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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

テレビはおわコン?

先月の25日、NHK放送文化研究所(https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/index.html)の発表した「国民生活時間調査2020」によると、この5年間で、国民のテレビ離れが一段と進んでいることが明らかになりました。

 テレビ視聴に係わる調査結果の概要は次の通りです。

  • ・国民全体で、1日にテレビを見る人は、2015年の85%から2020年の79%に減少した。
  • ・年代別には、50代以下で減少、特に20代以下で20ポイント前後と減少幅が大きい。
  • ・16~19歳では、1日にテレビを見る人が5割を下回った。

 この背景には、テレビ視聴の短くなった若年層でインターネット利用が増大しており、特に10代の8割はインターネットを毎日利用している事実があると指摘しています。

 この調査で「1日にテレビを視聴している」基準は、「1日に15分以上テレビを視聴していること」ですから、気象情報を朝夕観ただけでもテレビを視聴したことになります。

 ケーブルテレビの営業の方が言うには、「テレビを見る」ことは営業の材料には全くならない時代で、インターネットその他の付加的サービスの旨みではじめて契約に結びつくことがほとんどだそうです。

 大学生との会話から抱く私の実感から言うと、若い人たちのテレビ離れは2000年前後から着実に進み、2010年頃からテレビを視聴しない習慣が大学生に定着するようになったと考えています。

 テレビ離れが始まった2000年前後は、Microsoft Windows 95以来インターネットが急速に広まっていく時期と重なっています。今や、親元を離れて下宿生活をしている学生の中で、独立した電化製品としてのテレビを保有しているのは恐らく少数派ではないでしょうか。

 以前は、下宿するアパートがケーブルテレビになっているため、地上デジタルやBSに加えて、映画などの特定の専門チャンネルを楽しんでいた学生もいたようですが、それも今ではNetflixやAmazon Primeに移行しました。

 このような傾向は30~50代でも着実に進んでいると思います。先日、理髪店に行ったときにあるテレビ番組のことで話題を振ると、理容師さんから「宗澤さんはまだテレビを観ているのですか?」と訊ねられたことがありました。

 理容師さんは、多様な職業・年代の人たちを相手に仕事をしていますから、「テレビ番組」を話題にすることは、もはや客との珍しいやり取りになっていることを反映した言葉なのでしょう。

 インターネットが普及したとはいえ、かつては絶大な影響力のあったテレビから離脱が進む背景には何があるのでしょうか。

 簡単に言えば、かつてはテレビが無かったら不便を感じたところが、現在はテレビがなくても何ら不便を感じなくなったということだと思います。それは、日々に必要な情報を得ることとエンターテイメントを享受することの両面で言えることです。

 私は大学院生の時代、大学図書館のテレビ・ライブラリーの作成のアルバイトで、福祉に係わるドキュメント番組等を録画しては整理・保存していく仕事を友人と一緒にしていました。

 このとき、これまであまり意識せずに観ていたテレビ番組をはじめて分析の対象として、テレビの持つメリットとデメリットを明確に自覚するようになりました。

 テレビのドキュメント番組は、30分番組を文字情報に要約すると400字未満の情報量しかないものがたくさんあるのです。内容は乏しいのですが、映像で「盛って」30分持たせているだけです。今日でも、この手の番組作りやドキュメントは氾濫しています。

 真に秀逸なドキュメント番組は、文字情報に還元することのできない貴重な動画情報が含まれ、テレビ番組ならではの仕上がりなっています。このような出来栄えの割合は、私の経験値から言うとドキュメント番組では5%くらい。

 テレビ全盛期の時代から、映像でごまかしてきただけの番組はたくさんあったのです。現代では、インターネットを通じて、動画を含む多様な情報にアクセスできますから、テレビに依存するほかなかった時代から、多くの人が解放されるようになってテレビ離れが進んでいるといえるのです。

 次に、かつてのテレビが持っていた社会的権威や輝きのようなものが剥がれ落ちてきたことです。

 大河ドラマが渋沢栄一を取り上げるとなると、NHKのあらゆる番組を動員して渋沢栄一を吹聴し、大河ドラマを視聴させようとするキャンペーンを張るのは、目障りで見苦しい。

 「報道もどき」の番組があまりにも増えて、MCや芸能人の耳障りで無駄なおしゃべりが溢れています。「報道番組」の多い時間帯にしかけてくる政治家の会見を垂れ流す、PCR検査の拡充が進まない疑問やオリンピック開催を疑問視する国民の大多数の意見を取り上げては「通り過ぎ」、徹底的に掘り下げて「真実に迫る」ことはない。

 科学的な正確さの求められる番組作りでは、視聴率を念頭に話題作りか耳目をひくことを優先しているのか、グレーな内容が結構出てきます。友人のある診療科の専門医は、「テレビは平気で嘘をつくから、学会か専門医の見解をインターネットで確かめた方がいい」と言います。

 自分の専門領域である福祉・介護関連の番組でも、表面を撫でた程度のことを取り上げては、専門家然とした登場人物の、学説としては疑問符だらけの発言に出くわすこともしばしばです。

 最近、私の授業で優生思想を取り上げてグループ・ミーティングをした時、「女子アナ」に疑問を抱く学生たちの考察を知る機会がありました。

 優生思想は、たとえばナチス・ドイツでは、「遺伝病子孫予防法」と「母体保護法」をセットに、「劣った者」を抹殺し「優れた者」を増やそうとする科学的装いをまとった差別の思想です。わが国では、多くの障害のある人たちが旧優生保護法(1948~1996)による強制優生手術(強制避妊手術)の犠牲者になりました。

 障害のある人たちを「根絶やしにしようとする」考えは、「より頭のいい者、より運動能力の高い者、より健康で美しい者」を優れていると価値づける考え方とセットになって優生思想が日常生活世界に不断に再生産されていく構造を作ります。古くは健康優良児の表彰からはじまり、現代の介護予防運動もこの文脈に与する傾きがあります。

 学生たちのグループ・ミーティングでは、テレビというメディアは優生思想の拡大再生産に加担しているという意見が多く出されました。その象徴が「女子アナ」です。

 「女子アナ」は、頭が良くて美人であることをテコにしたテレビへの憧れを作る象徴であり、ビジュアルを重要視するテレビはルッキズムを柱にして優生思想の拡大再生産に加担するメディアであるというのです。それは、「ジャニーズ系の東大王」も同様です。

 つまり、「より頭が良くて、より運動ができて、より健康で美しい」ことにもっぱら光を当てようとするテレビについて、もはや「軽薄だ」と学生たちは批判し、見切りをつけているのではないでしょうか。この若者の声をテレビ界はどう受け止めるのでしょう。

幼くても精悍なカマキリ

 さて、梅雨を素通りしたまま真夏のような日が続いています。今、わが家の庭には小さなカマキリがそこかしこにいます。カマキリは、メスの方がオスより体格が大きく力も強い。産卵する前にオスを食べたメスのカマキリの卵からは、オスを食べなかったメスの卵よりも、はるかに多い幼虫が産まれるそうです。すると、カマキリのオスはメスに食べられてこそ本望でしょう。でも、カマキリ界で「より逞しいメス」にもっぱら優位な価値づけをすることはないでしょうね。

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