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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

教育をめぐる現代的虐待

 子どもの教育について、二つの報道が目に留まりました。一見すると異なる事象のようですが、子どもにとっては虐待または不適切な養育である点で共通しています。

 一つは、教育虐待に通じる事象で、「学習塾ターゲットは就学前」「英語・知育…小中高へ『囲い込み』」と題する報道です(4月6日朝日新聞朝刊)。

 もう一つは、教育ネグレクトに通じる事象で、制服や給食代の値上げなどによる「物価高かさむ教育費」が、就学援助制度だけでは学校教育を受けるために必要最低限の条件を確保できない家庭を産み出している問題を報じています(4月10日朝日新聞朝刊)。

 前者の報道に示された事例は、子どもとのやり取りは英語を基本とする「バイリンガル幼稚園」で、「化石発掘」の職業体験にプログラミングの課外授業を加えて、月13万円の利用料というもの。

 この幼稚園の園長のコメントは、習い事が「一か所で済む」ことと、幼児教育無償化の補助金もあるため「決して高くはない」と言います。丸でセールスマンのコメントですね。

 2021年度の教育産業の市場規模は2.8兆円で、これからの「拡大成長が期待される」分野だそうです。教育産業に係わる各社は競い合って、幼稚園・保育所・学童保育をこのような囲い込みの入口として活用している実態が明らかになっています。

 子育てに係わるサービスが商業主義に陥り、子どもの気持ちや必要とかけ離れたところで、教育産業と親の欲望や思惑が一体となって、子どもを「知能教育に囲い込む」のです。

 厚労省『子ども虐待対応の手引き』は、虐待であるかの判断は「子どもの側に立って判断すべきである」ことを明記しています。幼い子どもたちを前に圧倒的に優位な力を持つ親や大人の教師・支援者が知能教育に囲い込む行為は、子どもたちに「教育の押しつけ」による強い抑圧をもたらすリスクをはらんでいます。

 子どもたちは、教育産業と親の欲望を満たすための「教育」に利用されているだけで、発達の主体である子ども自身の成長を保障する訳でもなく、子どもの自尊感情を育むことにも難しさをもたらします。

 支援サービスの市場化につきまとう人権侵害問題を端的に示す事象と言っていい。市場が拡大するための栄養である人間の欲望は、人の支援に必要不可欠な共生の論理と世界を破壊するのです。

 子ども期の教育虐待に由来する生き辛さや後遺障害を持つ大学生は、この20年の間に著しく増加してきたと実感しています。一部の例外的な大学生の問題ではなく、かなり広範囲に見受けられるようになった点で問題は深刻です(教育虐待の問題は、次回のブログで掘り下げる予定です)。

 もう一つの報道にある、後者の教育ネグレクトについてです。子どもの基本的生活に係わる衣食住の問題に加えて、制服や学用品等の「隠れ教育費」をまかなうことの困難な家庭が増えています。Covid-19禍による稼働所得の減少した家庭も珍しくないでしょう。

 福嶋尚子さん(千葉工業大学准教授・教育行政学)の新聞掲載のコメントは、家庭の経済状況に関係なく子どもの学ぶ権利が保障されるべきであり、就学援助制度の改善とともに「家庭が買わなければならない物品を極力少なくする」ことの重要性を指摘しています。

 政策手法の観点から言うと、就学費用の支援ではなく、現物給付の保障を基本とすべきだということになります。現在の福祉・介護サービスをめぐる根本問題と同じです。

 ここで、子どもたちの健全な発達のために必要な最低限の条件が満たされていない問題の扱い方について、とても気にかかる点があります。学校教育の関係者や多くの報道は、「子どもの側に立って判断する」視点を忘却しているのではないかとの疑問を払拭することができません。

 たとえば、子ども食堂の取り組みについては、食堂を運営する側の報道や声は流れてきますが、食の必要な子どもにどこまで届いているのかなど、子どもの側からの実態について必ずしも詳らかにされていると言えないのではないでしょうか。

 さいたま市立大宮北高校で新年度から、ユニクロの製品を活用した「制服」にすることが様々なメディアで取り上げられ話題になりました。この制服の問題についても、どこまで子どもの側に立った報道であるのかについて、私は甚だ疑問を感じます。

 「自宅で洗濯できて、性差にとらわれないジェンダーレス、価格も5分の1ほどに抑えられる」(https://www.yomiuri.co.jp/national/20211007-OYT1T50164/)という利点があるのは、まあいいでしょう。それでも、制服代は12,000円もかかるのですが。

 また、大宮北高校の取り組みは、先生方が丁寧に生徒や家庭の意向も十分に汲んだ上でのもので、取り組みそのものに私が決してケチをつけたいわけではありません。

 けれども、中高生という身体的成長の著しい時期に、おいそれとは買い替えることのできない金額のために同じサイズの制服を着続けざるを得ない現実は、子どもたちにとっての苦痛以外の何物でもありません。

 この根本問題について、報道や学校教育関係者がこれまで真正面から問うことは殆どなかったのではありませんか。

 私は、詰襟の学生服の窮屈さに苦しみ、一分刈りの丸坊主まで押しつけられた中学生時代を過ごした後、私服で構わない高校生活を体験しました。中学時代の制服や校則に教育的な意義があるとは全く思っていません。

 わが国が自由と民主主義の国であるというなら、独自の教育理念を掲げる私学を除き、学校は基本的に生徒自身の判断による服装や整容でよいと考えます。子どもたちは成長・発達のプロセスの中で、TPOをわきまえた服装と整容に責任が持てるように学習すればいいのです。

 制服代に公立で6万円、私立だと10万円以上もかかる「隠れ教育費」を家庭に強いるルールが多くの高等学校で当たり前のように続いている現状は、私見によれば、時代錯誤のクレージーだとさえ思います。

 先に取り上げた教育虐待と後半の教育ネグレクトは、事象は異なるようにみえますが、わが国の社会構造と大人の基本姿勢が子どもの側に立たないことによって、知らず知らずの間に子どもを抑圧し、子どもの人権侵害を拡大している点で通底しています。

 友田明美さんをはじめとする脳科学の諸研究は、虐待や不適切な養育によって傷つきやすい年ごろとしての子ども期への注意を喚起しています。それは、子どものもつ高い可塑性と可能性と表裏一体のものです。

 親や大人の支援者が子どもの可能性をテコに一方的な「教育」を押しつけることは、多くの子どもたちに不可逆的な脳の傷をもたらしています。

タンポポの綿帽子

 つい先日までストーブを使っていて、足早に桜が咲いて春が来たかと思えば、一挙に真夏のような暑さがやって来ました。四季の移ろいは感じられなくなりました。タンポポや桜に目を向けなければ、春という季節はないのも同然です。地球の温暖化による異常気象についても、不可逆的なステージに突入するリスクはないのでしょうか?

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