宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ
疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。
- プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)
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大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。
「逆でしょう」2題
先日、香川県障害者虐待防止研修に講師として参加しました。街角で、「下も向いて歩こう」というポスターに目が留まりました。香川県立盲学校の作成したポスターです。
左半分の文字が画像では確認できないでしょうから、次にしたためておきます。
「この前の日曜日
SNSを通じて知り合った視覚障害者の友人と
電車に乗って街へ出かけた。
見慣れた街並み、すれ違う人並み、
白杖を持って歩く彼と私。
この日はいつもと同じようで
どこか違った……」
「視覚障害者を安全に誘導するために
地面や床面に敷設されている『点字ブロック』。
1964年に岡山市で誕生して以来
現在は世界150か国以上の国で設置されているという。
関心のない私にとって点字ブロックは道にある
ただの『黄色い線』に過ぎなかった。
視覚障害者の彼は、白杖でこの黄色いブロックの上を
安心して歩くことができる。
しかし、点字ブロックの上を荷物や自転車などで
歩行を妨げられてしまうとどうなるだろう?
私たちが目を閉じて暗闇の中を歩いた時の恐怖。
その感覚と似ているのではないだろうか……」
「手に持つスマホの目線の先に
何気なく立っている足元に
かれらの『安全』がある。
誰もが安全に生活できるために
今、私にできることをする。
『今日は下も向いて歩こう』
まずはスマホでつぶやいた」
「上を向いて」ではなく「下も向いて」が大切なのですね。
すべての市民の常識としての、日常的な視点と心構えになって欲しいと思います。
話題は変わって、生活保護。来年度から生活保護の生活扶助費が引き下げられることが決まったようです。その根拠は次の通りです。
現在の保護費の算定方法は、最低生活の水準を相対的なものと捉える「水準均衡方式」です。モデルとなるのは「夫婦と子一人」の世帯で、現在の生活扶助費と一般の年収下位10%の階層の支出状況とのバランスを考慮して扶助費の基準額を算定するというものです。
生活扶助費は地方部で上がり、都市部では引き下げられるようです。12月15日朝日新聞の朝刊によると、40代夫婦・中学生・小学生の4人世帯の場合、都市部の現行額が18万5270円から15万9960円へと、約2.5万円も減額されてしまうケースが出てくるようです。国の審議会では、この減額幅を「機械的に当てはめることのないよう強く求める」と訴えたようです。
「機械的に当てはめることのないよう」にと言う前に、現在の「水準均衡方式」による算定方法そのものの妥当性に疑義があるとどうして指摘しないのでしょうか。国民の最低生活費の基準を決める際、「機械的」ではない温情主義を期待するとでもいうのでしょうか。最低生活費の算定方法については100年以上の研究の蓄積があるのですから、算定方法の問題を議論することが必要不可欠です。
毎年、一般世帯の消費水準が上昇していく高度成長期には、水準均衡方式にも妥当性はありました。しかし、貧富の格差が拡大するようになった現代に、「年収下位10%層」との比較をして扶助費基準を決めていく方式に、はたして妥当性があるのでしょうか。
「年収下位10%層」が毎年より貧しくなっていくとすれば、それとの「均衡」をはかるために生活扶助基準は、どんどん下げられていくことになります。生活保護法は憲法25条に謳う「健康で文化的な最低限度の生活」を国民に保障するための法制度ですから、政府の財政事情等による制約をたとえ考慮するとしても、生理的生存を何とか維持できるような古典的貧困の水準であってはならないはずです。
むしろ、生活保護を受給していないが生活保護と同様またはそれを下回る階層(「低消費水準世帯」のこと)が存在する事実は、生活保護制度という国民のとっての「最後のセーフティネット」が本来の機能を果たしていない問題として指摘されてきたはずです。
低消費水準世帯をいかにして生活保護で捕捉していくのかを政策課題にするために、先進各国の政府は「捕捉率(テイク・アップ・レイト)」を公表してきたのです。ところが、今や、低消費水準世帯に引きずられて生活保護基準を下げるというのです。
1988年の雑誌『厚生労働』に「戦後体制との決別」という匿名論文があったことを思い出しました。戦争に起因する国民生活の困窮に対して、国家責任によって憲法第25条に謳う「健康で文化的な最低限度の生活」を国民すべてに保障する制度として、生活保護法が制定されました。生活保護制度の役割は、国民的最低限を国家的に守り抜くところからも「決別」したのでしょうか。
貧困児童対策の一環として、生活保護受給世帯の中学生に放課後の学習指導を実施する事業が各地で展開されるようになりました。これまでに、複数の学習教室に足を運んでみましたが、カップ麺の続くような日々の食事の貧しさに参考書や辞書類等の購入を控えることなど、学習を積んで社会的な自立を図っていくための機会均等性のある生活条件が、子どもたちに保障されているとは到底思えません。一般世帯との比較において、明らかな不平等を強いられている印象を払拭することはできないのです。
生活保護制度とは、本来、貧困の世代間継承を断ち切ることも含めた役割を発揮しなければならないセーフティネットです。今回の生活扶助費の切り下げには、貧困の世代間継承を拡大し、未来の保護費の拡大に通じていくリスクさえあるのではないでしょうか。
さて、高松市は中心部繁華街がコンパクトでアーバニティに溢れています。丸亀町壱番街にある三町ドーム付近のクリスマス・イルミネーションはとてもお洒落でした。