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私はこうして合格しました!

国家試験を突破して精神保健福祉士の資格を取得した合格者の皆さんに、合格までの道のりをご紹介いただきます。効果的な勉強法や忙しいなかでの時間のつくり方、実際に資格を手にして思うことなど、受験者が参考にしたい話が満載です。

第51回 松田尚子(まつだ・しょうこ)さん

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プロフィール

松田尚子(まつだ・しょうこ)さん
平成26年度試験合格

 山口大学農学部生物機能科学科卒、同大学院農学研究科修了。長崎県出身。高校は進学校、生物と化学が大好きで、必然として理科系大学に進んだ。勉強がおもしろく、周囲が当たり前のように大学院に進むなか、自らもその選択に迷いはなかった。さて、就職を考える段になって時代はリーマンショック。専門を修めた分野の職域は広く、これをやりたいと特別に望む職もなく、社会勉強の一環と思い入職した会社は1カ月で倒産。改めて何の“仕事”に就くかを考えたとき、“人が好き”という元々持っていた性向に目が向いた。高齢者の通所介護施設に介護職員として2年、重度心身障害者施設に1年勤め、この間に社会福祉士・精神保健福祉士の資格を取得すべく、通信課程の専門学校に入学した。通信課程終了後の国家試験(平成26年度試験)を1回でパス。医療法人見松会あきやま病院(長崎県諫早市)に就職し、リハビリテーション部医療福祉相談課でソーシャルワーカーとして勤務している。趣味は「受験勉強しながら本を読んでいた」くらい好きな読書。太宰治、呉秀三、江國香織、山本文緒と作家・ジャンルは問わず。好きなのはネコ、特に子ネコ。きらいなものは、カブトムシなど表面がテカテカした虫。「目の前にいる人がどんな領域の誰であってもちゃんとかかわることができる、“人とのかかわり”におけるスペシャリストになりたいです」、見ている世界がそのままスケールを映している28歳。

福祉へ転向したのは

 一見、福祉とは無縁の道のりでここへ至っているのは、プロフィールをご覧いただいてのとおりです。大学院で専攻したのは応用分子生命科学分野で、タンパク質である酵素の研究など試験管を振りながらデータを採っているような分野でした。中学高校のときから純粋に理科系が好きで、そのまま進んできたら専門領域にいたという感じです。

 でも、就職を考える時期に来たときに、これを一生やっていくのかな、仕事として本当に自分がやりたいことだろうかと考えることになりました。当時は就職難のご時勢でもあったので、いったんは食品関係の会社に勤めましたが、会社の倒産もあって、その後の身の振り方を真剣に考えました。

 考えてわりとすぐに浮かんだのが福祉関係の仕事でした。理科の勉強にあれだけ楽しく取り組んできながら、それを仕事にすることに違和感を持ったこととも関係しますが、自分自身の根本に“人が好き”“人といたい”という気持ちがあって、学生時代に選んだアルバイトは文房具店の接客や家庭教師など、人とかかわる仕事でした。お店にいると高齢者も障害者も来ます。目の不自由な方がいれば躓かないように誘導する、耳の遠い方がいれば丁寧に応対するなど、そういう方々の心配なところを気遣って接するのが得意といいますか、好きでした。

 そういうわけで、自分に向いているんじゃないかと思い、興味を持ったのが福祉の仕事を志したそもそもの発端です。実家に寝たきりの祖母がいて、小学生の頃からヘルパーさんと話をしたり、家の前に来るデイサービスの送迎車の様子を目にしたりと、身近に感じていたことも入りやすさにつながっていたと思います。

悪いイメージが払拭され、資格取得へ

 とはいっても、福祉については何の勉強もしておらず、もちろん当初は無資格ですから取っ掛かりがありません。そこで、初めはどこでもいいから福祉の現場に身を置いてみて、実際に働くところから始めようと考えました。幸い、契約期間中にホームヘルパー2級を取得させてくれる高齢者のデイサービスがあり、1年間の契約社員として採用してもらいました。

 実は当時、仕事として興味を持ちながら矛盾しているようですが、福祉の現場に対してあまりよいイメージは持っていませんでした。どの利用者もいっせいに食事をさせたり、長いこと放っておかれたりといった機械的なケアが現実だろうと思っていたからです。そういう現状があるのだとしたら、自分はあったかいケアをしたい。そんな思いもありました。

 ところが、勤めたその施設では一人ひとりに合わせたあったかいケアが実践されていて、まさに理想に近い事業所だったんです。その事業所と縁があったおかげで、悪しきイメージが覆されました。そんな折、そこで出会ったケアマネジャーさんが「あなたはこの仕事向いていると思う」と言ってくれて、専門職を目指すのであればと、ほどなく知ったのが介護福祉士や社会福祉士、精神保健福祉士など福祉の職種です。

 1年間の契約期間を終えて、次の年は重度心身障害者の施設に勤めました。いろんな現場を経験してみたいとの思いからでした。この年、施設の勤め始めと同時期に社会福祉士と精神保健福祉士の資格を目指して、佐賀県鳥栖市にある九州医療専門学校に入学しました。勉強は現場での実践と並行して進めたいと思い、2年制の通信教育課程を選びました。

 その障害者施設では常勤でしたので、通信課程2年目は受験勉強に集中するため、以前に勤めたデイサービスとは別の高齢者デイサービスの施設で非常勤として働きました。

 以上が、福祉については門外漢の私が福祉士を志していった経緯です。現場で実際に経験を重ねるなかで、それを仕事にすることへの自分自身の気持ちを確かめる道のりでもありました。こうして目的意識は明確となり、受験勉強へと進んでいきます。

初めに試験日までをシミュレーション

 資格のための受験を志した当初、自分の強みとして感じられたのが“勉強の仕方がわかっている”ことでした。第一にはもともと勉強が嫌いではなかったですし、進学校に身を置いていたため試験で得点するためのノウハウも蓄積していました。大学受験を経験していたことも、一つの大きな強みだったと思います。国家試験としての難易度はわかりませんでしたが、とにかく計画を立てて突き進むのみでした。

 まず、専門学校に入学してすぐ、受験勉強全体を2か年計画でシミュレーションしました。試験日より遡って2年前の現在から、どのように勉強を進めていき、いつまでにどの程度に習熟し、どうやって仕上げに持っていくかという全体像です。初めは勉強する内容やその習得に必要となる時間数を正確には見積もれませんから、大枠です。それらの細部が見えてくるにしたがい、計画を綿密にしていきました。

2年分のレポート作成を初年度に完了

 その計画で掲げた一つは、課題のレポート作成2年分を初めの1年間で完了することでした。私が入った学校では、社会福祉士・精神保健福祉士をダブルで受験する2年制の通信課程は、月当たり4~5本のレポートを提出し、それが2年目の8月頃まで続くカリキュラムでした。そのレポートを1年目が終わる3月までにすべて提出し、4月からは受験に特化した勉強をスタートできる状況にしておこうと考えたわけです。入学時に全レポートのテーマと提出期限が示されたので、計画的に取り組めば達成できる計算でした。

 この課題に取り組むにあたって意識したのは、レポート作成のための勉強を受験勉強のための基礎学習と位置づけることでした。課題となっているそれぞれのテーマは、国家試験にも関係する知識でもあり、レポートを作りながらそのテーマにまつわる知識を獲得していけば、そのテーマ、その科目自体に習熟していくことになります。

 やっていて悩ましかったのは、手を抜こうと思えばいくらでも手を抜けることでした。こういうレポートはだいたい、課題として示されている部分と教科書の目次を照らし合わせれば、該当箇所が見つかって書けてしまいます。課題をクリアするだけでいいとハードルを下げることなく提出日程を繰り上げるというのは、自分自身の資格取得への姿勢が試されていることでもあって、楽をしそうなときほど“実にすること”が目的なのだからと、やっていることの意味に立ち返るようにしました。

 計画は予定どおりに進み、全レポートを通信課程1年目が終わる3月に提出し終えました。あわせて、2資格で25科目ある教科書を読了・理解し、基本知識も一応習得した状態になりました。

前年度版ワークブックの「一問一答」から

 通信課程2年目は、4月から受験に特化した勉強へステップを進めるとした当初の計画をまず意識の面で確認しました。おのずと勉強に時間が投入しやすくなるよう、職場と勤務形態を変えたのは、先にお話ししたとおりです。

 初めに考えたのは、「試験は共通科目の攻略がカギになる」ということでした。レポートをすべて出し終えたときに持った実感です。2つの専門科目と共通科目をまんべんなく勉強するのはもちろんですが、力のかけ方、必要とする時間は変わってくるだろうと。

 受験対策の教材としたのは、中央法規出版の過去問解説集とワークブックです。ワークブックは、通信課程1年目の夏にスクーリングを機会に購入していました。試験を受ける年度より1年早い版です。まず、このワークブックに入っている「一問一答」を完全に覚えることにしました。共通科目のワークブックにある一問一答のページを全部切り取り、移動中などちょっとした時間も見つけながら仕上げていく進め方です。

過去問3年分を3回解いて完璧に

 それらがほとんどできるようになったくらいの時期に、その年度の過去問解説集が発売されました。この本に載っている「過去問3年分を完璧にする」ことが次の目標でした。完璧に解けるではなく、“完璧にする”です。

 誤りの選択肢であっても、どうでもいいことは設問にしないはずで、問題だけではなく選択肢も含めて重要なポイントであると考えました。すべての選択肢の内容を正確に把握して、誤りの箇所を正しく直した状態を理解すれば、その出題テーマで問われる重要な事柄が網羅できる。であるなら、試験問題3年分をじっくり掘り下げて勉強すれば、試験で必要とされる知識は身につく。計画的に進めていけば、時間も足りるだろうと目算が立ちました。

 12月末をおおむねのゴールに設定して、1日あたり何問やれば達成できるか、1日何問ならこなせるかを考えて計画を立てました。専門科目2つと共通科目で1年230問、3年分だと690問。それを3回解くとすると、2070問。日で割ると休日なしで1日15問こなしたとして4カ月半かかる計算です。そんな単純計算どおりにはいかないので、中間のロスやある程度のゆとりも込みで設計しました。毎日コツコツと進めていき、計画どおり12月末には達成できました。

練り抜いたキーワード解説

 その過去問の勉強方法についてです。全体としては、問題を解く→解説を読みキーワードを書き出す→まとめノートを作成する、という流れです。

 まず、問題を解く段階では、すべての選択肢に○×をつけて答え合わせをします。答え合わせとあわせて解説文をよく読みます。しっかり読みます。解説をていねいに読むと、覚えていなかったことやわかったつもりでわかっていなかったところが見えてきます。

 次に、その設問を解く上でポイントとなっているキーワードを、問題を解いたノートに書き出します。キーワードがわかる、それを取り出すという作業がまず大事で、そのことが力になってくれます。

 ノートにキーワードを書き留めたら、今度はそのキーワードと、それを説明する解説文を別のノートにまとめます。解説文を作る過程で、まだ理解があいまいである部分や知識として欠けている部分が見つかります。内容が不十分なら、読んで気づきます。そうしたら足りない内容を文献などから補います。ワークブックで調べたり、教科書で調べたり、それでも足りないと思ったら、手持ち以外の参考書やインターネットなども活用していきます。

 まとめノートのキーワード解説は、その時点で完成ではなく、勉強の進行によって修正が加わっていきます。同じキーワードがターゲットとなる他の問題を解くことで、修正することもあれば、もっと総体としての知識が充実してくることで、関連するそのキーワードへの理解がより深く的確となり、解説内容を修正したくなることも出てきます。

 この作業を続けていくと、実力がついてきます。最初はわからないことが多い分、書くことも多くなりますが、2回目にそのキーワードを見るとき、つまりその問題を2回目に解くときは、正答率が上がり理解も進んでいますから、書く量は減ってきます。ノートは専門科目2つと共通科目でそれぞれ1冊、合計3冊用意し、科目ごとにインデックスを付けて整理しました。共通科目→社会専門→精神専門のサイクルで問題を解きながら、3冊のまとめノート作成を同時に進めていきました。最終的に、3冊のまとめノートが完成しました。

 過去問全体の理解度を図る点では、エクセルでチェック表を作り、どの問題を何回間違ったのかがひと目でわかるようにしました。なかには、キーワード解説の修正を重ね、理解も深くなっているはずなのに間違えてしまう問題があって、最後は間違えた問題だけ本から切り離し、その問題が3回間違えた問題であることがわかるようにして完全な攻略を図りました。

2年間、毎日コツコツと3時間

 勉強する時間は、仕事から帰って夕食を摂った後の時間帯でした。だいたい夜8時から11時くらいにかけて3時間ほどです。通信課程の1年目はこの時間がレポート作成にかかわる勉強に充てられ、2年目は受験対策に充てられました。平日は仕事一本で休日にまとめて勉強するというやり方はせず、毎日決まった時間に机の前に座り、決まった時間を勉強することを習慣化し、コツコツと進めました。実家で、かつ勉強しやすいように職場の立地や仕事への取り組み方を調整した点も含め、万事は計画どおりでした。

12月に仕上がり、1月は体調管理

 このように進めていった結果、12月には十分に仕上がった手応えを得ました。必要だけどまだ学んでいないというものが見当たらなくなり、一見新しい知識に映るものも、すでに学んだことを別の角度から言っている程度の違いと受け取れました。試験にはあまり関係なさそうな法律の内容まで見たりして、気持ちにも余裕がありました。

 勉強はしだいに学んだことの確認作業へと移っていき、1月は改良を重ねながら作成したまとめノートの内容を暗記していきました。まとめノートは、“そのノートを見るだけで試験対策として十分な状態”にまとめ抜かれていて、見ていると安心しました。

 最終段階でいちばん気をつけたのは、風邪をひかないようにすることでした。風邪をひきやすいので、仕事中もずっとマスクをつけて体調管理に努めていました。

合格はやっぱりうれしい

 試験は簡単でした。正答数が足りずに落ちていることはないと思いました。共通科目も基礎的な問題が多く、印象に残るほど難しい問題はありませんでした。ただ、試験は何があるかわからないとは思っていました。受験番号を書き忘れたとか、マークシートの塗りつぶす箇所を1問ずつずらしてしまったとか、まったく別の理由で落ちているという可能性を考えると、少しだけ不安になりました。

 発表はインターネットで見て、ほっとしました。大丈夫とは思っていましたが、実際に自分の番号を見つけたときはうれしくて、がんばってよかったと心から思いました。

目指すは“かかわり”のスペシャリスト

 私は合格後、精神科の病院に就職しました。子どもの頃、緊張してドキドキすると手に汗をかくのはなんでだろう、思ったことが体に現れるって不思議だな、そんなふうに人の心と体のつながりに昔から興味がありました。実際に資格を取ったらどういうところに行こうかと考えたとき、精神保健福祉は第一に働いてみたい分野でした。精神疾患を持っている方々の現在の社会的な境遇を現場から見つめ、行動できたらとの思いもあります。

 これから先、さまざまな経験を重ねながら成長していきたいと思っています。どのような人とどのような場でかかわっても、いろんな角度から見立てることができ、その人が本当に必要としているかかわりができる。そんなかかわりのスペシャリストになるのが目標です。

所属するリハビリテーション部の先輩方と。
とっても元気な職場です。