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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

学習支援の取り組み

 埼玉県内では、生活困窮家庭の子どもたちへの学習支援活動を行政と地域社会が力を合わせて取り組んできました。埼玉大学でも、多くの学生が学習支援ボランティアとして参加しているだけでなく、授業やサービス・ラーニングの取り組みの一環として、学習支援活動に参加するチャンネルを拓くよう努力してきました。

 「貧困の世代間連鎖」は世界中で指摘されてきた古くて新しい問題です。生活保護世帯の子どもの4人に1人は成人後に生活保護受給者になっているという事実はあまりにも有名です。貧困が地域社会に沈殿してしまったようなところでは、生活保護の受給が3世代~4世代にわたって連鎖しているところさえ確認されています。

 「無償の」(はずの)義務教育制度があり、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する制度である(はずの)生活保護制度の下で、「貧困の連鎖」はますます拡大しつつあるというのが、わが国の現実です。

 5月11日の朝日新聞朝刊埼玉版のページでは、埼玉大学の近くにある無料塾「ひこざ」の取り組みを紹介しています。ここの取り組みで特筆すべき点は、生活困窮家庭の子どもたちへの学習支援にねらいを定めてはいるのですが、無料塾に通うことのできる要件を「経済的に困っている子ども」に限定していないことです。

 子ども食堂のことを記した4月23日のブログでも指摘したように、利用要件を「生活困窮者」に限ることはスティグマ等の問題から、逆に、利用を難しくしてしまいます。その点、この無料塾は間口を広げたままにしておくからこそ、「家が貧しく疎外感のある子も安心できる居場所になる」(同朝刊記事より)のです。

 このような地域社会の努力もあって、埼玉県における高校進学率は全体の99.0%に対して、ひとまず94.6%にまでなりましたが、大学進学率は全体の56.9%に対して27.2%と大きな格差が依然として続いています。

 ここでいう進学には、就職機会の増大を含む自立促進の点だけでなく、豊かな生きる力の総体を育むプロセスの充実という点にこそはかり知れない意味があると思います。この事実は、彩の国・子ども若者支援ネットワークの取り組みをドキュメントした番組に描かれおり、次のところで視聴できますから、ぜひご覧ください。

 このような生活困窮家庭の子どもたちへの学習支援や子ども食堂の取り組みは、今になって始まった取り組みではありません。民衆同士の支え合い活動は、時代を超えてさまざまにありました。ただ、かつてのような共同体性は現代の地域社会にありませんから、「地域の支え合い活動」を行政が何かの事業で支援さえすれば地域全体の取り組みに広まるなんてことは幻想です。

 それでも、地域の共同体性を喪失していく近代以降の取り組みの中で見直してみると、現代日本の一連の生活困窮者に対する地域活動は、かつてのソーシャル・セツルメント運動に近似している点が多々あるように思います。

 とくに、貧困の問題が単なる金品の給付によってでは解決することができず、教育を通じた学力と人格形成の重要性に着目した点が、かつてのソーシャル・セツルメント運動が持っていたエッセンスと現在の学習支援活動に通底するところではないでしょうか。

 しかし、1884年に発足したトインビー・ホールと趣を異にする点も大きい。イギリスのソーシャル・セツルメント運動は、ブルジョア階級の大知識人(オックスフォード大学やケンブリッジ大学の学生や卒業生)が貧しい労働者の居住区に入り、「知識の植民」を介して、労働者自身が生活をゆたかにし、知識人と労働者が社会改良のために共に歩もうとする活動であるところに、取り組みの核心がありました。日本のお金持ちと「知識人」はどうなんでしょうね。

 このような学習支援活動に真剣に取り組んでいる学生には、かなり共通にみられる気づきがあります。まず、学習と教育は「立身出世のための営みではない」ということにリアルな認識を持つようになることです。

 次に、学習に大きな躓きのある子どもでも、学習の中で再び前に歩み始め、あるいは徐々に、あるいは急速に、自分の生活と人生に輝きを取り戻していくという事実が生まれることです。先に紹介した彩の国・子ども若者支援ネットワークの紹介ビデオの中に、NNNドキュメントの「奇跡のきょうしつ」というタイトルがあるのは、まさにこのことです。

 三つ目は、小・中学校という制度教育の側からみる「子どもたち・学習・教育」の姿や様相と、学習支援活動の中でみるそれらが、ときとして全く異なることです。学校からだけでは絶対見えてこない子どもたちの姿や学習のかけがえのなさがあると言います。

 このような学習支援活動を潜って貴重な気づきを得てきた学生たちは、制度教育の担い手として実に心強い存在だと感じます。発達や学習に困難を抱えているすべての児童生徒に、例外なく支援することができてこそ本物の教師といえるでしょう。民衆に対する優位性や優越感に浸っている教師は、端的に言うと、木っ端役人に過ぎないのです。

熱愛中のテントウムシ

 さて、この間、冬のような寒さを感じる日もありましたが、さすがに5月は様々な生き物の命が輝く時節です。理由は定かではないのですが、わが家の狭い庭には、育雛中のシジュウカラが巣立ちしたばかりの雛を連れて、わが家の梅の木に日参しています。

柚子の花
アゲハチョウの卵

 その梅の木に潜むアブラムシを目当てに、テントウムシがやってきて熱愛中。傍の柚子の木は、花を満開して柚子の香りを放っています。