メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

得ると失う進歩の皮肉

 年末年始「隔世の感」を感じることが重なりました。まずはおせち料理です。この数年、あれこれ買っては「なんと便利になったものだ」と思っていたのですが、あるコンビニエンスストアのチラシを見てびっくりしました。

 数十種類ある小分けの料理はどれも100円で、3,000円ほど買ってお重に詰めればゴージャスなおせち料理が簡単に出来上がります。それに加えて、ペット用のおせち料理まで販売されていますから、まさに隔世の感です。

 つぎに、電動アシスト自転車です。ある人にプレゼントするために調べたところ驚愕しました。既に使っている人の話では、「坂道もスイスイと距離にして数10km楽に走れる」といいます。学生の頃、友人たちと自転車で10kmたらずを走ったら、後日全員が筋肉痛で歩けなくなった経験からすると、こちらも隔世の感です。

 22世紀生まれのドラえもんの道具でさえ、スマートフォンをはじめ、私たちが当たり前に使っている物は少なくありませんから、一体どこまで便利になっていくのでしょう。おそらく私はこの先ずっと、隔世の感をいだき続けるのかもしれません。

 しかし、「目先の便利さを諸手を挙げて享受するだけで良いのだろうか」という思いも頭をもたげます。私の感じる隔世の感には、便利さを手に入れる代償として何かを失うことも含まれるからです。

 たとえば、コンビニエンスストアのおせちであれば、親戚のおばさん達が料理を作っている様子を眺めたり、つまみ食いのご相伴に預かったりする楽しみが損なわれますし、電動アシスト自転車であれば、自転車を自分の力だけでこぐ楽しさをはじめ、過度の馬力やスピードによって安全性なども損なわれます。

 また、ことは便利さだけにとどまりません。私は、かつて起こった洗剤をめぐる騒動を思い出します。ある会社が、環境に優しいからと植物由来の洗剤を作ったものの、原材料を供給する東南アジアの熱帯雨林で伐採が進んで野生動物が滅んでしまい、不買運動が起きたというものです。

 その後この会社は、洗剤の売上げの一部を熱帯雨林の保護に支出し、顧客に対して商品購入が環境の保護につながることを示せるようになって状況は改善しますが、目先の良し悪しだけでものを考えてはいけない、という良い教訓ではないでしょうか。

 そして、この教訓を活かすべきなのは、他ならぬ私たち消費者なのだと思います。会社は不買運動が起きれば考えざるを得ません。しかし、私たち消費者は、それほど厳しい批判に晒されず、自己中心的に目先の損得勘定だけで購買し続けがちだからです。

 そうなると、私たち消費者は最も酷い「虐待者」になりかねません。誰を虐待すると言うのでしょうか?それは、地球上の誰一人として取り残さない持続可能な世界を実現するために、2015年の国連サミットで採択された、2016年から2030年までの「持続可能な開発目標(SDGs)」という”擬人”です。

私「便利だから今日もパック寿司」
編集者「ブログの説得力が…」