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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

シジュウカラ語-人間中心主義からの脱却


 鈴木俊貴さん(京都大学白眉センター特定助教)は、野鳥のシジュウカラの言語を解明する画期的な研究を積み重ねています。昨今、テレビ・雑誌等のマスコミで盛んに紹介されるだけでなく、動物言語学という新しい研究領域のパイオニアとして国際的な注目を集めています(https://www.hakubi.kyoto-u.ac.jp/pub/267/275/2019/2882)。

 シジュウカラは200以上の言語を持ち、特定の文法に従った二語文を使いこなしているというのです(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/06/post-98887_1.php)。

 しかも、森の中で群れを作る他のシジュウカラ科のヒガラ・コガラ・ヤマガラ、そして近縁種のゴジュウカラ(ゴジュウカラ科)との間では、それぞれに異なる音の言葉が相互理解されています。

 たとえば、「集まれ」というそれぞれの言葉は、シジュウカラ「ヂヂヂヂッ」、コガラ「ディディディ」、ヤマガラ「ニーニーニー」、ゴジュウカラ「フィフィフィ」となっています。

 食べ物を見つけたヤマガラが「ニーニーニー」と鳴けば、シジュウカラやコガラはこのヤマガラ語を理解して、瞬く間に集合することが分かっています。

 シジュウカラ語で「ピーツピ」は「警戒しろ」、「ヂヂヂヂッ」は「集まれ」なので、「ピーツピ ヂヂヂヂッ」で「警戒して集まれ」となり、ここでは「警戒」が先で「集まれ」を後にする文法があるそうです。

 シジュウカラ語とコガラ語を混ぜて「警戒して集まれ」を表現すると、「ピーツピ ディディディ」となります。これをシジュウカラに聞かせると、瞬く間にシジュウカラが集まってきます。ここで、「ディディディ ピーツピ」と単語を逆にすると全く反応しないのです。つまり、「警戒」が先で「集まれ」が後という文法があることが分かるそうです。

 このことを鈴木さんが明らかにするきっかけとなったのは、ルー大柴さんの言葉だったとか。ルー大柴語の「藪からスティック」を聞くと私たちはスティックをすぐに「棒」に変換して「藪から棒」のことだと理解する。

 コガラ語の「ディディディ」はシジュウカラの中で「ヂヂヂヂッ」に変換されて「集まれ」と理解される。しかし、「ディディディ ピーツピ」(集まれ、警戒)は「スティックから藪」(棒から藪)と同様のかたちとなって、何のことがさっぱり分からない。したがって、「警戒」が先で「集まれ」が後になるというシジュウカラ語の文法があるのではないかと考えたそうです。

 これまで、シジュウカラの「ヂヂヂヂッ」という鳴き声は「警戒している」ことを表現していると言われてきました。たとえば、シジュウカラに人間が近づいて「ヂヂヂヂッ」と鳴かれたら、警戒されているのだと説明されてきました。

 この通説が全くの誤りであることを明らかにした功績は大きい。と同時に、従来、動物の声は感情的な表現として調べられたことはあったものの、「人間の言葉に似たような能力が隠されている」ことについては誰も調べたことがなく、それを世界で初めて解き明かした研究の意義には計り知れないものがあります。

 「タカが来た」は、シジュウカラ「ヒーヒーヒー」、コガラ「ヒヒヒヒ」、ヤマガラ「スィスィスィ」。餌台のヒマワリの種を複数のシジュウカラが食べていた時、一匹のシジュウカラが「ヒーヒーヒー」と泣いた瞬間、群れは森の中に離散したという観察結果があります。

 「蛇だ」は、シジュウカラ「ジャージャー」、ヒガラ「デュデュデュ」。この鳴き声を録音して群れに聞かせると、すべての鳥たちが地面や樹に蛇がいないかどうかを確認する行動をとるそうです。

 さらに驚く話がありました。鈴木さんのお母さんは、息子の鈴木さんからシジュウカラ語を学んでいて、実家の傍でシジュウカラが「猫が来た」と叫んだのを聞きつけて、家から飛び出して猫を追い払いました。

 すると、シジュウカラたちはお母さんに仲間意識を持ったらしく、そのお母さんから逃げないようになったという鈴木さんの話をラジオで聞きました。人間とシジュウカラのコミュニケーションが成立する時代が始まろうとしているのです。

 ドリトル先生の世界が現実になるかも知れません。様々な種類の動物の言語が解明されるようになると、動物言語の通訳者とかポケトークのような音声翻訳機が出てくるかもしれません。

 鈴木さんの研究で私が最も注目する点は、シジュウカラが二語文の使い手であるからといって、「人間でいえば2~3歳児の知能」があるとは捉えないところです。

 「動物の声を解釈することに人間の価値観や論理を当てはめてはダメ」であり、「人間至上主義、人間中心という考え方は人間の世界を狭めているだけ」で、シジュウカラにはシジュウカラとしての豊かな思考と会話があるのだと整理します。

 鈴木さんの研究は、言葉を持っているのは人間だけではなく、様々な生物の「言語と思考」に無限の多様性とゆたかさがあるという新たな能力観・言語観を指示しています。

 従来、高い知能を持つ動物を「ランキング」すると、いつも第1位に輝くのはチンパンジーでした。「人間でいうと4歳くらいの知能がある」とまことしやかに言われてきました。

 ところが、チンパンジーと比較すると下等に位置づけられてきた犬について、近年の研究は犬にしかない能力のあることを明らかにしています。人間と共感し、人間が指差した方向や視線の先を見て、犬が人間と第三項を共有する能力を持っていることが解明されました(https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/clip/20190910_01/index.html)。

 牧羊犬や盲導犬などの使役犬として、犬が人間のパートナーとしての役割を果たし続けてきた基本的な能力が解明されつつあるのです。

 人間と第三項を共有する能力はチンパンジーにはまったくありません。それでも、動物の中で知能の高さで「第1位」とランキングするのは、人間の「思考と言語」の枠組みで捉えてきた定型発達の一元的尺度から、動物の能力を評価してきたからです。

 それぞれの動物なりのゆたかな言葉や思考の世界があり、能力のあり方も無限に多様であるという事実に向き合い、追究してこなかった過ちがあったのではないでしょうか。

 人間は生理的早産で生まれ、人間の脳のもつ可塑性と高い知能の獲得に向けた発達の過程があるという事実から、一元的な定型発達の枠組みにもとづく「人間至上主義」に陥ってきたところに環境破壊と排除・差別を産出してきた大きな要因があると考えます。

 様々な生物の棲息する世界を「人間至上主義」からみることは誤りです。そして、一元的な定型発達の枠組みで能力評価することにつきまとう視野の狭さと過ちは、非定型発達の人たちのゆたかさを見失ってきた陥穽ではないのでしょうか。私たちは、このような人間中心中主義からの脱却が問われる時代に生きています。

よくしゃべるシジュウカラ

 冬場に森に入ると、シジュウカラ科の小鳥たちの群れによく遭遇します。この群れの鳥たちは、確かによく鳴き交わしているのですが、まさか200の単語を特定の文法に従った二語文で通じ合っているとは考えたこともありませんでした。鈴木さんは動物言語学の先駆者ですから、先行諸研究から研究課題を絞ることはしないそうです。これからの研究成果に期待するとともに、私はバードウォッチャーの一人としてシジュウカラ語を習得したいと考えています。