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山口晃弘の超幸齢社会の最幸介護術

山口 晃弘(やまぐち あきひろ)

超高齢社会を実り多き「幸齢社会」にするために、
介護職がすべきこととは?
元気がとりえの介護職・山口晃弘が紡ぐ最幸介護術。

プロフィール山口 晃弘 (やまぐち あきひろ)

介護福祉士、介護支援専門員。1971年、東京都生まれ。高校卒業後、設計士、身体障害者施設職員を経て、特別養護老人ホームに入職し、介護職・生活相談員を務め、その後グループホームの管理者となる。
現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑の施設長。著書に『最強の介護職、最幸の介護術』(ワニブックス、2014年)がある。

著書

『最強の介護職、最幸の介護術』
『最強の介護職、最幸の介護術』

「少年の心を持った大人たちへ」

 2000年6月1日。
 私は特別養護老人ホームさつき荘の介護職として、高齢者介護の世界に飛び込んできました。29歳のときでした。
 当時は、身体拘束が今ほど問題になっていなかったので、車いすから立ち上がる人にY字ベルト、胃ろうを抜いてしまうからと両手にミトン、手足をベッド柵に結ばれる…などが普通に行われていました。病院から鍵付きの「つなぎ服」で入所してくる利用者さんもいました…。
 右も左も分からない私でしたが、「こんなのかわいそうじゃないか!」と、先輩職員にくってかかったりしていました。「山口くんは介護の勉強をしてきていないからわからないかもしれないけど、介護の世界では利用者をかわいそうなんて言うのは失礼なんだよ」と言われたのは、今でも鮮明に覚えています。悔しくて猛勉強しました。思えばこの悔しさが今につながっているのかもしれません。
 大先輩に向かって「あんたのやっているのは介護じゃない。調教だよ」と言って、激怒されたこともありました…。思い出すと笑ってしまいます。若かった…。
 馬鹿みたいに正義感だけは強かったのです。最初は孤立していたけど、一人、また一人と志を同じにしてくれる仲間が増えていきました。

 2年後に、副主任に任命されました(手当はなかったけれど(笑))
 この頃から自分のリーダー気質に目覚め始めたのかもしれません。それから3年後に生活相談員とケアマネジャーを兼務し、さらに7年後にグループホームの所長になりました。3年半で退職し、新たなステージを求めて転職しました。人材育成担当を経て、今は施設長をさせていただいています。

 20年前、まったく想像もしなかった物語でした。無資格未経験で飛び込んできた世界。人生は何が待ち受けているのかわからないから面白いのです。

 この20年で、自分を取り巻く環境は大きく変わりましたが、ずっと変わらないのは、お爺ちゃんお婆ちゃん、職員たちが大好きで、みんな幸せになってほしいと思っていること。
 威張った奴が大嫌いで、悪い奴等には絶対に負けたくないことです。

 今、不満を抱えて働いている人も、いつも目の前のことに全力で向き合っていれば、いつか道が開けてきます。
 この世界に入ってきたときの志、福祉の心、優しい気持ち…。
 少年の心を持った大人たち…。
 夢を眠らせるな。