、家に帰ってからも患者さんの顔を思い出しながら、この人はこうだったとか、その日の振り返りもしていました。

 今も忘れない思い出は、患者さんの中に聾唖者の方がいらっしゃったんです。耳が聞こえない方なんですけど、徐々に業務にも慣れてきた頃、その方とも話してみたいなと思ったんです。筆談という手段もありましたが、その方は手話をされる方だったので、とりあえずトライしてみようと。本を見て独学で覚えた手話でその方に話しかけたら本当に喜んでくれて。簡単な挨拶だったんですけれども、話が通じたときに、まわりがパーッと明るくなるのを感じました。

 喜んでくれたのが本当に嬉しくて、ほんの些細なことでもコミュニケーションが大切だというのを強く実感しました。手話を覚える前は、その方と話す機会はありませんでしたが、それ以降は、簡単な会話ですけど手話で話すようになり、距離も縮まったと思います。コミュニケーションは量ではなく、ほんの少しのきっかけで大きく変わるんです。

患者さんに楽しんでいただけるような介護がしたい

 実は、最初はとりあえず3年間だけは頑張ろうと目標を立てて就職したんです。3年経って、介護福祉士の資格を取得しました。

 病院での従来型の介護では、時間ごとにおむつ交換、入浴介助と決められていて、コミュニケーションを取る時間が少ないんです。私の中では、その病院でのやり方しか知りませんでしたから、それが介護のイメージだと思っていました。でも、どうせなら、もうちょっと患者さんに楽しんでいただけるような介護をしたいという思いが募るようになっていました。

 そのまま続けていくのか迷いましたが、他の介護施設をいろいろ調べる中で、ユニット型の介護があることを知りました。病院での4年8か月の経験を経て、今の施設に転職しました。

 病院では、患者さんと話すことはあっても、ユニットケアみたいにテレビを見ながらの会話をするとか、そういうことはほとんどありません。職員次第で、入居者さんとのコミュニケーションを取ることができるというのが大きな違いでした。

辛いことや大変なことばかりではないことを伝えたい

 介護の仕事は、一言で言ったら、やりがいのある仕事です。それが一番大きいです。

 夜勤でもそうですけど、やり終わった後の達成感だったり、行事などで入居者さんに喜んでもらえたり、「ありがとう」って言ってもらえるのは純粋に嬉しいです。この仕事は、周りの人からも「大変な仕事」「辛い仕事」・・・と言われることも多いと思いますが、それだけではないんです。大変なぶん、やりがいが大きいことを知ってもらいたいです。

 介護の仕事にしかないやりがいもあると思うんですけど、ほかの仕事では絶対に接することができない入居者さんたちの話を聞くことができるなど、そこにはおもしろさもあります。話の内容もそうですし、なんだろう、人柄ではないけど、介護でなければ身近に接することができなかった人たちと出会い、関われることができるという環境がすごいです。

 一回の夜勤を終えるごとに、「よし、今日もやり終えた」と小さい達成感ですけど、その繰り返しです。今の職場は、以前の職場とは違って、少ない人数の入居者さんに対してある程度の職員で見ることができる環境が、利用者さんにとってもスタッフにとってもいいところかなと思います。この先、個人的にはもっと、入居者さんと外出の機会を増やしていけたらいいなと思います。

入居者の方からもスタッフからも信頼を集める星さん(右)

【久田恵の視点】
 介護保険制度がスタートしたのが、平成12年の4月。介護の現場は、さまざまな仕事体験、人生体験をしてきた転職の人たちが支えてきました。でも今は、社会人として最初に足を踏み入れた現場が介護だった、そういう若い人たちが増えています。
 この現場は、利用者の方も先輩も、多様な人たちが世代を超えて出合う場所です。そして、先行世代にとって、ここで出会った若者たちの視野を広げ、他者を支える意味を伝え、人の生と死を考えさせ、成長していける場所にする、そんな大事な役割を果たす場にもなっているのだと思います。