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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第115回 シニアハウスのハウス長から、働きながら入居するサ高住の住人へ 
40年以上前から高齢者のコミュニティづくりに参加して

櫛引順子さん(66歳)
介護ヘルパー2級、
元シニアハウスハウス長
サービス付き高齢者向け住宅 ゆいま~る那須住人
(栃木・那須)

取材・文:久田 恵

自分の人生のセーフテイネットは自分で作る、その決意が大事だと思います。

 今、栃木県の森の中の「サービス付き高齢者向け住宅ゆいま~る那須」に住んでいます。一年前に91歳の母と住み始めて、その母を亡くし、一人になりました。ここは集合住宅なので70戸のコテージ風の家があって、私の部屋は2DK。一人暮らしには十分です。冬は、ベレットストーブで過ごすんですよ。
 ここはいろいろな集まりや仕事もあります。私が参加しているのはラジオ体操、パタカラ体操、そしてコミュニティ内のショップま~るの運営、今年の春からは、農部会に参加し、畑を一区画借りて、自然農園で野菜作りに挑戦しています。採りたての野菜は美味しいですよ。東京のスーパーで買っていたのはなんだったのかと思います。
 また、那須町の廃校になった小学校の再活用プロジェクトが始まっていて、それにも関わりながら暮らしていこうと思っています。目下、食堂の後片付けのお手伝いなどもしています。ここでは、年金の月12万でぎりぎりで暮らせるのですが、あと3万円あると少しゆとりがでるんですね。だから、それをここでのお手伝いや、地域の人の役に立つ活動の中で得られればいいかなと思っています。

 私は大学を卒業後、家を出て業界紙の記者として働いていました。
 25歳ぐらいの頃に、新宿に女性グループの交流の場「ホーキ星」というお店を仲間と作り、その運営に参加し始めました。その活動を通じて、女性解放運動をしていた小西綾さんや、当時、女性学の研究者として活動を始めていた駒尺喜美さんに出会い、勉強会に参加するようになりました。そのわが師匠というべき小西さんや駒尺さんが、ちょうど80年代後半から「友だち家族」とか「シニアハウス」とか「ウーマンズハウス」とか、高齢者や女性の共同での暮らし方や住まい方を提唱していたのです。二人は、女性の自立のため、学び、仕事をし、遊びもある共同住宅の構想を持っていて、生活科学研究所の代表の高橋英興さんとの出会いによって、大阪に「シニアハウス江坂」を実現させました。
 その実現は、私には大きな驚きでした。
 そして、私は、生活科学研究所に転職をしたのです。が、すでに母がこの生活科学研究所が開いた第一回の生活コ―ディネーター養成講座を受講して、六十五歳で大阪の「シニアハウス江坂」の生活コーディネーターになったのです。
 さらに2002年に、小西さんと駒尺さんが新たに伊豆に「友だち村」を作りました。彼女たちは、自ら構想したその場所で人生を全うされました。  そんなわけで、私も母と共々、シニアハウスの運営にかかわってきました。母は、70歳で会社を退職しましたが、私は大阪にある「シニアハウス新町」のハウス長をやったり、シニアハウス発祥の地の名古屋で働いたり、埼玉の浦和のハウスや多摩市でも働いていました。そのあちこち転勤する中、母と一緒にアパート暮らしをしたり、ハウスに住み込んだり、いろいろな形で働いてきました。そんな中、会社の方も変遷していき、高橋社長が、ゆいま~るシリーズのコミュニティづくりを推進する「コミュニティネット」を立ち上げることになり、私も2011年7月にこちらに入社しました。
 これまでのシニアハウスの運営の体験で実感したのは、高齢になっても、ちょっとしたサポートがあることが何より大事だということ。たとえば、掃除機が壊れてどうしようとか、電気がつかないとか、暮らしの上で生じるちよっとしたことをサポートしてくれたり、相談する人がいたり、いざと言う時に、いろんな支援に繋げてくれる人がいれば一人で暮していけるのだなあ、ということでした。このちょっとしたことへの助けがなく、放置されると人は生活をみるみる破綻させてしまう。それが実感でした。
 ともあれ、誰もが寝たきりになるわけではないのだから、将来の介護の心配のために「元気な今」を無駄にしてはいけない、今を充実して生きなきゃもったいない、介護が必要になっても、安心な環境づくりをすることも大事な「介護」というふうに私は思うようになりました。

 母が90歳になり、私も60歳からの入居条件を満たしていたので、この「ゆいま~る那須」に彼女と一緒に引っ越してきたわけです。
 母は、亡くなる直前まで元気でいましたが、デイサービスへ行く途中、急性心不全で亡くなりました。誰もが長い介護の日を過ごすわけではなく、亡くなる3分前まで元気という方もいる、ということをあらためて実感させてくれました。
 そんなわけで、20代の時に出会い、一緒にいろいろな活動をしてきた仲間たちもこの会社で働き続け、今はここで共に暮らすことになりました。
 思えば、私は、高齢社会になることが分かっているのに、なんの手も打たないでいる行政に疑問もあり、自分の住みたい住み方、暮らし方を、自前で実現する生き方を選びたいという思いで働いてきて、それが実現したのかな、と思っています。
 たとえば、認知症になった時は、どこまでどう暮らせるかとか、医療はこういう形でとか、他人任せではなく、自分できちんと考えておくことですよね。  自分のセーフティネットを自分でつくる、という決意は大事だと思います。
 ゆいま~るに入居すると、ライフプランを記入します。いわゆる終活ノートです。自身の完成期をどういう医療を受けたいか、葬式はどうしたいかなど自分の希望を書いてハウスへ提出します。そしてこれを定期的に見直します。

 まだ60代で元気でいる時に、この自分たちで作った場で暮らし、自らそこを暮らしやすい場所にするための活動にかかわっていく、そういう暮らし方をしていきたいと思います。

サ高住ゆいま~る那須
森の中にコテージ風な家が並ぶ素敵な集合住宅です。

【久田恵の視点】
 自立して生きるとは、誰にも頼らず一人で生きていくということではなく、支え合う力で共に人生を生き抜く実践力のことなのだと、教えられます。