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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第124回 サラリーマンから家業を継いだ後、起業へ 
素人の目を大切に、プロの仕事で高齢者を支えていきたい

大竹伸行さん(58歳)
有限会社 ドリーム・クリエイション
代表取締役
(神奈川・横浜)

取材・文:原口美香

本当の意味で利用者さんに寄り添うということ

 ケアマネの仕事をしていた時に、ガンの末期で自宅療養をしている方のご家族から依頼を受けたことがあります。ご主人は大きな家の二階で寝ていたのですが、ご家族の希望は、その方に1階へ下りていただくことでした。寝室はガラス張りで、街の景色が一望できて、恐らくその場所が気に入っていたんだと思います。でも、もう歩くのもままならない状態で、ご家族の生活の拠点が1階だったので、下に降りてもらって一緒に過ごす時間を増やしたいとのことだったんです。ご主人は嫌がって、前のケアマネさんもそうすることができず、僕のところにまわってきたというケースでした。ご主人と話をして、結果的には1階に下りてきていただいた。それから1週間くらいで亡くなられたんですけれど、奥さんから連絡を受けて駆けつけたら、目を開いたまま亡くなられていたんです。ご主人を見て、僕がしたことは、本当に良かったのだろうかと悩みました。僕は、家族といる時間を、いわば正義かのように言って、そうしてもらったけれど、ご主人にしたら、本当はずっとその景色を見ていたかったのかも知れない。ご家族にはすごく感謝をされましたが、そのケースはずっとずっと悔いが残っているんです。何が正解かは分からないけれど、本当の意味で、もっともっと利用者さんに寄り添っていかなければいけないと改めて考えさせられた出来事でした。

家業をやりながら特養老人ホームで働く

 元はサラリーマンだったんです。ある時、親父が倒れて家業の酒屋を継ぐため地元に戻りました。それでずっと酒屋をやっていたのですが、周りに大型店が増え、このままではダメだな、と思うようになりました。周りの友人たちがどんどん出世していくのを見て、自分だけが取り残されていくような感覚にも陥りました。だけどどうしていいか分からないまま30代の10年を過ごしてしまったんです。
 その頃、祖母の具合が悪くなって病院に入りました。小柄な女性の介護士さんが、ふくよかな祖母をひょいと動かす姿を見て、介護技術に興味を持ったんです。両親もいるし、そのためにも少し勉強しておいた方がいいかな、くらいの軽い気持ちでした。酒屋をやりながらヘルパー2級と介護事務の資格を取り、空いた時間に取りあえず働いてみようと思って、自宅から一番近くの特養老人ホームで働き始めました。
 実際に働いてみると、職員はまるで流れ作業のように仕事をし、利用者さんを物扱いしているような感じを受けました。例えば入浴介助も、3人並べて順番に洗って、はい次、みたいな感じ。食事も順番に口に入れていく。薬を飲まない方に対しては、細かく砕いて食事にふりかけたりもしていました。これが「介護」なのかと、とてもショックを受けたんです。

デイサービスを始める

 仲の良かった友人が自分でデイサービスをやりたい、と言っていたので、知り合いの起業している方のところに二人で行ったんです。一日時間を取ってもらって、見学させてもらいました。僕には起業するという構想は全くなかったんですが、結果的にそのことがきっかけで、デイサービスを始めることにしたんです。
 デイサービスに勤める傍ら家業をやりながら、神奈川県の介護保険課に何度も通ってアドバイスを受け、起業の準備をしていきました。1年くらいかけて、平成15年の4月に会社を興したんです。僕は43、4歳になっていました。
 始めて分かったことは、思った以上に一人暮らしの方が多かったんです。生きる力を失っているようにも見えました。僕たちは医療的支えはできないけれど、精神的な支えならできるかも知れない。重い認知症の方や、他の施設が全部ダメだったと言われた困難なケースの方でも、どんな時にどんな行動をとるのかをよく観察をして、あらゆることをやってみたりして。歌が好きなおばあちゃんには、先に音楽を流しておいたり、気分転換に散歩に誘ったり。せっかくお預かりするのだから、ここで楽しく過ごしてもらいたいと思っているんです。

生きていくために選んだ「介護」という職業

 最初はデイサービスからスタートし、訪問介護をやってほしいとか、障がい者もみてほしいという依頼があったりして、起業して14年、この地域の方が望むことをやってきたという感じですね。この職業に就いているけれど、僕はこの職業がなくなればいいと思っているんです。昔は、子どもの頃、知らないおじいちゃんに怒られて学んだことがあったように、本当は「介護」という括りではなくて、地域でその人を支えて見送るということが大事なんじゃないかと。そのために何か少しでもできることがあれば、と思いますね。
 今年から母校の大学と連携して、ゼミの学生さんを受け入れるんです。学生さんたちに高齢者のことを知ってもらいたいし、うまくまわれば、それが街の力にもなり、地域活性化にも繋がっていきます。
 この業界のいいところは、どんどん追いつけるところですね。全くの未経験という人だって、会社を経営することも出来る。施設の中で、リーダーもできるし、施設長にだってなれます。その人がちゃんと頑張るという強い意志を持っていれば。そこはとても救われるところだと思います。
 僕が介護の仕事に就いたのは、生きていくためでした。昨年、父が亡くなって、祖父の時代から86年続けた酒屋を閉めたんです。父とは家業を巡って確執が生じた時期もありました。「酒屋から逃げ出した」という意識が、ずっと僕の中にあるんです。今でも街の中で頑張っている小売の酒屋さんを見かけると、僕も自分が選んだ道で頑張らなければいけないな、と強く思います。

デイホームたけとり 外観

いつまでも人々の夢を大切にしたいとの思いで名付けた、
ドリーム・クリエイションのスタッフと共に
「スタッフにはいつも感謝の気持ちでいっぱいです」
と大竹さん

【久田恵の視点】
 自分が働く場所で感じた違和感、矛盾、疑問が引き金になって、「本当はこうであるべきこと」に向かって歩み出し、自分の思いを実現できる場を生み出していける、今、介護の現場はそれができる稀有で、旬な場所なのだと思います。