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再録・誌上ケース検討会

このコーナーは、月刊誌「ケアマネジャー」(中央法規出版)の創刊号(1999年7月発刊)から第132号(2011年3月号)まで連載された「誌上ケース検討会」の記事を再録するものです。
同記事は、3人のスーパーバイザー(奥川幸子氏、野中猛氏、高橋学氏)が全国各地で行った公開事例検討会の内容を掲載したもので、対人援助職としてのさまざまな学びを得られる連載として好評を博しました。
記事の掲載から年月は経っていますが、今日の視点で読んでも現場実践者の参考になるところは多いと考え、公開することと致しました。


第45回 ターミナル期、食い違う本人と家族の意向をどう調整すればいいのか
(2002年10月号(2002年9月刊行)掲載)

スーパーバイザー

奥川 幸子
(プロフィールは下記)

事例提出者

Kさん(在宅介護支援センター・ソーシャルワーカー)

事例の概要

 利用者Fさんは、全盲の妻との二人暮らし。家事一切と野良仕事(農作業)を行っており、日頃からよく働いていた。2~3年前から腰痛が出てきていたが、畑仕事のしすぎだと思い、放っておいた。実際は黄疸が出ていたのだが、妻は目が見えないため、見過ごしていた。平成12年7月、尿の出が悪くなったため受診、直ちに入院となる。膵頭(すいとう)がんとの診断がくだる(本人には告知せず、妻と二人の子どもにのみ知らされる)。Fさんが手術・入院している間、妻は老健施設に入所することとなる。
 がんの手術を経て3カ月の入院後、帰宅。本人は完治したと思っているが、家族は約1年の命だと告げられている。在宅にて2カ月が過ぎた頃、Fさんは急性呼吸不全をおこし、救急車にて地元の病院に入院。このときすでに腹水貯留が目立ったが、1カ月ほどすると状態が落ち着き、本人は退院を希望するようになる。当初、子どもたちは反対していたが、これが最後だと思い直し、承諾する。
 ここから、在宅での介護生活が始まる。訪問看護、訪問介護を利用し、本人は生きる希望を取り戻したかのように明るくなる。退院後10日ほどして、老健より妻も帰宅。充実した二人の生活が始まる。しかし、2週間ほどすると、病状は再び悪化。子どもたちは入院を強く希望する。ソーシャルワーカーは本人の在宅生活継続の希望を代弁しようとするが、子どもたちから「入院を阻む存在」と見られてしまう。その苦境を察したFさんは、自ら入院を選択。入院後10日目に亡くなる。

クライアント

Fさん、77歳、男性

プロフィール

奥川 幸子(おくがわ さちこ)

対人援助職トレーナー。1972年東京学芸大学聾教育科卒業。東京都養育院附属病院(現・東京都健康長寿医療センター)で24年間、医療ソーシャルワーカーとして勤務。また、金沢大学医療技術短期大学部、立教大学、日本社会事業大学専門職大学院などで教鞭もとる。1997年より、さまざまな対人援助職に対するスーパーヴィジョン(個人とグループ対象)と研修会の講師(講義と演習)を中心に活動した。主な著書(および共編著)に『未知との遭遇~癒しとしての面接』(三輪書店)、『ビデオ・面接への招待』『スーパービジョンへの招待』『身体知と言語』(以上、中央法規出版)などがある。 2018年9月逝去。