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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第88回 高校卒業後、介護の道へ 
人と繋がって介護の未来をつくっていく
お年寄りとはずっと関わっていきたい

佐藤栄子さん(41歳)
介護福祉士
(東京都・小平市)

取材・文:原口美香

人間には最後まで忘れられない何かがある

 介護の現場に入ってすぐ担当させてもらった利用者さんは、徘徊をする元気なおじいちゃんでした。もともと認知はあったのですが、穏やかな時には、歌を歌ったりして、周りの人を和ませてくれるような方だったんです。ご家族が、おじいちゃんの若い頃の写真を見せてくれたり、バイクが好きだったとか、昔の話をたくさんしてくれたんですね。当時は月に一度くらい利用者さんと外出する時間を持たせてもらえたので、その時一緒にゲームセンターに行ったんです。あの頃の感覚を少しでも思い出してもらえたらな、と思って。おじいちゃんも、身体が覚えているみたいな感じでレーシングゲームのバイクにまたがっていましたね。自宅に帰った時も、誰も何も言わないのに、サッと自分が座っていた席に座ったんです。「お父さん、覚えているんだね」なんて娘さんも驚いて。その時はもう認知症が進んで、ご家族の認識もなかったのですが、人間には最後まで忘れられない何かってあるんだなと、感動しました。その後、みるみる歩けなくなり、亡くなってしまったのですが、今でもそのご家族とは交流を持っています。

一度も辞めたいと思うことはなかった

 最初は看護師になりたくて、看護学校に行こうと勉強していた時に、家の近くに老人ホームが建ったんです。オープンスタッフを募集していて、近所の方から「介護やってみない?」と誘われたんですね。19歳だったので、看護も介護も一緒かな、みたいな感覚でした。立ち上げから関わることになったのですが、ほとんどが未経験者だったので、最初は試行錯誤でしたね。当時の私がイメージするお年寄りの年齢は60代だったんです。80、90代っていうのは未知の世界でした。でも楽しかったですね。お年寄りと接しているのが好きなんです。だから一度も、この仕事を辞めたいと思ったことはありませんでした。結婚後も日勤のリーダーとして、妊娠8か月くらいまでは働かせてもらいました。その後、ヤクルトの仕事をしていた時、また「夜勤どう?」って声をかけてもらったんです。下の子がまだ1歳だったんですけれど、働くことにしました。月~金までヤクルトで勤務して、木曜の夜に夜勤に入るんです。金曜の朝、夜勤明けでそのままヤクルトに行って、やっと眠れるのがその夕方という生活を続けました。自分でも、よくやっていたな、と思いますね。

見られていないからこそちゃんとしたい

 今は夜勤は辞めて、日勤のパートで、お風呂介助や、食事や排せつの介助をやっています。職員からパートに変わって思ったのは、やっぱりこの仕事は楽しいな、ということですね。職員は常に次の業務を考えていかなければいけないので、時間がないんです。だからせめて私は、利用者さんのお話を聞いたり、何かできることがあるんだったらしよう、と思っています。認知症の方は同じことを何回も言ったりしますよね。最初は穏やかに返せても、自分が忙しいとそれも難しい時があります。でも、その人にとってはそれが今大事なわけだから、もう少し寄り添ってあげたいな、って思います。その場に利用者さんのご家族がいらっしゃっても恥じないケア。見られていないからこそ、ちゃんとしてきたいというのは常にありますね。

第二、第三の人生が楽しくなるお手伝い

 お化粧をするボランティアもやっています。老人ホームに行って、一室をお借りして、ご希望の方にひとりずつ、お化粧をするんです。やっぱり女性って、口紅ひとつ、マニュキュアひとつ塗るだけで、全然違うんですよね。そこの施設の方も、「こんな表情、みたことない」って言うくらい。私がお年寄りだったら、そういう楽しみがいっぱいあったらいいなと思うし、いろいろな化粧品をテーブルに並べて、お化粧をしていると普段、あまり喋ってくれない方も、話をしてくれたりして、メイクの力ってすごいな、と感じます。最後に記念写真を撮るんですが、みなさん、「私これを遺影にしたい」っておっしゃるんですよ。亡くなった時、写真がなくて困ったという話もよく聞きますし、みなさん、やっぱり自分で納得したものを用意したいっていう思いもあるんでしょうね。そういうところもお手伝いできたらいいな、と思っているんです。今、ちょうど一つの施設でのボランティアが終わったところです。今後も場所を変え、続けて行きたいと思っています。

 それとは別に「片付け」の仕事もしています。一人暮らしのおばあちゃんの家や、物を捨てられなくて片付かないお宅に行って、一緒に部屋を片付けていくというものなんです。30年くらい、まともにお掃除ができなかった方のお宅に伺った時に、コンセントの上に埃が10センチくらいたまっているのを見て、火事の危険性を感じました。また、高いところに物が積み重なっていたり、通路も人ひとりが通れるくらいのスペースしかなくて、地震の時など、危ないなと思いました。年配の方はモノがない時代を生きてこられたので、捨てられない。何かに使えるんじゃないかっていうのは私たち以上にあるんですよね。でも片付けることで、安全な空間で暮らせるし、家にいるのが楽しくなったり、本当に欲しいものしか買わなくなったり、お金の使い方も変わったりするんですよね。片付けることでまた違う何かが起こるというか、起きて欲しいなって期待しているんです。それで80歳、90歳で第二、第三の人生、元気に過ごしてもらいたいな、って。

人と繋がって介護の道をつくる

 いつか、自分が老人ホームを作れるんだったらやりたいな、っていう思いもありますね。
 働く人が子どもを連れてきて、子どもがいて、お母さんがいて、お年寄りがいて、全部が一体になっているような。お年寄りにとっても、家の延長みたいな感じが一番いいと思うし、子どもの存在って、かなわないなと思うんですよ。声とか、そこにいるだけで、それまで目を瞑っていたおばあちゃんが目を開いて話しかけたりとか。子どもにとっても、そういう世界を見てもらうのはとてもいいなって。それから働くスタッフのケアですね。スタッフが疲れてしまうと、心の余裕もなくなってきます。それは利用者さんにも伝わってしまうんですね。スタッフが少しでもホッとできる時間を作ったり、話を聞くだけでも違うと思うので、そういう取り組みもできたらいいなと思います。
 いずれ自分たちが行く道ですし、今の私たちがどういう介護の道をつくるかで、今後が変わってくると思うんです。今まで私は、本当に周りの人に恵まれてきたなって思えるので、人との繋がりを大事にして、すべてを結びつけられるよう前に進んでいきたいですね。

「お年寄りの方と接するのが好きなんです」と佐藤さん

お化粧ボランティアは、
休日を利用して行っている

佐藤さんは近く
「苗からの木」という会社を設立予定
お問い合わせは、042-345-2818まで

【久田恵の視点】
 どんな仕事でもそうですが、自分の選んだ仕事を楽しめるか楽しめないか、そこで大きな分かれ道がありますね。楽しめる力は、豊かな人生を送る達人です。メイクのボランティアや、片付けコディネーターとか、楽しみながらスキルアップもしてしまう、佐藤さんは天性の介護人ではないかと思われます。