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マンガでわかる 介護のキーワード

梅澤 誠 (うめざわ まこと)

介護の常識は世間の非常識といわれることがありますが、介護現場で語られる言葉に違和感を覚える人もいるようです。
この連載では、こうした「介護の常識」をマンガで考えていきます。

プロフィール梅熊 大介 (うめくま だいすけ)

1980年生まれ、群馬県出身。
東京で漫画家アシスタントをしながら雑誌、ウェブにて作品を発表。2009年第6回マンサン漫画大賞(実業之日本社主催)佳作受賞。デジタルマンガ・コンテスト2012(デジタルマンガ協会主催)優秀賞受賞。9年間のアシスタント修業の後、32歳で介護職員となり、以後介護を中心とした企業広報マンガを執筆。2015年現在、所属する大起エンゼルヘルプのホームページに新規採用者向け介護マンガを連載。著書に『マンガ ボクは介護職員一年生』(宝島社、2015年)がある。

第3回 それ、認知症のせいですか?

 冒頭のマンガは、介護職員なら常識ですね。

 さて今月2日、JR東海の列車事故(2007年、愛知県大府市にて「認知症の男性が徘徊中に列車にはねられ死亡した」事故)について最高裁で答弁がなされました。今年度中にも判決が出るそうです。

 原告はJR、被告はご遺族。電車の遅延について賠償を求める民事裁判です。一審では家族の「監督義務」を問われ約720万円の賠償。二審ではJRにも過失があったとして約360万円に減額。「認知症介護の現実がわかっていない、遺族にさらに負担をかけるのか」と波紋を呼び、最高裁判決が注目されています。

 「家族が24時間見張れるわけがない」「認知症の人の閉じ込めにつながる」など意見百出しています。が、どうも記事を読んでいると、私には別の疑問がわいてきます。

 そもそもこの事故は、「認知症」が争点でよいのでしょうか?

 「認知症老人」「徘徊」「事故」ときけば、「ああ、またか…」と反射的に思ってしまいます。認知症で交通ルールがわからなくなって事故を起こした、というイメージを持ってしまいがちです。しかし亡くなった男性の当日の足取りは、「駅の改札からホームに入り(切符はもっていなかった)電車で隣の駅まで移動、隣駅のホームから階段で線路に下りた」と見られています。別に交通ルールを無視して、踏切や進入禁止箇所から線路に入ったわけではないようです。とくにおかしな行動には見えません。

 むしろおかしいのは「なんでホームから線路に入れてしまったのだろう」で、こっちに疑問を持つほうが自然です。これはホームから線路に下りる階段のフェンスに施錠がされていなかったということで、ならば事故が起こって当然です。子どもがふざけて下りてしまう可能性もある。大人だって間違えて下りてしまうかもしれません。過激な鉄道マニアがカメラをもって下りる可能性も大いにあります。認知症だけに原因を求めるのは不自然です。

 たとえば亡くなったのが子どもだったとしたら、まず「なぜ危険な場所に施錠をしないんだ」が問われるはずです(二審判決ではこの点に触れ、請求額を半減しています)。どうも亡くなったのが「たまたま」認知症の人だったので、論点がぼやけているように思えてなりません。

 もちろん、実際に事故によって被害が出たのですから、責任はあります。認知症で責任能力がないなら、家族の監督義務も生じます。たとえば認知症の人が自動車運転で加害者になってしまう場合では、被害者側には防ぎようがありません。車の鍵を預かるなど、監督者が対策するしかありません。予防策をとる義務があるのも事故防止の面から当然だと思います。

 ただ今回の列車事故については、駅という公共の場で、認知症でない人でも危険箇所に入る可能性があった状況です。監督責任を問うなら、せめて公共交通機関の安全管理も同じくらい重要視されるべきではないでしょうか。事故を防げる可能性は家族にも、駅にも両者にあったはずです。

 この事故に関して新聞、コラム等たくさん目を通しましたが、ほとんどの記事に「認知症老人が徘徊中に・・・」と書かれていました。判で押したようです。「ほらやっぱり、認知症の人は」という思い込みはないでしょうか。しかし当然ながら各事故、各人により状況は違います。本当に認知症だけが原因なのか、原因の一部なのか、あるいは別の原因があるのか、考える必要があると思います。事実、列車事故で亡くなる方の9割以上が「認知症でない人たち」であり、主な原因は「踏切道における無理な直前横断」であることも付記しておきます。

 「認知症家族介護の大変さを考えて」「遺族が気の毒だ」という意見は無論もっともですし、さらに広まってほしい。ですがそれ以前に「なんでもかんでも認知症のせいにしないで」とも言いたいのです。鍵さえかかっていれば、危険箇所には侵入できない。認知症があろうとなかろうとそれは同じです。

 その意味も踏まえて、最高裁の判決に注目したいと思います。

 最後に、自宅介護でがんばっておられる方々、望まぬ病気のうえ「監督義務」まで負わなければならない方々に、介護サービスを利用する「権利」のほうはしっかりアナウンスされていたのでしょうか。この事故では家族が夜も満足に眠れず介護し、うたた寝をしたときに男性が外出したそうですが、それを「過失」と言われてはたまりません。またそこまでムリを強いられる理由もないはずです。さまざまな理由から家族だけでの介護を選択されているのでしょうが、「権利」のほうも遠慮なく行使してほしい、ムリをしないでほしいと願います。介護サービスを積極的に利用することが、「監督義務を果たしていた証明」にもなるのですから。