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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
terada@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第14回① 光枝茉莉子 一般社団法人 アプローズ代表理事
福祉の世界で理念を実現させ、
走り続ける人たちを間近に見て……

一般社団法人 アプローズ代表理事
光枝 茉莉子 (みつえだ まりこ)
東京都福祉保健局で8年間勤務。障害者の働く環境と工賃の低さに疑問を感じ、2014年 障がい者がフラワーアレンジメントの技術を学びながら働く事業所「アプローズ南青山」開設。首相公邸に定期的に花を納品するなど、福祉の新しいかたちを追求。障がい者雇用の専門コンサルタント株式会社アンフィニテの代表も務める


  • 一般社団法人 就労継続支援B型作業所 アプローズ南青山
    東京都 港区南青山4-3-24 青山NKビル2F
  • HP(アプローズ APPLAUSE)
    http://applause-aoyama.com/
  • HP(株式会社アンフィニテ)
    https://infinite8.jp/

取材・文:石川未紀


──大学では社会福祉を学ばれていたそうですね。

 はい。ただ、最初から社会福祉に興味があったわけではありませんでした。私が通っていた東京都立大学は2年生で専門分野を決めるのですが、当時は心理学を学びたいと思っていました。ところが当時はとても希望者が多く、第二希望の社会福祉学科に。社会福祉士の資格も、在学中に何となくとっておこうか、という意識でした。
 うちは、公務員一家で、両親も兄も公務員でしたので、私もその流れで都庁を受けてそのまま入職。保健福祉局へ配属され、日々の仕事をこなしていきました。そんなとき、東京都の障がい者の施設を支援する部署で、多くの施設長や理事長とお話しする機会があったんです。みなさん、とてもバイタリティがあって、信念をもって取り組んでいらっしゃる。それだけでなく、ご本人たちが、楽しそうにわくわくしながらやっている。そのことにすごく感銘を受けたんですね。
 自分は、特に何の意識もなく、公務員となり、疑問も持たずに仕事をしてきたけれど、これで本当にいいのだろうか、と思うようになったのです。都庁は二、三年ごとに部署が変わります。このままずっといろいろな課を転々としていたら、自分のキャリアはいつまでたっても磨くことができない。自分もあんな風に輝いて仕事がしてみたい、そう感じるようになり、まずは就労継続支援B型事業をやってみようと思ったんです。

──公務員一家でしたら、ご家族の方も心配されたでしょう。

 ええ。両親はもちろん、親戚にまで大丈夫なの? と聞かれました。
 仕事柄、福祉関係のことには詳しかったので、起業するにあたって、どんな書類や準備が必要かということはわかっていましたが、実際にどんな事業にするのか、お金はどのくらい必要なのか、そんなことはすべて手探り。
 いろいろな本を読んで勉強しました。
 そんな折、こんなことがありました。当時住んでいた近くの公共施設のショップで、障がい者の方たちが作業所で作った、鉛筆立てを100円で売っていました。それは牛乳パックに紙を貼っただけのものでした。正直、これは売り物になるのだろうか、と思いました。当然、売れないので、ずっとほこりをかぶって陳列してある。私は、これを見ていていたたまれない気持ちになりました。どうして職員さんたちがこの状態をおかしいと思わないのだろう、これは商品としてあり得ない、とどうして声を上げないだろう、と思ったんです。職員さんがこれでいいと思っている限り、作業をされる方たちはずっとそれを作り続けるわけです。彼らが持っている能力、機会を生かそうと思わなければ、この状態はずっと続くことになってしまう。これでは広がりがありません。作業する方だって、やり方を工夫すれば、使う人が喜んでもらえるものをきっと作ることができるのです。
 それで、いろいろ考えました。
 障がい者の方自身が楽しくやりがいをもってできる仕事であること、それが社会とつながっていくようなものであること、そして、その人の作ったものが社会へ貢献できるものであること。そんなものにしたい。
 思いは定まりました。
 そして、花を使った就労継続支援B型事業を立ち上げよう、と思い至ったのです。 
 退職して事業を立ち上げたのは、私が30歳のときでした。

花屋を始めよう!と無謀にも決心