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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

モーツアルトのミゼレーレ・エピソード


 モーツアルトには、バチカン・システィーナ礼拝堂の秘曲「ミゼレーレ」を採譜した有名なエピソードが残っています。そのモーツアルトは、今日、ADHDのある人だったと指摘されています(岩波明『天才と発達障害』、2019年、文春新書;岩波明『発達障害という才能』、2021年、SB新書)。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756/01/27-1791/12/05)は、14歳の時、父レオポルト・モーツアルトに連れられて復活祭を間近に控えたローマを訪れました(1770年4月11日)。

 モーツアルトは、バチカンのシスティーナ礼拝堂で歌われるグレゴリオ・アレグリ作曲「ミゼレーレ」を一度聞いただけで採譜し、もう一度聞いて間違いを修正し、譜面を完成させました(「採譜」とは、楽曲を聞いて譜面に起こすことです)。

 「ミゼレーレ」とは「(神よ)憐れみたまえ」という意味で、旧約聖書詩篇第51編の冒頭にある言葉です。この歌唱曲ミゼレーレは、システィーナ礼拝堂門外不出の秘曲でした。

 それは、復活祭(イースター)一週間前の水曜から金曜に、システィーナ礼拝堂で行われる「暗闇の朝課」の中だけで歌われる特別の曲です。

 暗闇の朝課は、朝の午前3時からはじまり、礼拝堂内の蝋燭の灯を一本ずつ消して、黄泉に下ろうとするイエス・キリストに祈りを捧げます。イースター直前の金曜日にイエス・キリストが「黄泉に下り」三日後に「復活する」という、キリスト教信仰の神髄に係わる祈祷の中で歌唱される曲です。

 当時のバチカンは、特別の礼拝の中で歌唱される曲の霊的権威を担保するために、ミゼレーレの譜面を門外不出とし、この歌唱曲を聞いた者が採譜することを厳禁しました。

 バチカンのシスティーナ礼拝堂に足を運び、復活祭に向けた一連の礼拝に参加した敬虔な信者だけが耳にすることのできる特別な曲がミゼレーレです。年に3日間だけ、しかもシスティーナ礼拝堂でしか聞けない。今風に言うと、「季節・地域限定もの聖歌」。

 ミゼレーレは、私の持つCD(イギリスGimell Records版『ALLEGRI MISERERE』)によると、トータルで68分40秒という長い歌唱曲です。曲の構成は、一方が4声、他方が5声からなる二重合唱となっています。つまり、この歌唱曲の構成は、トータルで9声(9パートの旋律=メロディ)です。

 オーケストラの曲に例えると、一方の4声は弦楽器のバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスから、もう一方の5声は管楽器のフルート、クラリネット、オーボエ、ホルン、トランペットからそれぞれ構成され、トータルで9声のメロディが流れ続ける曲だと考えて差し支えありません。

 14歳のモーツアルトは、9声で構成される長時間の歌唱曲ミゼレーレを1回聞いただけで採譜し、2回目に聞いて点検して完成させる神業を成し遂げました。システィーナ礼拝堂がモーツアルトの起こした譜面を確認したところ、間違いはなく正確でした。この天才の成し遂げた偉業に驚いたバチカンは、モーツアルトを破門するどころではありません。

 同年7月5日、ローマ法王クレメンス14世はモーツアルトを法王庁騎士に任じて「黄金拍車勲章」を授けました。但し、モーツアルトは勲章や貴族の称号などの社会的な肩書や秩序について、生涯まったく無頓着な人間でした。この点はADHDに係わる特徴のように思えます。

 このモーツアルトのエピソードを私が知ったのは、中学1年生の時です。恥を忍んで言いますが、当時、私は作曲の勉強をしていました。クラシック音楽の作曲技法のイロハである和声楽や対位法について学びながら、採譜や楽曲のアナリーゼに明け暮れていました。

 作曲の世界におけるモーツアルトは、天才中の天才として知られています。作曲を学ぶ若者は、バッハ、ハイドン、ベートーベンなど、偉大な作曲家の楽曲をアナリーゼしてそれらを鏡にしながら、自身の作曲技法を修正し極めていくのです。

 ここで、モーツアルトの曲については、作曲の先生から「アナリーゼしても無意味だよ」と、にべもない言葉で釘を刺されるのです。モーツアルトは作曲の天才だから、その曲を分析しても「どのようにして作曲しているのかを学ぶことができない」と言うのです。要するに、天才を鏡にすると「俺にはできない、もうダメ」となります。

 それでも、「作曲家モーツアルトの天才とは何か」についての内実を私が何も知らない間は、「まっ、そんなものか」程度の思いでモーツアルトを脇に置いていました。そんな時に、ミゼレーレを採譜したモーツアルトのエピソードを知り、私はしばし呆然自失しました。

 私の採譜とモーツアルトのそれとの「月とスッポン」の解説を通じて、モーツアルトの天才ぶりを説明します。

 私が当時していた採譜の目的は、曲を構成する複数のメロディ、和音の進行、転調、リズムのすべてを譜面に書き起こすことによって、各パートの音のタテの関係とヨコの関係がどのように構成されて結合し、曲が成立しているのかを分析し尽くすことにあります。

 採譜作業の実際は、たとえば、ベートーベンの交響曲のレコードを聴いて、私が譜面起こしを始めます。第1モチーフを第1バイオリンが奏で、それを第2バイオリンが追いかける、第2モチーフをオーボエが奏で、それをクラリネットが追いかける…、これらの音を拾って譜面に落としていく。

 私の採譜は、パートごとの音を別々に拾い集めて組み合わせる作業です。まずは、第1バイオリンだけを追いかけて採譜する、次に、第2バイオリンだけを追いかけて採譜する、更に、ビオラ、チェロ、クラリネット…とそれぞれ別に追いかけて採譜したパーツを組み合わせ、やっとの思いで、とりあえずの交響曲全体の採譜ができ上ります。

 このような私の採譜作業は、同じ曲を何回も聞き直さないとできないことが分かります。レコードをカセットテープに録音し、レコーダーで「再生」しては「巻き戻す」ボタン操作のカシャカシャを延々と続けて採譜する。3時間くらい作業を続けても、第一楽章の半ばくらいまで進むのが精一杯。もうくったくたで、「オーマイゴッド」と叫んでいる。

 ところが、モーツアルトのミゼレーレ採譜のエピソードは、アマデウス(「神に愛された」という意味)の神業です。録音技術も何もない時代に、長時間の9声で構成されるミゼレーレを、1回聞いただけで採譜し、2回目に聞いて間違いがないかを点検修正して完成。

 モーツアルトの採譜を鏡に照らし出された私の姿は、「ただのアホ」。

 このモーツアルトのエピソードは、モーツアルトの採譜と作曲のプロセスの実際を明らかにしています。ミゼレーレの採譜は、モーツアルトの作曲プロセスの逆方向の作業をしただけなのではないか。つまり、「作曲の可逆操作」にすぎず、モーツアルトにとっては水道の蛇口の開け閉めをした程度の、当たり前の作業でした。

 モーツアルトがオペラや交響曲を作るときは、モーツアルトの頭の中では、オーケストラの全パート(オペラの場合は、さらにソプラノ、テノール、アルト、バリトンの4声に合唱パートが加わる)が同時進行する、音の組み合わせの完成された曲の流れが続いていく。各パートの音の流れを組み合わせて作曲するのではありません。

 それに対して、フルオーケストラの交響曲を作る場合の私のイメージは、各パートの旋律を作りながら、それらをコツコツと組み合わせて曲の全体を作り上げる作業になるのです。こうして、モーツアルトがとてつもない作曲の天才であることの内実を知り、「俺には無理」と、とても自分の努力次第で達成できるような課題ではないことを思い知りました。

 『日本書記』には聖徳太子が十人の話を一度に聞き分けたエピソードがありますが、ひょっとするとこれも本当の話かもしれない。「こんなことが世の中にあり得るのか?」と疑問を抱いたとしても、モーツアルトのエピソードは記録された史実です。

 次回のブログでは、このようなモーツアルトの採譜と作曲を可能とする特別の力とは何かについて考えます。

モーツアルトのピアノ・ソナタ‐「ウンコする」程度の楽譜?

 ピアニストの久元祐子さんによると、22歳になろうとしていたモーツアルトは、「クラヴィーアを初見で弾くなんて、ぼくにとってはウンコをするようなものです」と、旅先から書き送りました(https://www.yuko-hisamoto.jp/memo/intro.htm、「クラヴィーア」とは、チェンバロ、ピアノ等の鍵盤楽器の総称。「初見」とは、はじめて見た楽譜ですぐに演奏すること)。

 このような下品な言葉は、モーツアルトの生涯に終始つきまとい、場違いで余計な言葉を無頓着に口に出したという記録が残っています。初見で上手くクラヴィーアを弾けない人については、「ウンコさえできないバカ」と言ったかもしれませんね。父親のレオポルトからは常々、「お前は口に南京錠を掛けろ」と言われていたそうです(前掲の『天才と発達障害』40頁)。