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「そんなこと」でも、俺には「大事なこと」なんだ!
 ~がんになってわかった「介護される人」の気持ち~

松崎 匡(まつざき ただし)

現場経験を活かして専門学校で教鞭をとっていた最中に「がん宣告」を受けた松崎さん。
「利用者のため」をモットーに介護にあたってきたつもりが、利用者の立場になってはじめて気付くいろんなこと…。
がんと絶賛同居中(?)の松崎さんのアツい思いをお届けします。

プロフィール松崎 匡(まつざき ただし)

2014年4月より「合同会社M&Yファクトリー」代表社員。
元アルファ医療福祉専門学校教務主任。福祉関連事業所の開業、業務改善などのコンサルティング、研修講師、市民向けの介護講座などのほか、青少年の更生、フリーター、ニートの就職支援などを手掛ける新たな福祉への関わりを中心に活動中!

第12回 僕が福祉に関わり続ける訳 
~心が折れそうになったときに支えがありますか?~

 前回に引き続いて、福祉に関わり続ける「支え」の話をしたいと思います。
 皆さんは福祉の仕事を続けていくうえでの「支え」を持っていますか? 持っているとして、いくつその「支え」がありますか?

 そんな内容で、若い頃の僕の師匠の話を前回しましたが、今回は僕が「どのように福祉に関わり続けようと思っているか」について書かせていただきます。

 僕が前回の連載から今回の連載まで一番伝えたかったのは、「専門職だからこそ利用者(専門職ではない人)にわかるように物事を伝えられるようになって初めて専門性が役に立つ」ということです。

 僕の母は、中卒で准看から働き、仕事と子育てを両立しながら正看になりました。定年後に社会福祉士を取得して「さぁ、これから福祉の分野で・・・」というときに、手の施しようがない状態のがんが見つかり、10年前に亡くなりました。

 母のきょうだい(男2人、女3人)のうち女3人は、みんな看護師資格を取得して福祉業界で活躍しており、母もそんな妹たちを見て定年後に福祉を学んだようです。
 将来は、小さくてもいいからみんなで福祉事業所をやりたい、なんて夢があったようですが、突然のがん宣告でその夢は絶たれました。

 急激に進む病状のなかで介護が必要になるのですが、このときに、周囲に「専門職」がいることがとても役に立ちました。恵まれた環境がすぐに整えられたからです。

 自宅で介護するための用具などは母の妹がすぐに手配してくれ、訪問看護は母が勤めていた病院の訪問看護サービスがすぐに利用できて、ベッドなどは僕の知り合いの業者さんが僕たちのわがままを聞いてくれました。
 専門職が家族にいると、こんなにも迅速に完璧な在宅介護の体制が整えられるのです。わが家は本当に日本で一番恵まれた環境にあると思っていました。

 しかし、専門職が身内にいることで、大切な何かが置き去りにされていたことに後から気付くことになるのです。
 母の周囲には、それこそ「最強のケアチーム」が結成されたのですが、ここに落とし穴があったのです・・・。

 最強のケアチームがケアしてくれることに僕は満足してしまい、一人置き去りにされた人に気付くことができませんでした。
 ・・・そう、母の旦那=僕の父は、高度な専門職ばかりの環境で交わされる「専門用語」に翻弄され、何もわからないまま一人孤独感と無力感ばかりを感じていたのです。・・・と今は思う。

 医師がきて検査結果の数値などをいろいろ説明してくれたり、母の妹が介護の注意点を教えてくれたり、母は母でその専門用語が理解できるから、父の知らないところで専門職が介入して日々めまぐるしく変化していく状況になっていました。

 そんなある日、父が「お前らなんかこなくていい!」と爆発したのです。
 しかし僕は「こんな恵まれた環境を整えてもらいながらなんだ!」と父を叱責してしまいました。余命いくばくもない母が「お願いだから私のことで喧嘩しないで! あんたたちが仲悪いままじゃ安心して死ねないじゃない!」と言ったことをよく覚えています。

 やがて母が亡くなって、何だか親戚とも微妙なしこりが残ったまま・・・なんて状況になってやっと僕は気付いたのです。

 あのとき、僕が母の周囲で交わされる「専門用語」を、全くわからないまま右往左往している父に「通訳」してあげる役目を果たしていれば、こんなにも恵まれていながらこんなにも後味の悪い最期にならなかったのではないか? 僕は専門職チームの一員としてではなく、「家族」としての視点も併せもって関わるべきだったのではないか?

 母の死から、僕は介護・福祉と関わる視点が変わりました。
 そう、介護職は利用者がわかるように「通訳」することができて初めて専門職としての使命を果たす。そんな実践ができる介護者を増やしたいという思いが僕の支えになっています。だからそれが達成できるまでまだまだ死ねないのです。折れる訳にはいかないのです。

 というわけで・・・今回で、この連載は終了となります。
 でも、今後も何らかの形で介護に関わる方、ご家族、さまざまな方に向けて僕なりの視点で福祉をもっとよくしていけるようなことを発信し続けていきたいと思っております。

 ケアに関わる人には厳しいお話も書いたりしたかと思いますが、それをバネに今後よりよい実践をしていってもらいたい! そういう「叱咤激励」だと思っていただければ幸いです。

 また、ここで続編もあるかもしれませんし(?)、どういう形になるかはわかりませんが、とりあえずは近況などを発信していきますのでこちらにアクセスしてみてください。


連載がきっかけで出会ったがん仲間のYoko Haraさんの娘さんに退院祝いで幻の共演を描いてもらいました(^^)
?トランジスタラジオ?

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