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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

ティトマスの魂を抜き去る「東大話法」


 リチャード・ティトマス(1907‐1973)は、第二次世界大戦後のイギリス福祉国家の建設に大きな役割を果たした研究者です。

 専門は行政管理学(social administration)で、国民保健サービス(NHS)やロンドン大学ソーシャルワーカー養成カリキュラムの創設と制度設計に深く関与しています。

 ティトマスの没年である1973年は第一次石油ショックの起きたときですから、彼は「福祉国家の危機」(1981年、OECD)を知ることなくこの世を去った人であることが分かります。福祉国家の建設に努力を傾注しつつ、福祉国家の限界を超える必要を考えていたといわれています。

 従来、行政が担ってきた公共政策に市場原理を導入する「新しい公共」(ニューパブリック・マネジメントNPM)を採用したマーガレット・サッチャーがイギリス保守党の党首になるのは1975年、首相に就任するのが1979年ですから、ティトマスは新自由主義にもとづく福祉国家型福祉の縮減とは無縁の研究者です。

 彼の研究では、資本主義における私的所有と経済市場を通じた資源配分に係わる限界を超えるものは何かという問いが貫かれていました。

 たとえば、彼は福祉国家を支える国民の社会的連帯について深い関心を持ち、『贈与関係論』(1970 “The Gift Relationship : from Human Blood to Social Policy” Allen and Unwin Ltd.)を考察しています。

 この書を検討した福岡県立大学の吉武由彩さんによると、ティトマスはアメリカの売血制度とイギリスの献血制度の比較検討等を通じて、福祉政策(Social Policy)の制度設計、利他主義と互酬性、コミュニティの一員であるという意識という3つの観点から社会的連帯について考察しています。

 (このブログではSocial Policyを「福祉政策」と邦訳しておきます。なお、吉武由彩「R.ティトマスの『贈与関係論再考』」、福岡県立大学人間社会学部紀要、2018年、Vol.26、No.2、1‐18頁は、https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000025-I014120005117287からダウンロードできます。)

 ティトマスの贈与関係論についての詳細については、吉武さんの論稿をお読みいただくとして、私は二つの重要点を指摘しておきたいと思います(以下、吉武さんの論文からの引用が含まれます)。

 一つは、アメリカの売血制度は経済市場に立脚した経済政策の範疇にあるのに対し、イギリスの献血制度は社会市場を基盤とする福祉政策であると整理する点です。

 売血制度(経済政策)は、「金銭を得ることを目的とした利己主義により血液が提供されるため、感染した血液の流通などの問題が起こりやすい」一方で、献血制度(福祉政策)は「金銭を介さずに、利他主義にもとづいてボランタリーに血液が贈与されるため、輸血による肝炎感染の問題等は起こりにくい」と指摘します。

 そうして、ティトマスは血液という資源を、金銭を介することなく、利他主義によって贈与する「社会市場」に立脚した福祉政策の優位性を明らかにするのです。

 もう一つは、献血制度を支える「贈与」の特質を明らかにする点です。ティトマスは、モース(1950-2009)の人類学における未開社会の贈与論を参考に、献血制度の贈与について考察します。

 未開社会における贈与は、顔の見える関係(「私とあなた」という、二人称の関係)で行われます。それに対し、現代の献血制度は、血液の提供者と受け手が見知らぬ者同士の関係(特定されることのない市民同士としての彼ら・彼女らという、三人称の関係)の中で、利他主義と互酬性にもとづくボランタリーな行為であると指摘します。

 ここに社会的連帯にもとづく社会市場を基盤とする福祉政策の特質をみるのです。このティトマスの社会的連帯についての着眼と考察は、現代の課題として、齋藤純一編著『福祉国家/社会的連帯の理由』(2004年、ミネルヴァ書房)や齋藤純一・宮本太郎・近藤康史編『社会保障と福祉国家のゆくえ』(2011年、ナカニシヤ出版)などで深められています。

 このようにティトマスは、福祉国家を追求しつつ、さらに福祉国家の限界を超える福祉政策を考えようとして、経済市場とは異なる「社会市場」の概念を明らかにしました。

 すなわち、福祉政策は、有効需要と金銭を介した「交換」によって成立する経済市場ではなく、必要又は欠乏を三人称による社会的連帯に支えられた贈与によって満たし合う社会市場を基盤に成立するものと考えたのです。

 ティトマスが生きた時代の福祉政策の基本的な構成は、「五つの巨人悪」に対する政策領域に社会的な対人支援サービスを加えたものです。

 五つの巨人悪については、〈窮乏(want)⇒年金・国家扶助等の所得保障〉、〈疾病(disease)⇒保健・医療〉、〈無知(ignorance)⇒教育〉、〈不潔(squalor)⇒住宅〉、〈無為(idleness⇒完全雇用〉であり、これらに加えて〈家族問題・虚弱・障害・高齢等⇒対人社会サービス〉が六つ目の領域を構成します。

 ティトマスの行政管理学(social administration)は、これらの全領域に係わる行政の管理運営のあり方を、社会市場を維持・発展させる観点から考察しようとしていました。ティトマスは、福祉政策が官僚制の弊害や人権の軽視によって歪められ、社会的連帯を弱めてしまうような行政の管理運営の問題を不断に克服するための研究に、自身の課題を置いていました。

 さて、三浦文夫著『[増補改訂]社会福祉政策研究-福祉政策と福祉改革』(1995年、全国社会福祉協議会)は、ティトマスとは無縁の「ポスト福祉国家期」に係わる社会福祉政策について、「経営論」という見地から考察しています。

 1973年と1978年の二度にわたる石油ショックによって、ヨーロッパを中心とする主要な福祉国家は、OECDが「福祉国家の危機」(1981“The Welfare State in Crisis : An Account of the Conference on Social Policies in the 1980s”、この邦訳はOECD『福祉国家の危機』、1982年、ぎょうせい)とする事態に陥りました。

 わが国は、1973年が「福祉元年」であり、保育所、特別養護老人ホーム、障害者施設等の絶対的な不足を克服するための「社会福祉施設整備緊急五か年計画」(1971~1976年)の真っただ中で第一次石油ショックを迎えたのです。その後は、本格的な福祉国家の建設に至らないまま紆余曲折を重ねることになります。

 財政の紐をきつく締めたい政府の方針を貫くことのできない時代がしばらく続きました。比較的財源にゆとりのある大都市部の都道府県に革新自治体が成立し、それらの都道府県が社会福祉施設の新設を決定すれば、施設整備費と「措置費制度」に係わる国の義務的経費を「芋づる式」に拡大していく仕組みだったからです。

 三浦さんは、このような時代に社会福祉政策研究を「経営論」の立場から検討しました。ティトマスの生きた福祉国家建設の時代との相違は明白です。

 『社会福祉政策研究』の「はじめに」(ⅰ-ⅲ頁)と第三章「社会福祉経営論の枠組と社会福祉の政策目的」(43-45頁)で、三浦さんはティトマスのsocial administrationに関する見解に依拠にして自説を主張します。

 ここでまず、三浦さんは、「社会福祉経営論」という用語が「社会福祉を効率性原理で組み直し、いわゆる『安上がり福祉』の理論的根拠を提供するものであるような珍妙な批判が一部にあった」ことを批判します。

 次に、「経営論」とした理由は、既存の法制度では対応しきれない新たなニードに対する「政策形成とその管理運営を同時に取り扱うこと」を意図したことにあるとします。

 そして、自身の社会福祉経営論の枠組をティトマスのsocial administrationに依拠して説明します。

 ティトマスのsocial administrationの大枠は、「基本的には一連の社会的ニードの研究と、欠乏状態の中でこれらのニードを充足するための組織(それは伝統的には社会的諸サービスsocial servicesとか福祉サービスsocial welfareとよばれたものである)が持つ機能」であり、それは自身の社会福祉経営論にも「該当する」と説明するのです。

 ここで、ティトマスからの引用部分に嵌め込まれた( )書きの部分、つまり「それは伝統的には社会的諸サービスsocial servicesとか福祉サービスsocial welfareとよばれたものである」が、はたしてティトマス自身の但し書きかどうかがはなはだ疑わしい。ティトマスは「ニードを充足する組織」と言いながら、( )書きでは「サービス」にすり替えられているからです。

 こうして、ティトマスという「虎の威を借りて」、自身の研究はティトマスと同様の、social administrationであり、その核心部分は「ニード=サービス論」にあるという主張にすり替わる。このような議論の「すり替え」または、自己正当化のための議論の「つまみ食い」は、「東大話法」(安冨歩著『原発機器と「東大話法」-傍観者の論理・欺瞞の言語』、2012年、明石書店)の典型ではないでしょうか。

 ティトマスは、social administrationの守備範囲が、福祉政策(social policy)の全領域に係わる包括的な研究課題にあることを具体的な項目で明らかにしています。そして、その研究目的は、福祉国家を創造しつつ、さらにその資本主義的制約を乗りこえるための考察を重ねることにありました。

 三浦さんの政策論が、守備範囲を「狭義の社会福祉政策」(生活保護、高齢者・障害者等に係わる施設・在宅サービス等)に限定し、考察の課題の基軸に「ニード=サービス論」を据えてしまう研究課題と研究方法は、ティトマスのそれとはまったく異なります。

 以前、東京都立大学名誉教授の星野信也さん(福祉国家研究)に直接伺ったことですが、イギリスの福祉政策に係わる議論で登場する「ニード」(あるいは複数形の「ニーズ」)や「社会諸サービス」は、単純に行政上の用語であり研究上の概念ではないと伺いました。これは三浦さんを批判しての説明です。

 最終的に、三浦さんの「ニード=サービス論」は、ティトマスの社会市場ではなく、経済市場に帰着します。

 三浦さんは、まず、社会的ニードとは「『ある種の状態が、一定の目標なり、基準からみて乖離の状態にあり、そしてその状態の回復・改善等を行う必要があると社会的に認められたもの』というぐらいな操作的概念」(前掲書60頁)と説明し、ニードが実体概念ではなく、行政による政策技術論的な操作概念であると明らかにします。

 そして、「個々のニードに共通する社会的な要援護性として捉える」政策的ニードは、「経済学が対象とする商品が、使用価値に着目するのではなく、交換価値にもとづいて対象とされたり、…(中略)…価格メカニズムにもとづいて充足されるという欲求を基礎にして対象化されるものと基本的に同じ発想のものである」(前掲書60頁)とするのです。

 こうして、三浦理論は、福祉国家型福祉よるニーズへの対応を図るのではなく、多元的福祉システム(民間営利、民間非営利、家族・近隣+政府)がそれぞれの特徴を活かしてニーズに対応する政策であるニューマネジャリズム(成果と能率から組織の管理運営を図るための企業経営手法)の採用根拠を提供し、規制緩和と権限委譲を推進することに接合していくのです。

 ティトマスは、社会市場の観点から福祉国家を創造するsocial administrationであったのに対し、三浦さんは経済市場の観点から福祉多元主義を追求するためのbusiness administrationを唱えました。福祉多元主義にもとづく社会福祉政策のための「経営論」であるから「安上がり福祉にしろ」とは一言も言っていない。まさに、東大話法の真骨頂でしょうか。

乱れる季節の移り変わり

 マスコミは春の陽気で「桜が咲いた」などと、相変わらず能天気な映像を流しています。早く春がやってきたのではなく、季節の移ろいがこれまでにない乱れ方をしている点に問題の深刻さがあるではないでしょうか。わが家の梅が、この時期までに咲かなかったことはありません。熊やクジラをはじめ、多くの生き物が混乱しているように感じます。