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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第129回 一生懸命な人の姿は美しい 
お金を一番の価値にしない仕事を目指して

林田俊弘さん(49歳)
NPO法人ミニケアホームきみさんち理事長
有限会社自在 取締役社長
東京都地域密着型協議会副代表
全国グループホーム団体連合会副代表
(東京・豊島区)

取材・文:毛利マスミ

チャレンジする人を支える仕事

 現在、6件の認知症対応型グループホームを経営する一方、東京都のグループホーム協議会で認知症対応型生活介護のガイドラインの作成や、後進育成のための研修会、介護職の魅力を伝えるPR活動などをしています。
 じつは私自身は、「介護職」という言葉はあまり使ってなくて、一生懸命にチャレンジしようとしている人を支える仕事、一義的には支援者だと思っています。それは、介護という言葉には、「助ける」「守る」といった意味合いが強すぎると感じているからです。
 グループホームを立ち上げたばかりの頃のことですが、初めての自立支援で買い物から帰った入居者さんの表情が、とても輝いて見えたことがありました。人はこんなにきれいな顔をするのかと、見惚れてしまったのですが、そのとき気づいたのがオリンピックのマラソンランナーと入居者さんのお顔の輝きが同じだということでした。
 一生懸命な人の姿は、とても美しいものです。オリンピックは4年に1度しか見られませんが、この方たちと一緒に過ごせば毎日でも輝く瞬間を見ることができます。そのことに気づくか気づかないか、イメージできるかどうか、ただそれだけで、この仕事に対する意識は大きく変わると思っています。

 大学は経済学部経済学科に進学しましたが、学生時代から自分自身をお金に換算することに抵抗がありました。自分の存在や評価を年収いくらというようにお金に換算することが、私の価値観になかったんです。でも「お金で幸せにはなれない」と否定するのは簡単ですが、「お金とは何か」ということをきちんと説明できる人はほとんどいません。だからこそ、お金をとことん知ることも必要だと、大学卒業後は銀行に就職しました。銀行には3年間勤めましたが、その上でやはり私は、お金を自分の人生や人間の価値観の中心におきたくない、お金を一番の価値観にしない仕事をしようと転職を決めました。

相手の意思を尊重し、追求し続けることが私の仕事

 最初は学生時代にボランティアで活動していたNGOを目指しましたが、言語の問題や専門的な技術がないと難しく、それで国内に目を向けて介護の仕事を探しました。当時は特養があちこちにたくさん開設された時期だったので、募集がたくさんあったこともあり、新宿区にある高齢者福祉施設に採用が決まりました。
 そこでは3年間、デイサービスと特養で仕事をしました。その頃にある論文を読んだことが、私が「いつかはグループホームを作りたい」と思うきっかけになりました。そこには、畳の上で死ぬことがなぜ難しいのか、ということが書かれていました。20年ほど前までは当たり前だったことが、なぜ難しいのかと、思ったことを今でも覚えています。
 また、とくにアルツハイマー型では見当識障害があることが多いのですが、当時、私が働いていた施設は、どこも似たような部屋に分刻みのスケジュール、職員の数も多く、時間や空間の認識が低下している人がもっとも苦手とする場になっていたんです。徐々に私のなかで「やはり特養では目指すことはできない。認知症対応生活介護ができるグループホームが必要だ」という思いが強くなっていきました。

 東京都練馬区に「ミニケアホームきみさんち」を開設したのは、勤めていた施設を辞して1年後の1999年のことです。そしてこの後、約5年間隔で 5件のグループホームを開設しました。そのなかで一貫して譲れない一線として持ち続けているのは、「その方の意思を把握して尊重すること」です。入居者さんの意思を、様々な制約があるなかでいかに尊重し続けられるのか、それを追求するのが私たちの仕事だと考えています。
 たとえば「家に帰りたい」とおっしゃる入居者さんがいたとします。そんなとき、どう応えますか? 「コーヒーでも飲んでゆっくり考えましょう」とお茶を濁してしまうのでしょうか。でも入居者さんは、自分は30代か40代で、子どもがお腹をすかせて待っていると思っているんです。家で子どもが待っているのに帰らない親はいますか? 真剣な方に、おためごかしは通用しません。では、どうしたらいいのでしょう。たとえば「じゃあ、家に電話してみようか?」など、その方の気持ちを尊重する対応はできますよね。ご本人の気持ちを一番に、そのための様々な手立てを考えることで、私たちはプロだと胸を張れるのです。

その人のすべてが認知症なわけではない

 また、相手の意思を確認することもとても大切なことです。たとえば、声がけもしないで食べさせてしまうとか、お手洗いに行きますか? と、聞きもしないで車いすを押して連れて行ってしまうとか。それはその人の存在を、モノに近づけてしまっていることです。いつでも相手の意思を確認することが大切で、そのためには相手に興味を持つことが一番です。
 わたしは本来、人付き合いが得意な方ではありません。でも、入居者さんと過ごすことは別で、一緒にいて楽しいだけではない「何か」を感じずにはいられないのです。認知症状態にある方は、人間の本質にあるいい面も悪い面も上手に隠せないので、感情的な部分が際立つんです。泣いたり怒ったりする姿を前に、もちろん何とかして差し上げたいと思うのですが、でもその前に、こんなに悲しくなれる人間ってすばらしい、かけがいのないものだと、心から感じるのです。だから私は、この仕事がたまらなく好きなんだと思います。

 「認知症状態にある方」と、私があえて言い続けるのは、その人のすべてが認知症なわけではないからです。怒り泣き笑う、そして家族に会いたいと願う──これは人として当たり前の気持ちですよね。ただ、その時々の状況や環境、過去の記憶が明確ではないだけで、本質的には人間として逸脱しているわけではないのです。周りの環境が整わない、もしくは自分が適応する能力がうばわれているから浮いて見えているだけです。

 先日、うちの職員がうれしそうに「もう、(入居者さんに)振り回されてます!」と言ってきたんです。「そうそう、それでいいの」って、思わず笑みがこぼれてしまいました。すてきですよね。「振り回される」ということは、主体が入居者さんにあるということで、とても正しいことなんです。振り回される自分を楽しめる精神状態、それを客観的に見られている自分、またそれを許す環境があることが欠かせないのです。
 この仕事を志す人には、想像力をもってほしいと伝えたいですね。大変な思いをしながら排せつ介助をする仕事ではなく、入居さんのことを思い巡らして、イメージをふくらませることで豊かさを得られる仕事だということを知ってほしいんです。その方の可能性はどこにあるのかと想像し、さらにその可能性を阻害するリスクは何だろう? と考えられるようになればこの仕事のプロです。ですからまずは、相手の可能性を信じてイメージすることから始めてほしいですね。

「私は経営より、入居者さんを直接ケアする方が
好きなんです」と林田さん。

自らの事業所で起きた虐待について
著した本も出版した。

【久田恵の視点】
 「相手の存在をモノに近づけてしまっている」、忙しい介護の現場で、意図せずそんなふうになっている様子をかいま見ることがあります。介護を受ける側から見れば、まさにそれが「老いることの悲しさ」の本質なのだと思います。