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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第32回➀ 菊池 真梨香 一般社団法人 Masterpiece
助け合って暮らすのは当たり前のこと。
その根底にある文化が私を突き動かす。

一般社団法人 Masterpiece 代表理事
菊池 真梨香(きくち まりか)
千葉県出身。母が手に障害をもっていため、「助け合うのは当たり前のこと」という環境で育つ。自身の生い立ちから「子どもと関わる仕事をしたい」と、卒業後は児童養護施設に就職し、住み込みで虐待などの理由から親と離れて暮らす子どもたちのケアワーカーとして従事。やがて18歳で施設から巣立った子たちのその後のケアが薄いことを知り、今度はそのケアを中心にしたいと独立を決意。2016年、カナダの「アドボカシーオフィス」などを訪問。2017年「Masterpiece」を設立して発信活動を開始する。同時に居場所づくりも兼ねて一軒家を借り「シェアハウス」を始める。同年11月に社団法人化し、児童養護施設などを巣立った子たちの「住」と「食」を軸としたサポート活動をしている。支援する若者たちからは「まりっぺ」の通称で慕われている。

取材・文:原口美香

―菊池さんが「福祉」と関わるようになったきっかけを教えてください。

 私の母は手に障害をもっています。母は昔事故で左手の手首から上を失いました。何でもできる母だったのですが、ちょっとした手伝いが必要な場面もあったので、サポートするということは特別なことではなく当たり前の環境で育ちました。そういう文化の中で育ててもらったということを私はプラスに感じています。
 幼少期に私はいじめを受けていて、ある特定の子からずっと支配されていました。それで自分の気持ちを話すことが出来なくなりました。誰にも相談できず、人に嫌われたくないという思いから、小学校、中学校と自己肯定感が低いままに過ごしてきました。
 クリスチャンだった母親に連れられて通っていた教会のキャンプに、高校生の時に参加しカウンセラーの方と話す機会がありました。いじめのこともあって「死にたい」と思っていたこと、つらい思いずっとしていること、そこで自分の気持ちを全部吐き出せたのです。自分の話を聞いてくれる人がいる、話すことはこんなにすっきりするのだと初めての体験でした。自分が信じていなかっただけで信じられる人はいっぱいいるし、自分をさらけ出して話すと相手もオープンになって心が通い合うと分かり自分にとっての転機となりました。それからの私は変わっていきましたし、人が変わることってすごい、将来は人の変化に携われるような仕事がしたいと思ったのです。

 進学した大学で教職課程を取る機会があり、福祉のことを学んでいた訳ではなかったのですが、子どもと関わりたいという気持ちが芽生えました。就職を迷っていた時に児童養護施設を紹介され、どういうところか調べていくうちに「私のやりたいことはこれだ!」と思いました。虐待を受けた子どもたちと共に過ごす。簡単なことではないだろうけれど挑戦してみたい。私の経験はとても小さなものかも知れないけれど、私が変われたという経験を活かせることが出来たら、と就職を決めました。

―住み込みだったということですが、どのような様子だったのでしょうか?

 そこは小舎制の施設で、全体の定員が44名くらいなのですが、敷地に一戸建てがポンポンポンと建っているような感じで、それが1グループになります。子どもたちが6~7名、住み込みの職員が3名いて家族のように暮らします。
 お休みの日もそこから出かけてまた帰ってくるという形なので、なかなかオンオフの切り替えが出来ないのですが、私はとても楽しんで過ごしました。

 働き始めて2、3年経った頃、18歳で児童養護施設を巣立っていった子たちのその後の報告が聞こえるようになりました。仕事を辞めてとか、寮を追い出されちゃったとか、学校に全然行かなくなって部屋に引きこもっているとか、妊娠しちゃってとか。施設であんなに頑張っていた子が、立派に巣立って行った子が、誰にも頼ることが出来ずにバタバタと倒れていく。このままではいけない、と強く思いました。もっとアフターケアをする専門的な場所が絶対に必要だ、いつか独立をして、アフターケアをしたいと思うようになりました。
 児童養護施設で5年間ケアワーカーとして働き退職した後、知識を広めたくてカナダに行きました。カナダでは養護施設出身の若者に対する支援制度が進んでいます。英語の勉強もしながら、アドボカシーオフィスを訪ね「アドボカシー(自分で判断する能力が不十分だったり、意思や権利を主張することが難しい人たちのために、代理人がサポートしたり、代弁して権利を擁護する活動) 」を学びました。

―ご自身にできることは何か、日本に必要なことは何かを考えるためにカナダを訪問されたのですね。
次回は帰国した後のことをお話いただきます。

施設を巣立った子たちの思いを綴った「僕らの声」を発行。