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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
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花げし舎ホームページ:
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プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第38回② 山下祈惠 NPO法人 トナリビト
ニューヨークのスラム街で覚悟を決める。
熊本で子どもたちや若者の支援をすることが私の使命。

NPO法人 トナリビト
山下祈惠(やました きえ)
熊本県出身。父が医者で病院経営、母が教会の牧師兼カウンセラーという家庭で育つ。進学したアメリカの大学で出会った女の子が、熊本の児童養護施設からアメリカ人夫婦に引き取られて育ったことを知り、卒業後、企業に勤める傍ら児童養護施設でボランティア活動を始める。やがて休職し、「社会的養護の世界に自分の人生をかける覚悟があるか」と問いながらニューヨークのスラム街で子どもたちの支援に関わる。2019年7月に帰国、起業の準備をしながら12月に退職し翌年の1月に「自立支援シェアハウスIPPO」を立ち上げる。2020年にNPO法人格取得。シェアハウスを始め、相談窓口、居場所スペース、就労のサポートなど、「親を頼ることができない若者たち」を幅広く支援している。

取材・文:原口美香

―前回は社会的養護の世界と関わるようになったきっかけをお話いただきました。
今回は休職してニューヨークのスラム街で特殊訓練を受けたお話や、立ち上げまでのことをお聞きしていきたいと思います。

―なぜ、スラム街での特殊訓練に参加を決めたのですか?

 施設に行って勉強を教えるということを繰り返しているうちに、社会的養護は特殊な世界だと感じました。私たちは専門職でもないし、生半可な気持ちで突入できる分野ではないことも分かっていました。日本に限らず子どもたちや若者のために自分の残りの人生を費やしたいか、判断をしなければならないと思ったのです。明らかにもっと過酷な状況の中に自分の身を置いたときに、それを楽しいと思えるかどうかでこの先の人生の方針を決めようと。

 ニューヨークのスラム街には政府の建物があるんです。冬はホームレスをしていたら凍死してしまうような寒さですので、政府が建ててそこにいろいろな人が住んでいるんです。一つの街を団体員のひとりが担当して出かけて行って、全戸訪問します。どの家に子どもが何人いて、お父さんとお母さんはどんな事情を抱えているかということを最初に全部洗い出すんです。私が担当したところには600人くらいの子どもがいました。1週間に1回は必ず家庭訪問し、生存確認、人数確認をするのが決まりでした。残りの週5日はトラックに乗ってそれぞれの担当エリアで道端学校をやるんです。学校といっても勉強ではなくて「あなたたちの人生には価値があるんだよ」「あなたたちが人生を変えたいと思ったら変えられるんだよ」とか、「どうして人を殺してはいけないか」などの倫理教育でした。子どもたちが集まるとお菓子や食料を渡します。フードバンク的な要素も兼ねていました。目の前で人が撃たれるような危険な環境ですから、必ずその団体のTシャツを着て行くのですが、いろいろな場面に遭遇することがありました。そのような中でスラムの人に対してどう接するか、どう関係性を築いていくか。自分の価値観や恐れを持ち込まないで相手の価値観に合わせるということを、そこですごく学びましたね。

 一日16時間くらいの労働でしたが、やりがいを感じてとても楽しかったのです。元の生活には戻れないなと思うくらい価値観の変移もありました。これからどこで子どもたちの支援をやろうかと考えると、スラムや発展途上国は放っておいてもボランティアやワーカーさんがどんどん来るのです。じゃあ日本は? 熊本は? 熊本で子どもや若者の支援をするのが私の使命だと確信しました。

 7月に帰国して9月に起業の準備を始め、元いた企業を12月に退職して翌年の1月に「自立支援シェアハウスIPPO」を立ち上げました。

―帰国から立ち上げまで急ピッチでしたね。何か当てがあったのですか?

 全くゼロからでした。実家は医療家庭なので私自身ビジネスには疎く、熱量だけで動くタイプでもなくて慎重な方なんです。起業資金もなかったので、まずは必要な資金と人脈をそろえようとクラウドファンディングのセミナーに行きました。そこで出会った人が人を紹介してくれて、次の日会いに行くとそこでまた人を紹介してもらって。その時は「協力してください」とすら言えていなかったんじゃないかと思うのですが、「こういうことをしたいんだ」と話したら人がどんどん人を繋いでくれて、気が付いたら2週間で必要な人脈が全部揃っていたのです。

 起業資金は、ご縁が繋がった方が助成金のお話を持ってきてくださって。3つ申し込んだうち2つはダメでしたが、金額の大きな1つがいただけた。最初にシェアハウスをやろうと決めていたので、物件も探していたら「条件がピッタリじゃないか」と知人が情報を持ってきてくれたんです。

―最初にシェアハウスを始めようと思ったのはなぜですか?

  私が児童養護施設の家庭教師で最初に受け持った子たちが「人生1回くらい失敗してもやり直すことのできる、安心していられる家が欲しい」と話していたことがあったんです。その言葉がずっと忘れられなかったんですね。それに現実的に何の事業から始めれば自分の生活もペイできるのかも考えました。自分の生活が整わないと事業は継続できない。ニーズも高くて給料が安くても自分の生活も成り立つのは、シェアハウスだと思っていました。気持ちだけでシェアハウスを立ち上げて、実際誰も入らないということは絶対に避けたかったので、関わっていた施設の先生にシェアハウスが必要な子がいるかを打診して立ち上げの時期も調整しました。

 物件は4LDKで3人定員。候補の3人を確定し、その子たちのニーズに合わせて工夫もしました。最終的にはひとり事情が変わってキャンセルになったのですが、HPを見て別のところから申し込みがあり予定通りスタートさせることができました。

―「安心して暮らせる家が欲しい」という言葉には胸を突かれますね。
次回はシェアハウスや、現在行われている支援について伺っていきます。

 シェアハウスで共に暮らしながら成長を見守る。
 就労問題、金銭の管理など生活のサポートもかかさない。