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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

生きざま


 とめさん(仮名)が亡くなった。享年90歳。グループホームで職員さんの心臓マッサージを受けながら息を引き取った。
 とめさん、「心臓がボロボロのあの状態で、よくぞここまで頑張って生きてきました。」と主治医に言われるほど持病が良くない状態でしたが、グループホームでの2年半、ホントに「生きること・生き抜くこと」を見せていただき、魅せられてきた。

 とめさんは、自分でできることは何としても自分でやろうとする方だった。

 「少し疲れましたので、少し休ませてもらってもいいですか」と微笑む場面はありましたが、さぼることなく、手を抜くことなく、ごまかすことなく、か細い身体で一生けん命。

 とめさんは、他人のことも良く気遣われる方だった。
 ちょっぴり微笑みながら他人への愚痴をこぼされることもありましたが、非難することなく、怒ることなく、わけ隔てることなく、共同生活者の一員として一生懸命。

 主治医の言う通り心臓がボロボロの中で、きっと辛い時があっただろうに、さぼりたいとよぎっただろうに、苦しい瞬間もあったのに、最期まで生き抜かれた気がする。

 心臓が「普通の状態」にあり、年齢はずーっと若い僕や職員は、とめさんの爪の垢を煎じて飲まねばである。

 さぼる、手を抜く、ごまかす、他人を非難する、他人に怒る、わけ隔てる・・・告別式で手を合わせながら恥ずかしくなってきた。

 この仕事が他の仕事と決定的に違うのは、たくさんの「生きざま」、それも最期の生きざまに出会えることではないか。

 それを僕ら自身が、「利用者・入居者の生きざま」と介護職員としてとらえるか「人の生きざま」と人としてとらえるかで、この仕事の値打ちが違ってくるように思うのは僕だけだろうか。

 僕と出会う前にどんな暮らしをしてきたか、どんな人と一緒に過ごしてきたか、何を考え何を思いどう生きてきたか、そんなこんなことを知る由もないが、今を生きる人としての生きざまにあらわれる。あらわれるはずである。

 その生きざまに学ばねばである。
 たとえ認知症の状態であろうが、たとえ身体が不自由であろうが、すべてが人としての生きざまであり、どんな人も他人の生きざまから学び・影響を受けて生きているからこそ、人が生きることの価値がある。
 人の社会に「不要な人」はいないのである。

感謝とともにご冥福をお祈り申仕上げます。合掌

追伸
 いろんなことが重なりブログに向かえませんでした。遅れて申し訳ないです。

写真

 これは公道を走るカートです。
 興味のない方にはまったくわからないと思いますが、遊園地にあるゴーカートを公道で走らせているようなもの。ちなみにこれは、走らせてもいい「合法カー」なんですね(興味のある方はネットで。40万円くらいで買えますよ)。

 ちなみにキャンペーンか何かだったのでしょうか、お二方とも「スーパーマリオ」でしたが、発見した時は「これ、この道、走らせていいの?」と驚きでした。