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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

行動障害を拡大する欠陥施策の連鎖


 このブログでは、先々週に、大阪の放課後デイサービスにおける強度行動障害のある子どもに対する悪質な虐待事案を、先週には、強度行動障害のある人の支援施策に関する根本的な欠陥について、それぞれ論じました。

 知的障害とASD(自閉スペクトラム症)を併せもつ人の行動障害の防止は、子ども期、とくに10代が決定的に重要です。

 ASDのある人は、さまざまな変化を苦手とする障害特性をもつため、前思春期からはじまる急激な心身の変化によって新たな問題発生の局面を迎えることになります。たとえば、ホルモンバランスの変調に代表される生理的変化や急激な身体の発達を基盤として発生する「青年期パニック」は良く知られています。

 青年期パニックは、適切な早期教育の広がりによって、以前ほど激しい興奮を見せるケースは少なくなってきたと言われています。それでも、ASDの思春期に初発する合併症としてのてんかん発作があり、興奮やかんしゃくは頻繁にみられるようになりがちです。

 発達年齢で3歳を超える人たちは「自我」を獲得していますから、それが思春期にふさわしい自我へとバージョンアップすると、「親・支援者の指示に従う」よりも「自分の意志や気持ちで判断して行動したい」意欲が大きくなっていきます。

 体が大きくなって力も強くなり、興奮とかんしゃくが発生する中で、自分で判断して行動したい欲求が拡大すると、小学校低学年までのように大人の指示を基軸とする対応を続けることはできません。

 大人の側が力で押し切るろうとすればするほど、抵抗は大きくなり、不適切な支援から虐待の発生に至るリスクが大きくなります。

 思春期的変化が認められた時点から、支援のあり方を新しく組み替えていかなければならないのです。てんかん発作や興奮に対応する医療との連携がさらに必要ですし、教育・福祉・心理における発達支援についても、本人の思春期自我を受けとめる「間」を作る(支援者側が一呼吸「待つ」)関与を基本としなければなりません。

 ところが、先々週のブログで取り上げた大阪の放課後デイサービス「アルプスの森」は、管理者と職員が「共謀して」(大阪府警による)、頭突きやビンタなどの暴力を振るっていたのです。ズブの素人が寄ってたかって威圧して言うことをきかせようとしたなれの果てで発生した、目も当てられない虐待です。

 私が埼玉県障害者施策推進協議会の会長をしていた時に知った事例に、「愛着障害の克服と対人関係の改善」を看板に謳う放課後デイサービスのひどい実態がありました。

 年度初めの4月当初はサービス管理責任者や保育士資格のある人がいるのですが、夏までにはなぜか姿が見えなくなって、児童福祉や障害者福祉の実務経験のない無資格の女性1人だけの指導体制になっていたと言います。

 その女性は、放課後にやってきた子どもたちに袋詰めのお菓子を渡して、子ども向けビデオ映像をテレビで流すと、椅子に座って爪にマニュキュアを塗っています。子どもたちが、かまってもらおうと近寄ってくると、「爪のマニュキュアが乾くまで近寄らないで、テレビを見ていなさい」と言い放つのです。これがまさかの「支援」の実態。

 散歩をするときには、子どもたちの首に紐を巻いて鵜飼いのようにそれぞれの子どもたちにつないでいる紐を引っ張りながら歩くのです。その光景の画像を「このようにして子どもたちの散歩の時の安全を守っています」とホームページに出していたというのですから、あきれてものが言えません。

 三重県立桑名特別支援学校の校長が、生徒との接し方について相談した女性教諭に対し、「犬を扱うように接すればいい」と助言したことで問題になっていますが、先の放課後デイサービスの例は、「犬を扱うように」ではなく「犬として扱っている」のではありませんか。

 このような実態を知って、より良い取り組みをしている他の放課後デイサービスを探して変わる親御さんもいますが、「取り組み内容はお任せ」の親御さんもたくさんいて、障害のある子どもたちは、そのような構造の下で二次障害を拡大していきます。

 そして、特別支援学校では、中学部から高等部において、行動障害の拡大した子どもたちがこれまでにない勢いで増えはじめ、先生方はその対応に大わらわになる一方で、不適切な支援をし続ける放課後デイサービスが行動障害を拡大し続ける。

 いうなら「行動障害を強度行動障害にするか否かの、天下分け目の合戦」が全国各地の地域で繰り広げられている事態になっているのです。

 このようにみてくると、子ども期の行動障害の発生と拡大を防止するために必要十分な施策はなく、障害のある子どもたちの人権は著しく蹂躙されているといっていい。

 施策の不備に起因して「強度行動障害」の状態像に追いやられた若者は、学校卒業後の適切な進路選択が難しくなってしまいます。ここで「受け皿」として登場するのが、営利セクターのグループホーム。

 親御さんは強度行動障害を前にもはや養護を続けていくことができない苦境に追い込まれているところに、「うちなら大丈夫ですよ」と「微笑んで受け入れてくれる」グループホームの案内が登場するのですから、それにすがろうとするのは当然です。

 10代に行動障害を拡大してしまい、若くして強度行動障害の状態像になった人たちが、学校卒業後に福祉の世界に移行していく現象は、この15年ほどの間に大きく広がりました。

 このような事態を7~8年前に憂慮したさいたま市担当課の課長は、放課後デイサービスの責任者を集め、「威圧的な関与によって言うことをきかせるのは、二次障害の拡大を招くため、個々のニーズと障害特性にふさわしい支援を基本にしましょう」という講習会を開きました。

 すると、「子ども期に厳格にしつけることほど大切なことはないのに、何が問題なのか」と事業者に食って掛かられたと言うのです。課長は「もはや後の祭り。こんな事業者を指定できる安易な規制緩和の仕組みがあって、指定後には『つける薬はない』現実に直面してしまう」と、諦めに近い嘆きを私に吐露したことを憶えています。

 この背後には、障害のある子どもが産まれたからといって専業主婦になる母親は少なく、フルタイムで働き続けるお母さん方が増えた事情もあるでしょう。共働きしなければ家族の生活が成り立たないところで「男女共同参画」を進めるのですから、お母さん方に非はまったくありません。

 わが国の子育て支援策は、子どもの障害のあるなしに拘わらず、男女共同参画の推進を考慮しない制度設計に、根本的な欠陥があるのです。

 このような状況が広まりつつある中で、10年前から開始された施策が先週のブログで触れた「強度行動障害支援者養成研修」であり、これからの方針が「強度行動障害を有する者の地域支援体制に関する検討会報告書」です。

 基礎研修と実践研修それぞれ12時間の「即席ラーメン型人材養成」で、実践的な専門性を養うことができると本気で考えた研究者と政策担当者が果たしていたのでしょうか。

 この研修を受けた「即席ラーメン型人材」が、実践の積み上げもないままに、地域に帰れば「ミシュラン2つ星ラーメン専門店人材」のように振舞って「研修する側」にまわるのですから、ほとんど「詐欺のネズミ講」といっていい。

 「報告書」はさらに、「強度行動障害支援者養成研修の実践研修修了者」を「標準的な」基礎知識を学んでいると位置づけた上に(実態は、「初歩的な知識のメッキ」を施した程度)、「中核的人材」と「広域支援型人材」を養成するとあります。

 砂地の土台の上に何を組み立てようと、強度行動障害から激しい揺さぶりを受ければ土台の砂地はすぐに液状化し、上物の崩壊は必至です。

 強度行動障害に係わる今日の施策形成は、「知的障害とASDを併せもつ人たちが、どうして10代から行動障害を著しく拡大させるようになったのか」についての実態把握や現実認識がなく、20歳を超えた「強度行動障害」の状態像にある人への対人支援の効果と限界に関する見極めがまったくありません。

 「強度行動障害」が、知的障害とASDを併せもつ人に起こりがちな「現象(自然現象)」のように扱い、定義そのものが行政の裁量に操作され、でも「この状態像への対応は難しいから虐待が起きてしまう」というようなイデオロギーが、マスコミを含めてまことしやかに拡大しているようにみえます。

 「有識者」がしばしば「間違いのない支援によって強度行動障害が軽くなった」かのように言う場面に遭遇しますが、エビデンスを明確に提示してほしい。そのような支援事例を学術論文にしたものを私はこれまでに見たことがありません。

 どのような評価方法で「強度行動障害」を認定したのか、どのような医療との密接な連携をはかって支援したのかの事実さえ提示されていないのに、「高度な支援スキルのある専門家」が対応して「地域生活に移行する」ところまで接近すると描くのは戯言の類です。これらはすべて作り話です。この業界には、この手の作り話が蔓延っています。

 これまで施錠監禁による長時間の身体拘束が虐待事案として明らかになった施設のほとんどにおいて、結局、「強度行動障害」の状態像を軽減することができないままになっている事例が山のようにある現実をどうして政策当局は直視しないのでしょうか。

 強度行動障害の防止にもっとも重要な10代の施策は破綻しており、強度行動障害のある20代以降の人たちに適切な対応のできる支援者の養成に成功してきた訳でもない。行動障害を拡大する条件だけが深刻化する下で、形だけの上滑りな施策が続いてきたのです。

 このままでは、10年後には全国のあらゆる地域において、居場所や受けいれ先をなくした夥しい人数の強度行動障害のある人が路頭に迷うようになるはずです。そのような事態になるまで放置すれば、わが国は強度行動障害のある人にとっての「収容所列島」になっているかも知れません。

東京丸の内のイルミネーション

 クリスマスからお正月にかけた街の浮かれた賑わいに、昔から、私はあまりなじむことができません。とくに、大規模化した各地のイルミネーションには違和感を覚えます。東日本大震災の直後に関東地方は「計画停電」に見舞われ、電気を惜しむように使う大切さを身に染みて覚えたはずではなかったのでしょうか。家庭や学校・事業所の照明も器具ごとすべてLEDに交換したのに、大規模イルミネーションは野放し状態。

 イルミネーションのLEDのわずか100球当りの電気代は、1日5時間点灯して約9万円。丸の内のイルミネーションの電気代総額は、恐らく1日当たり数千万円に上るのではないでしょうか。これがSDGsを叫ぶわが国の現実です。