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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第82回 近所にあったらいいな、と思える介護の場所を目指したい

吉江美紀さん(30歳)
介護付き有料老人ホーム「ばらの庄(神奈川・川崎)
介護福祉士

取材・文:久田 恵

五月になるとばらの花に包まれる、そんなホームで働いています。

私の働いている介護付きの有料老人ホームは、住宅街のまん中、普通の戸建ての家がぎっしり並んでいる場所にあるんです。駅からはすぐですが、近くにゆっくりお散歩を楽しめる公園とかはない地域なのです。でも、ホームには、1階にウッドデッキのある庭園があって、五月には、ばらの花が咲き乱れます。すごくきれいです。屋上には、ぶどう棚があって巨峰がたわわに実ります。みんなで摘んで食べるのです。

入居されている方もご家族も、ばらの咲く日やブドウが実る時期をとても楽しみにされています。

働く私たちも楽しみだし、地域の方にも開放しているのです。

この庭園作りは、ホームを運営している社長さんの担当で手塩にかけて世話をされています。ばらやぶどうは、育てるのにとっても手間がかかるそうです。でも、いのちの営み を感じさせる植物って、明日へのちいさな喜びや楽しみを与えてくれるし、生活に潤いを与える大事なケアの一環だと考えているのだそうです。

 入居されている方には、ご近所の方が多いです。近くに住んでおられるのでご家族も年中訪ねてきます。月曜は誰、火曜は誰、と姉妹で交替されたりして。入居されているだけではなく、家族が何度も訪問したくなるような居心地の良さって、私はすごく大事だなと思います。地域のための介護施設、あそこがあるから、この地域はいいところだと思ってもらいたい、それがこのホームのテーマなんです。

 実は、私もここで育った地域住民。家の近所なんです。毎日、歩いて通っています。大学も近所で、30分くらいのところにある福祉の大学を出ました。そこで、福祉の全般を勉強して、一番近いここに就職しました。

もともと中学や高校の時から、ずっと看護師になりたくて、あこがれていたのですが、理数系が弱くて、やっぱり無理かな、とあきらめたんです。そうしたら、高校の先生から看護の仕事の分野として、「介護」の仕事もあるよと言われ、ああ、それなら、と思って進路を決めたんですね。小さい頃から祖父母とずっと一緒に暮らしていたので、高齢者のお世話というのは全然抵抗がなく、それ、いいかなあ、と思ったんです。

高校の時は、女子校だったのですが、野球部のマネージャーをやっていました。自分が主役でなにかをやるというのよりは、人のお世話とか、誰かのサポートをするとか、そっちの方が自分は好きだなあ、と思っていたので、先生やまわりから勧められるままに、進路を決めたわけです。

そもそも、私は、なかなか冒険ができないタイプなので、ひとり暮らしをしたいとかもまったく思わない。今も両親と祖母と犬とで暮らしていて、自分の近所のホームで、地域の一人として働く、それが自分にとって一番いい選択肢かなと思っています。

介護職になりたての頃は、看取りが辛くて泣いてばかり

 私が、今の職場に入ったのは、ここが開設して四年目くらいの時で、その時期は看取りの方が何人か続いて新人としては、その度に泣いていました。

でも、さすがに今は馴れて落ち着いて対処ができるようになりましたね。

最期の時期も、だんだん分かるようになったので、どうしてあげたらいいかということも考えられるようになりました。ここには胃ろうの方もおられるし、吸引の必要な方も……。看護師になりたかった私としては、看護的な仕事をこなすことに抵抗はないのです。看護師になれば、とよく言われますが、資格をとるのなら今だろうなあと思いつつも、そこまでは、まだ決心がつかないでいるというところかな。

介護福祉士の資格は、三年以上の現場経験でチャレンジできますので、試験を受けて取得しました。一応、着々と介護者としての体験は積んでいるかなあ、と。

この仕事をしていて、忘れられないこと

ホームでは、ともかく日々が安定して、静かに落ち着いて自分の家にいるように暮らせることが、一番大事だと思っているのです。それで淡々と日々を過ごしています。そんな日々の中で、とても強い印象として心に残っていることと言えば、ご夫婦で入居されている方がいて、奥様が先に亡くなられたご主人とのことです。彼は、脳梗塞の後遺症で、言葉が不自由な方なのですが、奥様が逝かれて1、2年過ぎた頃かなあ、夜勤明けの、明け方だったのですが、「今日は、奥様の命日ですねえ」と、私がさりげなく言ったのです。そうしたら、急に泣かれてしまって。私の手を離そうとせずに、もうおいおいと泣かれて……。

ああ、いけないことを言っちゃった、つらい気持ちにさせちゃったと、その時、すごく後悔したんです。でも、後になったら、それは心にずっとため込んでいた悲しさを彼は吐きだしたのだな、それはそれでよかったのかもしれない、と思うようにはなりました。

そういう体験から、自分はいろいろと学んではいるのだと思いますが、時々イライラしたりします。分かってはいても認知症の方に、無理なことをやいやい言われたりすると、つい「静かにしてくださいっ」ときつい言い方をしちゃったりして。そういう時は、私はこの仕事に向いていない、全然駄目だなあ、と思ってしまいます。やめようかな、別の仕事をした方がいいかな、とも思います。でも、じゃあ、ほかになにかやりたいことが自分にあるのか、と考えても、まったく思いつかないし、見つからないんです。他にやりたいことがないと言うことは、この仕事に、それなりに自分は充足しているということなのかな、と思います。

なによりも入居されている方の居心地のいい場所にしたい

私は、父方の祖母が地方の老健に入っていて、月に一度、見舞いに行くのですが、同じ介護施設でも、それぞれが別物なのだと思ったりします。

たとえば、介護職の人が一人で、一度にたくさんの方の食事の介助をしていて、みていると、口からボロボロ食事をこぼしている人がいたりする。あれでちゃんと食事ができているのかなあ、と思ってしまったりするんです。

そんな体験をして、ここの職場に戻ってくると、ほんとほっとするんです。ここがいいなあって、思うんです。我が家に帰ってきたな、と。

格別、介護の仕事って? と考えてもうまく言葉にはできないのだけれど、せっかくここに来てくれて、出会った方たちには、ここで楽しく、居心地よく、我が家だと思ってもらえたらいいな、と。我が家なんだから、他人行儀ではなくて、お互いが気をつかったりせずに、私のこともうちの孫みたいに思ってくれたら、と思うのです。だから「ちょっと、吉江ちゃん」とか呼ばれたりすると、すごく嬉しいんです。

ここは、入居者が40人ぐらいで、少なすぎず、多すぎずで、介護する側も、全体をよく見渡せる。むろん「家族のようである」ということは、家族だっていろいろなこともあるわけだし、簡単なようで、とてもむずかしいことでもあると思います。けれど、その人にとって、ほっとして、気楽にそこにいられる自宅のような場所にすることができればいいなと思っているのです。それを実現することが介護かな。

ばらの庭園、ご近所にも開放されている
時間を見つけてお喋りをする

【久田恵の視点】
 アットホームで居心地のよいホーム。なにげない言葉ですが、入居者の願いはまさにそのこと。そういうホームが、住み慣れたご近所にあれば安心ですね。これからは評判のいいホームは、地域の評判をも良くし、中高年世代の住みたい街ランキングの高位を得るようになるに違いありません。春風が吹き始めた昼下がり、「ばらの庄」のウッドデッキの庭のベンチに座って、待ち遠しそうにばらの木を見詰めている入居者がおられました。約束もしないのに、その季節になると必ず花を咲かせてくれる庭、また見たい、来年もまた、再来年も、と明日を思う心がこみあげてくると思います。